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エホバの王国

 昼間家にいるとセールスマンがよく来る。エホバの王国も人を替えては来る。必ず二人連れだ。先日中年の女性と一緒に来た若い女性が一生懸命しゃべるので、しゃべりたいだけしゃべらせた。パンフレットと聖書をひもときこんこんと説く。もちろんその程度のキリスト教知識はこちらにも十分あるのだが、熱心なので遮らずに聞いてやった。
 質問はないかというので、前から疑問だった点を問いただした。
「あなたがたの宗派はキリストを認めないわけ?」
「いえ、キリストを認めます」といって女はパンフレットの該当部分をさっと指し示す。
「でもエホバのほうを重視しているよね」
「そうです。エホバが父でキリストは子ですから」
「三位一体は認めてるの」
「三位一体は認めません。父と子ですから」
 質問内容から宗教に関心を持っているのかと訊いてきた。
「社会現象としての宗教には関心がある。でもぼくは無神論者だから、人間の問題は人間にしか解決できないと思っている。そういう人間の行動のひとつとしての宗教活動にはそれなりに敬意を払っているつもりだ」
「ありがとうございます」
「ご苦労さま」
 ということで終わった。
 エホバの王国の本は何年か前読んだ。ぼくはそれをキリスト教原理主義だと勘違いしていた。だが本を読むと、似非科学主義なのだ。
 ぼくは宗教が純粋に心の問題だけを扱うなら、大いに意味があると思っている。ところが新興宗教はほとんど科学を装う。エホバもその一種に過ぎなかった。宗教が科学に干渉することはぼくは許せない。しかもその科学たるや、例外なくお粗末極まる代物なのだから、21世紀の人間たちはまだこんなものに騙される程度なのかとがっかりしてしまう。
 活動している人たちはみんなまじめな人たちだ。彼らの労苦をむさぼって笑いの止まらない教団経営者たちこそ罪だ。
 とはいえ宗教はもともと科学でもあれば、医学でもあり、芸術でもあり、道徳でもあり、法律でも、政治でもあり、哲学でもあった。
 人々のたたかいによって、宗教は次第にそれらの分野から撤退していった。伝統的宗教は心の分野に特化していった。もちろん非科学的な教義の矛盾は覆いようがないが、それを科学であると主張することをやめ、精神的なものの象徴であるとしてお伽噺化することで、うまく溶け込ました。
 キリスト教もそうだ。
 だが、一方に頑固な原理主義が台頭し、他方には金儲け主義の似非科学宗教がはびこる。
 ぼくは伝統的宗教にもっと頑張ってもらいたいと思う。伝統的宗教が役割を果たせていないので、その心の隙間にまだ純化できていない宗教が入りこんでくる。
 繰り返すが、いまの新興宗教が、キリストの時代に生まれたなら、それは問題なかった。キリスト教自体がその時代にはいまの新興宗教と変わりないものだった。その時代にはそれで良かったのだ。だがその時代に生まれた宗教は時代に鍛えられて、いまの時代にふさわしいものに変化している。大昔のままのものが(純化されていないものが)、いまの時代に新たに生み出されることをぼくは懸念する。それは時代の逆行だ。
 なお、信仰の自由との関係で、人々は宗教を腫れ物に触るように扱う。しかししかるべき宗教批判は必要だ。そこが空白になってしまえば、騙されやすい人々を守る防壁がなくなってしまう。
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