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コスモス 8

 終幕P場

      中間幕の手前。男1、刑事。机に向かいあって掛けている。

刑事  君の話はとりとめなくて、現実なのか、芝居なのか、夢なのか、いつの話なのかさえ、はっき
    りしない。だがわたしの鈍い頭にも、おぼろげに浮かんできたことがいくつかある。要するに
    人間てのは、どんな小難しい理屈を並べてみても、結局は似たり寄ったりだ……
男1  ぼくは自分が他人と違うなんて思っていない。ただ、ぼくはすべてをありのままに見ようとし
    ている。ごまかしたくないんだ。ごまかしては生きていけないんだ。
刑事  そうそう。それが君らの悪い癖だ。そこで君の中で分裂が起こる。生きた実体としての君と、
    それを横から批判的に見ている君とが分裂する。
男1  ぼくは分裂病じゃない。ぼくは精神医学を信用しない。そんなものは巷にあふれるハウツーも
    のと一緒で、ものごとの表層しか見ていない。「こうすればこうなりますよ」 と教えるだけだ。
    そんなこと、教えられなくても知っている。ぼくは分裂していない。時間と空間の中を偶然さ
    まよっているひとつの生命体で、遺伝子と環境のせめぎあいの中から生まれた意識が、さまざ
    まなことを感知し、思考する。そのすべてをごまかすまいとしているだけだ。
刑事  こりゃ、水かけ論だ。君とわたしとは同じことを違う言葉で言っている……おっと、これはす
    でに誰かのせりふに出てきたね……話を変えよう……
男1  (さえぎる)そうじゃないんだ。あんたは何かを解決したいと思っている。何かの解答を得たい
    と思っている。それをやるとハウツーになるんだよ。ぼくはすべてを認識しなきゃならないん
    だ。それは言葉にはならないもの、それは風景なんだ。
刑事  その風景を描いてみせる義務があると君は思わんのかね。風景は君の頭にあるだけでは誰にも
    理解できない。それは描かれてはじめて、絵になるんだ。
男1  誘惑的なことを言うじゃないか。だがだめだ。その絵を人々はみな自己流に解釈するだろう。
刑事  それが弁証法だろう? そうやって人類は前進していくんだろう?
男1  やめてくれ。有益性の神話はぼくを傷つける。
刑事  ……じゃ、傷の話をしよう。いつぞや、誰かに向かって、偉そうに、シニカルな口調で言った
    じゃないか。いわく「ひとは傷つけあって生きていくものだ。だから、それでいいんだ」とか
    なんとか。あれは君のせりふじゃなかったかね……

      男1、立ち上がる。 しばし、刑事をにらみつけ、それから歩き始める。

刑事  今日はもう樹になるなよ。時間が切迫してきた。(客席を見る)お客がいいかげん飽きてきて
    いる……
男1  ふん。ぼくの芝居の登場人物のくせに、偉そうな口を利く。
刑事  そう思っているならそれでいいさ。だがどうなんだ。傷は痛むかね?
男1  うるさい!
刑事  そうかい……で、どうなんだ。君の傷は痛いのか?
男1  なんともないさ、そんなもの! ひとは誰でも傷ついている。そして、ひとは誰でも傷つけて
    いる。
刑事  じゃ、君はなぜ夢にうなされるんだ?
男1  うなされるわけじゃないさ。ただ夢がぼくを追いかけてくるだけだ。
刑事  君は本当に誰かを殺したのか?
男1  わからないんだ!

