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宗教と科学(植田さんに)

 植田さんのコメントについて(エホバの王国コメント参照)。
 おっしゃりたいこと、だいたいわかります。
 私見を少し書きます。
 科学的社会主義の呼称は、もともと空想的社会主義に対するものだった。自分勝手に理想社会像を描いてみても、実現性がない。社会の成り立ち、その変化の歴史を科学的に研究する中で、どこに社会の矛盾があり、どこに改革の可能性があり、またどこに、その主体を見出すことができるかを明らかにするということだった。
 あの時代の時代的産物としてのその呼称はもちろん有効だと思う。
 ところが、ある時期から、日本共産党がマルクス主義の呼称をやめて科学的社会主義と言い始めた。マルクスを絶対視しないのだというその立場はうなずけるものだし、科学的社会主義というその呼称も、歴史的に使われてきた名前(ある意味普通名詞的でなく固有名詞的なもの)として以外の特権的な意味合いを込めたものではおそらくなかったのだろうと思う。
 しかし今の時代に立ってその言葉を聞くと、「自分たちだけが科学的なのだ」と主張しているように聞こえてしまう。
 というのは第一に、空想的社会主義対科学的社会主義という図式がすでに歴史のかなたのものになっていること。現代人は科学的社会主義という言葉で、歴史を思い浮かべたりしない。
 第二に、その呼称を名乗る共産党の主体自体に、「自分たちだけが科学的なのだ」という姿勢をしばしば感じさせられてしまうからである。
 ならばどう名乗るべきなのかという対案をここに対置することはできない。しかし植田さんの感じている違和感はぼくのものでもある。
 ただ、植田さんの後の文章はかなり矛盾が見られる。一方で「科学的」と冠することで価値づけしていることを批判し、科学は客観であるから価値とは無縁だと述べながら、でも今後は科学と価値とを関連付ける必要があるかもしれないと述べられている。
 科学はある意味では価値とは無関係でなければならず、他の意味では価値と関連付けられねばならない。
 また価値自体が科学の対象ともなり得る。それは人間現象的なもの、社会現象的なものとして対象に入ってくる。
 でもおそらく価値は基本的に文学の課題である。
 マルクスにとって、価値とは交換価値以外のものではなく、純粋に経済用語としてしかありえなかった。文学への広く深い造詣にもかかわらず、彼は人間的な意味での価値を経済学における価値と混同することはなかった。

 植田さんの文を読んで感じたことはほぼ以上のようなことです。

 なお、宗教について少し補完する。
 ぼくは新興宗教に対して批判的な半面、伝統的宗教に甘すぎるという批判があるだろうと思う。伝統宗教こそ大規模に金もうけを展開していると言われてしまえばそのとおりだ。
 ただ、伝統宗教(原理主義以外の)に金を払う人々は、ある程度その教義がフィクションに過ぎないことを納得済みで払っているように思える。
 それに対して新興宗教(および宗教原理主義)にハマる人々は本気でその教義を信じている。
 ここにぼくは両者の差異を感じる。
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