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ノロ鍋始末記 第一章

「なお、何しとっかあ」
 柴田さんがどなっている。直木は酸素ホースを引っぱっていた。直径五センチ、太く肉厚の酸素ホースは、コンクリートの地面にまるで吸い付いたように黒々と横たわり、持ち上げるだけでも重く、引っぱっても動かない。
「なおォ、直木ィ、届かんでよォ、引っぱれやァ」
「引っぱってまあす。ちょっと待ってくださあい」
 直木は、いったんホースを投げ捨て、尻ポケットから懐中電灯を取り出して、ホースを伝っていった。鉄柱のそばでホースは何重にもとぐろを巻いて、もつれていた。直木は現場に戻り、人々をかきわけて柴田さんに近づいた。
「なんばしとっか」
「ホースがもつれてます。ほどくので、まわしてください」
 柴田さんはホースの先端についた酸素ガンのネジを緩めて、さっき取り付けたばかりの五、五メートルの鉄パイプを取り外した。
「よし、まわせ」
 柴田さんはガンを構えて、どちらへでも自由にまわせるようにした。直木はふたたび人々をかきわけて、鉄柱へと戻る。ヤード全体がいまや暗闇に近いが、この鉄柱のあたりは特に暗い。直木は懐中電灯で確認してから、一番上の一本をとりあげ、勢いをつけてぐるっとまわした。重たいホースは解けきらずに途中でねじれてしまう。直木はホースを伝って、ねじれをとっていった。移動灯で方々から照らされた現場はまだしも明るく、人々の頭のむこうで、柴田さんがこちらの動きにあわせて、ホースをまわしているのが見える。何度か繰り返した。いくらか伸びたようだ。直木は柴田さんのところへ行った。
「どうですか」
「よか」
「でもまだ巻いてますよ」
「もう届くけん、よか」
「じき、また届かなくなるんじゃないすか」
「よかけん、ガスを引っぱれ」
 直木は鉄柱のところに戻り、先刻、柱の配管につないだガスホースのとぐろを解き始めた。こちらは直径十五ミリそこそこの普通のガスホースで、酸素とプロパンガスと二本セットになっているが、それでもいま苦労した酸素ホースほどやっかいではない。が、もつれればやはり届かなくなるので、直木は最初に、巻いているホースをできるだけ伸ばして、たるませておき、それから現場へ引っぱっていった。ホースの先端には、スカーフ用の長い吹管が付いている。
 現場は炉下と呼ばれる転炉の真下で、幅は十メートルくらいあるが、いまは真中にコキ鍋が鎮座して場所をふさいでいる。そこはピットと呼ばれて、もとはでかい窪地なのだが、転炉からこぼれた溶鋼がピットを埋め尽くし、コキ鍋の乗っている台車も、その線路も埋めてしまったので、鍋を取り除くことができなくなったのである。注水して二昼夜置いた溶鋼は、二月の冷えきった大気がさいわいして、いまは地金となり、さすがにもう熱くはない。そのせまい場所に、ヘルメットをかぶった男たちが何人もうろついている。その男たちをぬって、直木はガスホースを柴田さんのところまで引っぱった。
 柴田さんは酸素ホースの先端に取付けたガンに五、五メートルの15Aパイプを装填して待機している。このパイプの中には8Aパイプがはいっている。つまり、内径15ミリのパイプに内径8ミリのパイプを差し込んで二重にしてあるのだ。先刻ふたりでガス道具とパイプを運んだあと、直木がガスをつないでいる間に、柴田さんが二種類の鉄パイプ各二十本ほどを工作したのだ。8Aパイプはまだしも軽いが、長さ五、五メートル、肉厚1ミリある15Aパイプはそれだけでも重く、二重になるとよけい重い。
「よし、火、つけれ」と柴田さんがいった。