      男1、いらいらと歩きまわる。刑事はしばらくそれを見ている。

刑事  じゃ、ちょっと、わたしの個人的な疑問を口にしてもいいかね。まあ、ひとりごとと思っても
    らってもいいが……。わたしには、君たちの世代がなぜそんなにおとなしいのか、わからずに
    いるんだよ……これは、まあ、ちょっとした感想に過ぎないが……あのベトナム戦争の時代と
    いまと、どこがどう違うんだろうね。……アメリカ大統領はオバマに変わったが、アフガンで
    の人殺しをやめようとしない。富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しい。君
    たちは使い捨てにされ、失業している。なのに、みな黙っている。どうして、何の動きも起き
    てこないんだ? ……まあ、わたしのひとりごとだよ……
男1  (はげしく)あんたたちに言われたくないね! あんたたちは高度成長の中で、好き勝手に生き
    てきた。第一次ベビーブーマー、戦争を知らない子供たち、ビートルズとミニスカート、ベト
    ナム戦争、フォークソング、全共闘、そしてやがて浅間山荘にがっくり来て、ニューファミリ
    ー、団塊の世代、ソビエト連邦の崩壊、そして、あんたたちはなにを生んだ? ありがとうよ。
    あんたたちがぼくらを生んだんだ。行き当たりばったりの成り行き任せ、時代の波に流されて
    きただけのくせに、いまさらえらそうに、そのくせ口をついて出るのは、古きよき時代への郷
    愁だ。何とか言っても、あんたたちは運が良かったんだよ。そしてぼくらは、遅れてきた。こ
    の、出来上がってしまった世界にね。あんたたちが作った世界だ。感謝するよ。
       
      間。

刑事  ふん。それが君らの本音というわけか。感謝してくれなくて、結構。我々はそれでも、こつこ
    つ働き、ひとつの文明社会を築きあげてきた。我々は常に社会の中に、生産現場に、身を置い
    てきたんだ。いろいろ脱線したとしてもね。……それが気にいらないと言うんならそれでもい
    いさ……だが最後に君に訊きたい。いいかね、これが最後だ。……君の梅干はどうなった? 
    君は梅干を見つけたのか?

      暗くなって、中間幕が開く。


 終幕Q場
 
      二幕Q場と同じ場所。二年経っている。序幕の数日後。コスモスの季節なのだが、いまは、
      まばらにしかない。
      ベンチに、峰。歌う。

峰   見慣れたバイクが便りをのせて
    今朝も小路を駆け抜けた
    隣の猫は腰を抜かして
    うつろな瞳
    
    いつかまた
    懐かしむだろうか
    かりそめに暮らした
    この街を

    ときには語りあい
    ときには黙りこんだ

    いつかまた
    訪れるだろうか
    知る人も消えた
    この街に

    ときには笑いあい
    ときには涙ぐんだ

    いつかまた
    巡りあうだろうか
    あなたと別れた
    この街で

    でもいつも嘘じゃなかった
    でもいつもこころは傷んだ

      やがて、古田が走って出てくる。峰と眼が合って、立ちどまる。息がはずんでいる。見つ
      めあう。息をととのえる。

古田  待ったかい?
峰   いま来たところよ。

      古田、歩き始め、ベンチの前を行ったり来たりする。

峰   ……コスモスが、すっかりなくなったのね。

      古田、ベンチから離れた場所で立ちどまる。

古田  ……去年きたときは、もっとあったんだが……(見まわす)
峰   去年も来たの?
古田  (歩きだして)なに、わざわざ来たわけじゃない……立ち寄っただけだ。
峰   そう……

      古田、歩き続ける。

峰   どんどん……変わっていくのね……
古田  (立ちどまり)演劇学校に行ってたって?
峰   ええ……学校て言うほどのものじゃなかったけど……
古田  東京の?
峰   そう。
古田  で? 卒業したわけ?
峰   いいえ。やめて帰ってきたのよ。

      古田、峰を見つめる。

古田  岡崎が帰ってきたからかい?

      峰、無言。

古田  君は岡崎と一緒に帰ってきたのか?
峰   (はげしく)なんで岡崎さんなの! あなたはまだ気にしているの? わたしと岡崎さんとはな
    んでもないわ。

      古田、はげしく歩きまわる。

峰   (しみじみと)……もう、ずいぶん昔の話だわ。あれから、いろいろあったのよ。……まるで…
    …ここでは時間が止まっていたみたい……
古田  止まっていたのさ。ぼくは二年間君のことだけを考えていた。ほかのことなんて考えられなかっ
    た。ところが、君にとっては……それは遠い過去の記憶だ。
峰   ……(何か言いたそうにして、結局、口をつぐむ) ……
古田  そうだろ?
峰   ずいぶん勝手なひとね。
古田  ぼくが? ぼくが勝手なのか? ぼくは誰かの罠にまんまとはまって、喜劇の素材にされたん
    だ。
峰   どうしてそんなおおげさな言いかたをするの? 昔と逆だわ、昔、わたしがテレビドラマみた
    いなこと考えてるって、あなたに言われたことがあったよね。
古田  そうか。君は二年間世間にもまれて成長し、ぼくは昔のままってわけだ。
峰   あなたにはいつも自分しかないのよ。昔からだわ。ひとの気持ちを決して考えようとしないの
    よ。人間関係で悩まないはずだわ。
古田  ああ、おかげでぼくはちゃんとしっぺ返しをこうむったさ。
峰   それがどうだって言うの? わたしが苦しまなかったって思っているの?

