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右遠俊郎「無傷の論理」105枚 33歳

 これまた、内容といい、叙述の仕方といい、文章といい、すごいので、圧倒され引き込まれて読んだ。ただ、夢部分の二箇所と結末とタイトルに違和感があった。
「無傷の人」と同じ題材、同じテーマを扱っている。短編集下巻の年譜に添えられた作者の言葉によると、「無傷の人」を発表したときに、タイトルを誤解された。それでテーマをより深めようとして書いたようである。
 扱っている題材は、敗戦後大連にとり残されて帰国を待つ日本人家族に襲いかかるソ連兵による強姦事件である。
 どのように誤解されたかというと、読者は、「無傷の人」を被害者である女性たちのこととしてとらえた。被害にあいながら、それを乗り越えて逞しく生きる女性たちは「無傷の人」なのだ、と肯定的な意味あいで読んだわけだ。
 ところが作者の意図はまったく違っていて、事件に直面しながら、何もなしえず、単なる傍観者でしかありえないのに、観念的な理屈をこねて納得してしまおうとする知識青年を、自らは傷を負わない無能な人として批判する、むしろ自己批判する、そういうものとして書いたのであった。つまり「無傷の人」は全く否定の言葉なのである。
 現実に対処できない知識だけの人への批判なのだ。
「無傷の人」はもちろんそういう作品として強い説得力をもっている。しかしぼくも読んだとき、どちらの意味だろうかなと考えた。
 というのは作者による女性たちの造形がすばらしく、女性たちが主人公以上の存在感を持っているので、読者の関心がそちらにひきつけられるのだ。
「無傷の論理」は、同じ状況のなかで同じ題材を扱いながら、まったく別のプロットに仕立てている。物語を自由に構想できる人である。叙述の仕方も、順序を効果的に入れ替えるなどして緊張感を持続させることに成功している。そして女性たちの描き方がこれまたすばらしい。
 だが、まず指摘しておくと、冒頭と、ラスト近くの夢の部分はいらなかった。特に冒頭の夢は迫力満点だが、それが夢と分かった時点でがっかりしてしまう。夢を描きたがるのは小説書き始めの人の欠陥だ。(もっとも村上春樹もしばしば夢を書くが、ぼくはあまり感心しない)。
 ちなみにこの作品は「文学界」に転載され、芥川賞候補になったが、落選した。しかもその期の入選はなかった。ほとんどラスト近くまで読んだとき、なぜこれが入選しなかったのだろう、かつての芥川賞はそんなにレベルが高かったのかという疑問を持った。
 ところがラストの手前で再び不必要な夢描写が出てきて、そのあとの数行で、どんでん返しを打ってしまう。もったいない、これで落選だと納得した。
 ぼくもどんでん返しをやりたがるたちだが、作品の長さによって、どんでん返しの全体との比重を考えるべきだろう。しかももっとよくないのは、じつは二重にどんでん返しを打っているのだ。緊迫した場面から、主人公がまたも知識人的日和見、自己防御と自己嫌悪の世界に入り込みそうになって、ああ、結局こうなるのかと思わせた直後に俄然ヒーローに変身する。ちょっと大衆小説的ではあるが、一応小説としての満足を味わわせる。ところが最後の数行で再逆転するのである。これでは読者の感性は混乱する。肩すかしを食って、心に何も残らなくなる。
 作者の気持ちはわかる。作者は知識人批判のためにこの作品を書いている。だからハッピーエンドで終わらせるわけにはいかないのだ。
 しかし、作者はじつは自分が描こうとした以上のものを書きつつあったのだ。作品はすでに作者の意図を離れて、汚辱にまみれながらも混乱した時代を必死に生き抜いていく女性たちの姿を、感動的に描き出していたのである。それに比べれば知識人の心の悩みなどおよそとるに足らないテーマである。
 この才能豊かな作者が実際に書きつつあったものは作者の意図よりも高いところにあった。ところが作者は自分の心の悩みの方を重視してしまった。
 まだ若い作者は、この作品を書きつつ依然として「無傷の人」だったのだ。
 不必要な夢の二箇所と、ラストの数行がなければ、芥川賞だっただろうと思う。
 そして当然タイトルは「無傷の論理」などであってよいはずがない。そんな理屈を書こうとしたから失敗したのであって、実際に書きつつあったのはもっと切実な現実そのものだったのである。
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