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価値基準(高原氏のコメント251に)

 高原さんのコメント251を読ませていただいて少し悩んでいます。指示されている二つの文書(以前読んだものですが)の関係個所を読み直し、他の部分にも少し目をとおして、(なにぶん長文でもあり、難解でもあるので)これは簡単にはいかないという思いを再認識しております。
 いまは小説執筆中で、時間がとれないので、現時点におけるぼくの認識だけを要約的に書くに留めます。議論は自由になさってください。すべて読ませていただきます。

 ぼくの考えでは、マルクスの基本はイデアの否定です。具体的な人間を離れた絶対というものは存在しないということです。
 もちろん人間は第一に物質であり、第二に生物であるので、物質として、また生物としての普遍的条件のもとにあります。だが人間は学習機能を極端に肥大化させたので、その価値基準は環境と個人的資質のせめぎあいのなかで、きわめて個人的なものになります。
 ただし、歴史的、社会的環境の普遍性によって、一定の普遍性を持ちます。
 すなわち下部構造によって規定されるのです。
 かくて、個人的にせよ、普遍的にせよ、その価値基準は所与のものです。我々は人々と交流し観察することによって、初めて人間とは何かを知ることになります。決して具体的人間を離れた思考からではありません。
「種の保存」「個人の生」「自由と愛」と高原氏が挙げられている価値基準も、論理考察から生まれたものではなく、人間観察から生まれたものであるはずです。
 絶対的価値というものは存在せず、あるのは個人的価値と普遍的価値です。そしてそれは哲学からは生まれてこない。
 マルクスが何か新しい価値基準を考え出したとはぼくには思えません。それは従来の哲学者がやったことで、すなわち「お説教」なのです。価値基準は、物質的、生物的、社会的、歴史的条件のもとで、すでに人間に与えられているのです。それを研究するのは、人生論者たちや、心理学者たちの仕事で、(それも大事な研究ではありますが)哲学者のやることではありません。そこでマルクスは「お説教だ」と言ったのです。
 そしてある意味ではこの「お説教」部分を受持つのが文学とも言えるでしょう。もっとも本当に「お説教」になってしまえば読むに堪えないし、文学的価値はありませんが、少なくともそこには実存的仕事があります。つまりさまざまな生き方を示してみせるという点において。
 マルクスの仕事は違うでしょう? 彼は学問をやったのであって、文学をやったのではないとぼくは受け取っています。
 彼にとって価値とは歴史が人間に与えるものです。しかし歴史は決してその時代を維持するのに好都合な価値観だけを人間に与えることをしません。時代と価値の間に矛盾があります。そしてこれが歴史を動かすのだということを彼は解明したのです。

 このテーマについて、ぼく自身はおそらく当分書きません。だんだんややこしい議論になってきそうな気がするので。でもぼくのブログ上で議論なさることは歓迎します。すべて読ませていただきます。

 ひとつだけ補足します。
 頭で考えだした価値というものはとんでもなく危険なものであるとぼくは考えます。それがファシズムを産み、戦争を産むのであると思えます。
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