      古田、歩きまわる。

古田  (独白調で)……どうってことじゃない。ぼくらのあいだには別に何もなかったんだから、君が
    誰とつきあおうが君の勝手だ……
峰   でも、あなたは許さなかった。
古田  (急変する)何をどう許せって言うんだ! 君が岡崎とつきあうのを黙って見ていろってのかい?
峰   だって、同じ仲間でしょ? 稽古場では一緒にやっているのに、ほかで会ったらいけないわけ?
古田  岡崎の気持ちはそうではなかった。それはわかってたんだろ?
峰   ……告白されたわ。

      間。

古田  ……へーえ。二年前はそんなこと聞かなかった。
峰   言えると思う? あの日はそんな雰囲気じゃなかった。あなたはやたらいらいらして、怖い顔
    でわたしのこと、にらんでばかりいたじゃない。
古田  それで君はどう答えたんだ。
峰   べつに……
古田  べつにじゃない、何か言ったんだろ!
峰   なにも言やしないわよ! ……言ったとしてもわたしの問題だわ。

      間。

古田  岡崎は君とぼくとのことを知っているのか?
峰   いいえ……でもわたしに好きな人がいたってことは知ってる。
古田  どうして知ってるんだ。
峰   わたしが言ったからよ! わたしには好きなひとがいますってね、あなたのことよ! あなた
    だとは言わなかったけど……言えないでしょ? あなたたちが気まずくなるようなこと。

      古田、歩きまわる。

古田  ……君はそんなことなにも教えてくれなかった。

      峰、立ちあがって歩きはじめる。二人、あるいは歩き、あるいは立ちどまるが、常にすれ
      違い、向きあうことがない。

峰   あなたが聞こうとしなかったんじゃない。あの日、あの寒かった日、あなた、自分がどんなだっ
    たか覚えてる? あなたはあのコスモスの花束のことですっかり頭にきて、そのことばかり責
    めて、すごい冷たい態度だったのよ。「なぜコスモスなんだ、なぜ岡崎がコスモスなんだ、君
    と岡崎とはどういう関係だ、いつ、どこで会ってたんだ、いつのまにそういう関係になったん
    だ、なぜ、ぼくに隠して会うんだ」わたしが言いわけしようとするはなから、あなたはわたし
    をさえぎって、口汚く責めたてて、説明するまなんて与えてくれなかったじゃない。ひとり、
    お店を出て駐車場へ歩きながら、クリスマスの飾り付けがとても虚しくて、涙が出たわ。そし
    て思ったの……なにもかも終わったんだ、これでおしまいだ……そう思ったの。

      古田、ベンチに掛ける。

古田  だから、岡崎を追っかけて行ったのかい?

      間。

峰   なんて情けないひとなの! ……こんな話になるんなら来るんじゃなかった……
古田  (立ちあがって)そうかい。知ろうとすることは罪なのかい。ぼくは自分がなにも知らなかった
    ことを許せないんだ。ぼくは滑稽だ……そんなことはわかっている、いやになるほどね……で
    も、なにも知らないとしたら、もっと滑稽だ。……君たちが去ったあと、ぼくはいろんな話を
    聞かされたよ。ぼくが思ってもいなかった、いろんな話をね。そして、ぼくは気づいたんだ。
    自分がずっと喜劇を演じていたんだってことにね。
峰   ……なんのことだかわからない。
古田  (ベンチに掛ける)……いや、いいんだ……ぼくのひとりごとだ。

