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「Zの悲劇」

「Zの悲劇」を読んでいて自分の小説を書くのがいやになってきた。とても勝てないからだ。世界的名作と張りあえると思うほど自惚れていたわけではないが、自分の力のなさを知らされるのはやはりショックである。
 ともかく描写が丁寧だ。登場人物一人一人について、その服装、体つき、顔かたち、言葉をしゃべれば、その声、しゃべっているときの表情、すべて細かく書き込む。人々がいまいる場所の描写、移動していく時の情景、そして一人称なので、その時々の精神的動揺、あるいは高揚、微妙な心の動き。しかもすべてにおいて直接的表現を避け、皮肉とユーモアをこめた反語的、間接的な、言うならばまわりもった文学的なオブラートに包んで表現する。
 ある意味、こういう煩瑣な描写を否定してきたのが現代の小説でもあったわけだが、さきに右遠俊郎の丁寧な描写と出会い、いまたかが推理小説でのこの丁寧な描写に出会うと、自分の書いているものがいかにも薄っぺらく思えてしまう。
 だが、まあ、これはぼくの病気のようなものである。よい作品に出会うといつも打ちのめされ、書けなくなる。当分はそういう状態が続く。やがてまた気を取り直して書き始めるだろう。
 細かい描写の効用というのは、読者をその世界に招待してしまうことだろう。それは作られた世界であるにもかかわらず、現実の世界のように見え、現実の人間たちのように見える。そこへ自分自身が実際に入り込んでいるような気がしてくる。
 しかもありきたりの文章がひとつもなく、すべてが練られた表現である。もちろん大衆小説であり、読者の興味をつなぎとめることに力点が置かれているから、かなり通俗的な表現を用いているのだが、通俗的であってもありきたりの通俗ではない。練られた通俗なのだ。
 いまの読者にとってはどうなのだろう。反語的表現、文学的修辞を読み取っていける読者には豊かな世界と感じられるだろうが、一般読者はまだるっこしいと感じるかもしれない。
 そういういろんな複雑な思いを抱きながら読んでいる。

 もうひとつ、夢について。
 うら若い女性の探偵役が陰惨な殺人現場に立ち会うので、夢でうなされることになる。しかし夢の記述はたった一行である。これが正しい。小説そのものが作り事であるのに、その作中に夢を長々と書く作者の気がしれない。作り事の中の夢の描写は虚しい。もっともぼくも「コスモス」中に夢描写を入れた。あれはまずかった。
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