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「ノロ鍋始末記」の教訓

「ノロ鍋始末記」は2010年の夏に書いた。09年の秋に仕事をやめてからの初めての作品だった。
 諸事情から発表は遅くなって、「三郎のふしぎな日々」「盗難」「アトム論考」のあと、二回に分けて発表した。
 各方面から感想をもらい、非常に痛い教訓を得た。
「現場の描写がまったく分からない。読みづらい。読む気を失う」
 ぼくも読み直してみて、そのとおりだと思った。
 現場描写を離れたあとの、人物の描き分け、人間関係、ストーリー展開、問題意識などは賛否両論あったものの、それなりの評価は得た。だが冒頭が現場描写なので、そこの分かりにくさによって敬遠された。
 そしてこの教訓が今回生きている(たぶん)。いま書いているのは純然たる大衆小説なので、なおさらこの教訓を意識せざるを得ない。
 なにしろ大衆小説にとっては読者がすべてだ。読者に受け入れられるかどうかが命なのである。
 しかも推理小説であるから、状況が読者の頭にすんなり入らなければおしまいである。推理のためのすべての材料を、公明正大に、明瞭に、読者に伝えねばならない。
 殺人現場の状況が目に浮かぶように。またひとつひとつの謎がくっきりと記憶に残るように。
 なおかつ読みやすく、分かりやすく、面白く、読者が引き込まれていくように。
 そこで悪戦苦闘している。何度も読み直す。そのつどひっかかるところを見つけては書きなおす。まさに職人仕事だ。
 いまその最も難しい場面にさしかかっている。何度書き直してもうまくいかない。だが、うまくいかないのはどこかがまずいからであって、それを発見できれば解決策はあるはずだと信じて、頑固な岩に向かって盲滅法に鑿を打ち込むように、不毛とも思える作業のさなかにいる。

 考えてみれば、ぼくは読者を意識して書いたことは一度もなかった。ぼくの書きたいことを書きたいように書いてきた。文章読本的なものを読んだことは一度もない。ぼくのなかから出てくるものがすべてだった。
 一方で大衆小説ではそうはいかないだろうという意識は前からあった。大衆小説はいわゆる純文学よりもずっと難しいのではないかと常々思っていた。
 そしていまそれを実践的に経験している。この経験は役に立つだろうと思う。
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