プロフィール

まがねとおる

Author:まがねとおる
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

FC2カウンター

カテゴリ

リンク

RSS

執筆経過など

 第10章を書き終えて220枚。この章はほとんど新たに書き直したので、元原稿の記載内容の半分しか書けなかった。したがってあとの半分は11章にまわることになる。
 一章の平均が20枚、あまりにぶつ切りの感じがする。章編成は考え直す必要があろう。
 いずれにせよ、全部書きあげてからだ。全部終わった段階で全体的に見直すことになる。

 日曜日は穀田恵二の演説会に行きたかったが、岡山に芝居を見に行った。ところがぼくの聴力がもう全然だめだ。セリフが半分も聞きとれない。字幕でも出してもらわねばどうにもならない。急激に聴力が落ちている。
 往復自分で運転した。めまいにいつ襲われるか予測できない状態なので、一人だけのときは車に乗れない。「まがね」にはいつも電車で行く。今回は妻が隣にいたので、運転した。しかし帰宅後ずっしり疲れていた。体力も相当落ちている。

 小説が書けないときは、やはり囲碁をしてしまう。相変わらず地の計算ができない。だいたい悲観的に見て、終わってみると30目も勝っていたりする(安物のソフトだから弱いのだ)。
 単に計算能力だけでなく、空間識別能力にも欠けているようだ。だから絵が画けない。風景を見ても、それを一枚の紙にどう写せばよいのか途方に暮れる。囲碁でもそうだ。白地と黒地を頭のなかで整理することができない。

 プロの棋士でも、計算能力のピークは25才だそうだ。30才を過ぎると違和感が出てくる。いままで出来た計算ができないことに気付く。
 人間の肉体能力(頭脳ももちろん肉体だ)のピークは25才で、あとは下降していく。これを補うのは経験だ。
 将棋の羽生はたぶんもう40才だが、読みの能力が衰えた。それを補うのは大局観だという。つまり蓄積された経験からくる勘なのだ。
 ぼくに蓄積されたものといえば、40年間の労働経験しかない。しかもいま省みると、ずいぶん駄目な労働者であった。しかしおそらくこれがぼくの武器なのだ。

 ブログを日記にする気はなかったのだが、なんだか日記風になってきた。自分を励ますために書いている。
関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
279:ありがとう by 石崎徹 on 2014/07/08 at 00:35:04 (コメント編集)

 大いに励まされました。

278:年齢と能力と外部環境 by 植田与志雄 on 2014/07/07 at 15:24:39 (コメント編集)

能力と年齢
肉体は当然ですが脳の知力も衰えると見るのが当然でしょうが、
経験による大局観、勘は研ぎ澄まされることがあるのだろうか。
私自身も含めて観察すると、知力の変化はマイナス一方ではなくプラスマイナスあるように思える。
エンジニアとしての技術面では20年前より5年前の回路のほうがより精緻になっているように思える。もっともこれはツールなどCAD設計環境の助けを得てのことが大半かもしれない。文系ではワードなどの導入で失われたものと獲得されたもの、プラスマイナスがあるでしょうが、一般的にいって人工的な外部環境によって人間能力の増幅と減退が生じていることについて多くの方々が語っていますね。
このようなツールによる増幅とは別に多くの知識の結合による新しいパターンの創造は、特に衰えない知力の一つのような気がしていています。27年前に今の私と同年齢で亡くなった父もエンジニアとしては最晩年まで新方式の開発を続けていて、開発途中で亡くなりました。これはツールなどと無縁の世界でしたので知力そのものの中で減退しない部分があるらしいと想像できて自分を勇気づけてくれています。私自身も自分の得意能力は自覚していて(同時に不得意部分も)、ここでの衰えは感じていません。新しい分野への挑戦意欲はめっきり減退していますが20年前に考えていたことが今では幼稚に見えることが多い、これは進歩の証か大きな錯覚なのか。手持ち材料を使い切るにはまだまだ先があるのかも。

▼このエントリーにコメントを残す