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「慰安婦問題」共産党声明への批判について

 ネットをうろつくほど暇でないのでぼくは知らなかったが、古本屋通信によると、共産党「慰安婦問題」声明への批判が、ネット上に殺到しているそうである。ざっと読ませてもらった。
 それらの批判の特徴は「声明」のなかの以下の点に集中していることである。
 まず「声明」のタイトルが「歴史の偽造は許されない」となっている。そして「声明」の最終部分に来て、「歴史に正面から向きあい、誠実かつ真摯に誤りを認め、未来への教訓とする態度を」「歴史を改ざんする勢力に未来はない」などの副タイトルをならべ、そして最後に「都合の悪い歴史を隠蔽し、改ざんすることは、最も恥ずべきことです」「歴史をつくりかえることはできません。しかし向き合うことはできます。歴史の真実に正面から向き合い、誠実かつ真摯に誤りを認め、未来への教訓とする態度をとってこそ、日本はアジアと世界から信頼され尊敬される国となることができるでしょう」と結んでいる。
 ネットが批判しているのはこの部分なのである。
 正直言って、「この部分は共産党自身に戻ってくることになるぞ」とは、自分のブログにこの「声明」を転載したときから、ぼくは予期していた。
 ネットは戦前戦中戦後早い時期の非合法、半非合法時代からの、繰返し出されてきたテーマをも蒸し返している。それらは古本屋さんが言うようにすでに解決された問題もあれば、未解決の問題もあるかもしれない。
 ぼく自身はそれらの時期について知識も関心も不足しているので、60年代後半以後のテーマについて、たとえば原発問題や、さまざまな運動のなかでの党の問題について、これまでこのブログのなかでも繰り返し疑問を提出してきた。
 共産党は自らの過去に「正面から向き合い、誠実かつ真摯に誤りを認め、未来への教訓とする態度を」とっているように思われない。これらの問題をきちんと解決しておかねば、「信頼され尊敬される」党にはなれない。これは共産党にとって命とりになるばかりか、今後の方針を誤ることにもなるだろうとは、ぼくのつとに指摘してきたことである。
 そしてもとより、誰がどの問題について共産党を批判しても、それは批判者の自由である。ただし、どの問題を批判しているのかを明らかにせねばならない。ネット批判者たちは、ほかのテーマについて述べながら、あたかもそれで「慰安婦問題」への党声明を否定できるかのように勘違いをしている。
 この点をぼくは強く指摘したい。
「慰安婦問題」へのさまざまな疑問がネット上に氾濫しているのに、ぼくもざっと目を通してきた。それらへのぼくの感想を言えば、きわめてゴシップ的、週刊誌的な取り上げ方で、問題の本質に迫ろうとしていないということである。
 それにたいして、共産党声明は、注目すべきいくつもの事実を取り上げ、それを全体のなかに正しく位置づけることで、問題の本質を明らかにした。非常に優れた論考である。
 またネットが批判した部分も、その部分での共産党の主張が共産党自体に返ってくるということを除けば、正しい主張である。この部分を批判したいのであれば、そういうテーマであることを明らかにして批判すべきであって、それによって「慰安婦問題」を否定できるかのように勘違いをすべきではない。
 そうでなく、「慰安婦問題」を論じたいのであれば、共産党声明の取り上げた事実のひとつひとつについて、どこが事実と違っているかを明らかにし、全体として事実の取り上げ方と、その論理構成のどこに問題があるかを、ゴシップ的週刊誌的でなく、本質的論理的に的確に批判すべきなのである。
 ところがネットはゴシップ的週刊誌的な批判さえ行わず、完全な論理のすり替えでことをすませている。「慰安婦問題」のどこが間違っているかを指摘することなく、ただ「それを言っているのが共産党だから間違っているのだ」と主張している。
 正しいことは共産党が言おうが誰が言おうが正しいのである。言葉はもちろん文脈によって理解せねばならず、言葉自体が正しくても、それを言った主体の問題と、それが発言された全体の情況のなかでは、批判されねばならない場合もあり得る。すべては相対的な問題である。発言に占める比重の問題なのだ。この場合、「慰安婦問題」の重要性に比べれば、一小野党の問題は副次的な問題にすぎない。
 それを批判したいのであれば、そこにテーマを限定すべきであって、この件に関する限り、それを言ったのが共産党だから「慰安婦問題」も否定できるということにはならない。
 そういう趣旨の発言でないのなら、批判は批判として党が受け止めるべき問題だが、ネット批判者たちの発言は、そういう趣旨なのだ。彼らは自分たちの発言によって「慰安婦問題」を否定できると考えている。この勘違いがいかにも幼なすぎるのだ。
 私事であるが、この間ぼくは小説批評に関して、激しい批判にさらされてきた。下手な小説しか書けない人間が小説批評などすべきではないというのである。下手な小説しか書けなかろうと、まったく小説を書いてなかろうと、誰にでも小説批評の権利はある。批評が気に入らなければ、どこが気に入らないかを具体的に指摘すべきであって、それを書いたのが石崎だから気に入らないというのでは話にならない。この点に関して古本屋さんが的確にぼくをフォローしてくださった。
 今回ネットが共産党声明に噛みつくさまは、まさしく類似なものに思える。
 言論の自由はある。誰が誰をどのテーマで批判しようと自由である。しかしそれが批判たり得ているかどうかを各自が内省すべきであろう。
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