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耕三寺

 先日、瀬戸田耕三寺に行った。じつは少し前、平山郁夫美術館に行ったのだが、そのときは耕三寺に寄らずに帰ってきた。耕三寺は子供のときに行ったきりなので、寄ればよかったなと後悔して結局再度行った。
 前回は迷わずまっすぐ着いたのに、今回何故か迷って、尾道道に入ってしまった。というのは、高速を一回降りて尾道バイパスに入らねばならないというのが頭にあって、尾道道がそれだと勘違いしたのだ。だが、これは島根県に向かう作りかけの高速道路なのだ。どこまで出来ているのか知らないが、一区間で降りて引返した。本当は、福山西インターで降りるべきだったのだ。
 尾道側からは「しまなみ海道」の看板があった。福山側からはなかったような気がする。ぼくの車にはもちろんナビゲーションなどない。あとで地図を見ると、いま尾道バイパスという呼称はもうないようだ。ぼくの知識は何十年も前のものだ。
 生口島は自転車の洪水である。島のどこかでレンタルしているのであろうか。実際、平べったい島だし、道路が海岸に沿っているので、景色もよく、自転車が快適そうだ。自転車専用道路がちゃんと整備されている。
 行ってみると、耕三寺は平山郁夫美術館のすぐ裏だった。ところがこれが驚くべき寺である。
 一口に言うと、悪趣味のかたまりのような寺なのだ。
 空間というものがない。まるで空間を憎むかのように、そこらじゅうにまったく無秩序にいくつもの建物がある。わずかに建物のないところは、築山で塞ぎ、築山なのだが、眺めるというよりも山を歩きまわるようにできている。最後に残った唯一の広場には、その全体を埋めつくすように蓮の鉢が無数に並べられている。そして建物たるや、装飾過剰などといった甘いものではない。いっさい空間を許さないのだ。すべての建物の、壁から屋根から柱から、隙間なく、ごてごてとあらゆるもので飾り立てられている。風情といったものがまるでない。
 この寺の建築者はよほどのさびしがり屋で、空間に対する激しい憎悪を持っていたのだろうと察しられる。
 しかし、これだけ悪趣味が徹底すると、それはそれでひとつの見ものだ。見るほどに笑えてならなかったが、ここまで笑わせてくれる建築群にも、心から感動してしまった。
 さて建物に苦笑しながら登っていくと、最後はエレベーターで昇る高みにギリシャ風の大理石の空間が現れる。そこは瀬戸内海の眺望もよく、広々と感じられるが、ただ広いだけではない、そこもやはり凝ったいくつもの段差を設けて決して妥協しないのだ。
 そこから引き返し、最後は地獄めぐりだ。これは涼しい地下道を行くのだが、これがまた驚くべき代物である。まず長い。昇ったり降りたり曲がりくねって延々と続く。そのいたるところ仏像だらけ。滝があり、川が流れている。ここでも空間を許しはしない。
 寺なのに子供たちの多いのが意外だったが、さもありなん、ここは遊園地なのだ。子供たちが大喜びしそうな場所である。
 行った日もよかった。年二回、母の日と、文化の日ということで、地元の趣味の会が、お茶のサービスをしていた。それも煎茶の会と、抹茶の会とあって、二度もお茶と和菓子の供応を受けた。
 じつは入る前、入場料が1200円と知って、「ここから見るだけで入らずに帰ろうか」と言っていたのだ。でもせっかくはるばる来たのだから一度くらい入ってみようということで入った。その価値はあった。
 子供のころから西日光と聞き慣れていたので、古い寺だと思い込んでいた。じつは近年の造営である。
 神戸で生まれ、福岡で育ち、その地で溶接工から始めて鉄鋼業で資産をなした人が、母親の出生地であるこの島に、母の菩提のために建てた観音寺である。
 だから母の日であり、だから母の懐で遊ぶ子供たちなのだ。
 けっこう客が多い。とにもかくにもひとつの個性を主張することで、観光地として成功している。島の振興に一役買っているように思える。
 門を出ると、道のむこうに商店街が見えた。生きている商店街なのかどうか確認したいと思いつつ、結局その方向には行かなかった。またひとつ後悔が残った。
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