 直木はバルブを開き、一メートル半ほどの吹管の先端の火口(ひぐち)に百円ライターで点火した。瞬時に火口から赤い炎がゆらめき上がり、真黒い煙を吐き出す。酸素バルブを調整して、火を整えてやる。黒煙は収まり、炎は透明に、まっすぐ、くっきりと輝いて、その中央部だけが青く透きとおった。その炎を、柴田さんの構える15Aパイプの先端に持っていく。足元は冷えて固まった地金で、ごつごつして危なっかしい。パイプの先端が赤く、すぐまた黄色くなって溶け始め、線香花火のような火花を発したかと思うと、いきなり火の塊りを噴き出した。柴田さんがバルブを開き、酸素に着火したのだ。すかさず柴田さんはその火を足元の地金に突き立てるようにもっていく。と、地金が火を放ち、しばらく火花を飛ばしたあと、やがてどろどろに溶け始めた。鋼の分厚い塊りの表面部分がすっと切れていく。だが、湯を飛ばしてしまうと火が消えるので、手元に湯溜まりを残しつつ、その先を切る。火花が高く舞い上がり、黒煙がもうもうと立ち込める。ゴーゴーと轟音がとどろき、それにペキパキという音が入り混じる。鉄がうめいているのだ。
 直木は吹管の火を消して、火花の来ないところへ移した。
 酸素で鉄を切断する。半年前この会社へ途中入社で入った直木は、その仕事に初めて出合ったとき、ちょっととまどった。三十過ぎまでいろいろな職種を経験してきた直木は、営業もやれば、計器の見張りという気楽な仕事も経験したが、鍛冶屋も初めてではないし、製鉄所にも何度か入った。電気溶接とガス切断の仕事は経験している。だが、一切の可燃性ガスを使わず、酸素だけで鉄を切るのだという。そんなことが可能なのか、直木は初め半信半疑だった。鉄パイプにつけた火は、そのままではすぐ消えてしまう。酸素だけで可燃性ガスがないからだ。だが、パイプの火で鉄が一瞬溶けると、その湯溜まりに酸素を吹き込んでやることで、火はいつまでも続くのだ。もちろん技術がいる。下手に湯溜まりを吹き飛ばしてしまえば、火は消える。だがいつまでも湯溜まりを溜めておいては、仕事が先に進まない。いったん溶けた鉄も、酸素が止まればすぐに冷えて元どおり固まってしまうのだ。
 五、五メートルのパイプはやがて一メートルほどになった。柴田さんは火を消し、ネジを緩めて、パイプを抜いた。直木はガンを受取って次のパイプを装填し、酸素の圧力で抜けないように堅くネジって、柴田さんに手渡す。柴田さんは間髪いれずそれを湯溜まりに突っ込んで火をつける。切っている個所が下向きなので、湯はむしろたまりやすく、火はつながっていく。
「ちょっと待ってくれ」
 うしろから、いきなり声がかかった。
「柴田さん、待ってくれって言ってます」
「なんや」柴田さんは手を止めようとしない。
「そこやばいかもしれん、ちょっとやめてくれ」
「やばい、言うてます」
 柴田さんはようやく火を消した。声をかけた男のヘルメットを見ると太い黒線が付いている。直木にはよくわからないが、転炉の総作業長なのだろう。
「そこらへん、取鍋台車の線路があるあたりや。ちょっとかわそう。できたら線路は切りたくない」
「じゃ、ここらを切るか?」
 柴田さんは少し内側をパイプの先端で示した。
「それがよかろう」
「深さはどのくらいあると」
「五十センチ以上はあるじゃろう」
「湯の逃げ場がなかけん、なかなか切れんぞ」
「まあ、辛抱強うやっていくしかないわな」
 五十センチの厚みの鉄を切る。場所はピットで、底は土だ。外側には取鍋台車のレール、内側には、コキ鍋台車。頭上十メートルに巨大な転炉がぶらさがり、周辺一帯が地金で埋め尽くされている。鉄というものはどんなに分厚くても、湯の逃げ場があれば切れる。だが、ここには逃げ場がない。いったん溶けた鉄はその場でまた固まって、元に戻ってしまう。その湯を飛ばしながらやっていくしかない。気の遠くなるような作業に思える。
「ふたりだけか」
 やや頭上からの太い声にふりあおぐと、ごつい身体の田所が立っている。
「おお、やっと来たか」柴田さんがいった。
田所が、いたずらっぽく笑って、
「なんで、じいと新入社員なんか」
「えげつない言われかたやなあ」と直木が応じた。
 柴田さんが苦い顔をする。
「なんば言うか。立場があるけん、逃げられんやないか」
 田所の登場で作業は中断し、立ち話が始まった。柴田さんは両手から耐熱手袋を外すと、防災面をヘルメットから外し、ガスめがねをヘルメットに畳み込んで、防塵マスクを取外す。
 田所はのんきそうにまわりを見まわした。「見物人が大勢おるなあ」
「大勢いても仕事すんのはわしらだけじゃ」
「脱ガスの鷲尾もおるで。転炉に任せときゃよかろうに」
「あれはどこへでも顔出して指揮をとりたがるんじゃ」と柴田さん。「夜勤からはおまえだけか」
「今夜は仕事がたてこんどるんや。朝までつきおうてや」
「二十四時間勤務やないけ」
「まあ、宿命やな」田所は澄ましている。
 直木はうんざりするとともに、ほっとしてもいた。夕方まで通常業務に従事し、帰る間際になって、この仕事が飛び込んできて、あわただしく準備し、もう八時だ。夜勤者が来たら帰れるはずが、予定が狂った。まだ十二時間ここで頑張らねばならないと思うとがっかりだが、来たのが田所でよかった。田所は直木と同年輩だが、高卒と同時に入社した生え抜きで、ぬきんでた体格と、器用さ、仕事への熱意で、信頼できる相手なのを、直木は職場も違い、つきあいも短いが、周囲の噂話などで知っていた。この男と柴田さんがいれば自分の負担は少ないだろう。
 柴田さんは田所に仕事を説明し始めた。田所はすぐにのみこんだ。
「柴田さん、まあ、おれにまかしとき。防熱服に着替えるからちょっと待っとってや」
「その間に少し沸かしといてやるわい」
「まあ、あわてなさんな。あとでたっぷり切ってもらうさけ」
 やっと切り始めたところではあったが、いったん中断してしまったことではあるし、柴田さんも田所に譲る気になったとみえて、三人その場を離れて鉄柱のそばまで退却した。
「暗いなあ」と田所がいった。
 直木は懐中電灯で照らしてやった。柴田さんは防熱前掛けを外した。田所は段取りしてきた自分の防熱服に着替えた。
「柴田さん、いつまで班長やるんね。もう、六十いくつね」
「六十二よ。おまけに下請けよ。年収百万ダウンして、下請工がなんで本工を使わなならんと」
「若いのがおるやろが」
「大江がまだ、まかせられん言いよる。まかせんから育たんのに」
「ここに優秀な直木がおるやないの」田所は直木を見て、にやっとした。
 直木はあわてて否定した。
「いえいえ、ぼくは新入社員ですから。班長は柴田さんでないと務まりません」
「田所、おまえこそ、なして班長にならんと。おまえが班長になってうちの班に来ればよか」
「おれはいやや。班長はしんどいだけで、メリットがない」
「馬鹿たれ、若いうちに班長になっとけば、じきにもっと上にあがれる。年寄りはいっせいにおらんことなるぞ。もう、おまえたちの時代じゃ」
 田所は黙ったままで首を横にふっている。
 直木は携帯電話を取り出し、妻の美知に連絡をとった。柴田さんの家にも電話した。
「柴田さん、奥さんです。話しますか」
「おまえが言っとけ」
「もしもし、柴田さんはいまカラオケを歌ってます。いや、嘘です。仕事で朝帰りになります。よろしくおねがいします」
「馬鹿たれが。本気にするやないか」
 田所が大笑いしている。
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