      間。

古田  君は何しに東京へ行ったんだ?
峰   人生を変えてみようと思ったのよ。ばかな夢を見たのよ。
古田  たった一度で芝居に魅せられたってこと?
峰   はじめてだったから、強烈な印象だったんじゃない。それまでの人生が平凡だったし。それに、
    この街にいたくなかった……
古田  じゃ、岡崎は関係なかったってこと?
峰   そうは言わないわ。たまたま、そこに岡崎さんがいたのよ。
古田  それで?
峰   そりゃ、むこうでも、ときたま岡崎さんと会ったわよ。でもそれ以上にいろんな人と出会って、
    いろんなことがあったわけ。恋もしたわよ。人間ならするでしょう? わたしの二年間は、時
    間が止まったようなここの二年間とは違う。とても話しきれないような、いろんなことがあっ
    たのよ。だから、あなたと会って、まさか昔の、終わってしまったことで罵りあうようなこと
    になろうなんて、思ってもいなかった。

      間。

古田  ……ぼくも、そのつもりじゃなかった。なんで、あんなことを言いだしたか、わからない。…
    …二年間、ぼくは稽古場にも行かず、仲間たちともほとんど会わずに、ひたすら、残業して働
    いた。そして暇があると、君の足跡(そくせき)を追っかけてさまよっていたんだ。初めて会っ
    た喫茶店から、最後に会った喫茶店まで。海にも行った。冬の海、荒涼とした海。ここへも何
    度も来た。コスモスのあるときも、ないときも。ぼくは本当にコスモスが好きだったのか? 
    コスモスはほんとうに無邪気だったのか? あの日以来、コスモスはぼくにとって、まったく
    違う意味を持ってしまった。ときたま、思いもかけず、ぼくの心は荒れ狂った。でも、日々が
    過ぎ去っていき、ぼくは自分の馬鹿さかげんに気づき始めた。自分の犯した過ちについて、ぼ
    くは考えた。深いあきらめ……。滑稽感は消えなかったが、それと向きあって生きていく方法
    を探り始めた。

      古田立ちあがり、歩きはじめる。

古田  そして突然、君は帰ってきた。……さっき、あの土手の下で、二年前と同じ君のクリーム色の
    ちっちゃな車を見つけたとき、ぼくはどきどきするほど嬉しかったんだ。君は来てくれないだ
    ろうとぼくは思っていた。電話の返事がそっけなかったからね。ぼくは待ちぼうけを食らわさ
    れるんだろうと覚悟していた。ところが、君は来てくれた。ぼくは胸を高鳴らせて、ここへ走っ
    て来たんだ……

      間。

峰   ……わたしもあなたに、会いたかった。でも、あなたに幾度、電話してもつながらないし、あ
    きらめかけてた。だから、あなたから電話があったときは、とてもうれしかったの。気持ちが
    いっぱいで、声が出なかっただけ。……あなたなら、話を聞いてくれると思ったの。……二年
    前のこともそうだけど……二年前、わたしがどんな気持ちでいたかってことも……それから、
    この二年間に、どんな経験をして、どんな……むごいめにあってきたのかってことも……。あ
    なたなら、わかってくれるような気がしていたのよ……
古田  ……(沈黙)……
峰   (気分を変えて)……いいのよ。終わったことだもの。……あなた、失業しているんでしょう?
古田  ……ああ。そろそろ仕事を探さないと、やばいところへきている。(再びベンチに掛ける)
峰   わたしもそうよ。貯金だけで足りなくて、親にだいぶん迷惑かけたし、せっかくちゃんとした
    ところで働いていたのに、一度やめてしまうと、もう、ろくなところがないのね。いまは社会
    のきびしさにぶつかっている。……あなたは? 何か書けた?
古田  書いちゃいるがね、それが金になるってわけじゃない。……でも君はどうして、学校をやめた
    んだ、その……演劇学校を? 金が続かないってことじゃないんだろ?
峰   そりゃ、やる気があるなら、親は金を出すわよ。でも見込みのないことを続けたってしかたな
    いでしょ? 所詮わたしなんかの割り込める世界じゃなかった。
古田  ずいぶん早く結論を出したね。
峰   わたしにとっては永い日々だったのよ。そして、わたしには、才能も情熱も欠けているってこ
    とを、さんざん思い知らされたの。わたしなんか、到底、手の届かない人たちが、来るかどう
    かわからない明日をめざして、血のにじむ思いでしのぎを削っている。それははげしい生存競
    争の世界なの。世の中って、あまくないわ……

      間。

古田  君は行動し、結論を出した。そして次の行動に移ろうとしている。ところがぼくは何の目算も
    ない世界で閉じこもり、止まってしまった時間の中で、二年前にこだわり続けている……
峰   ……もう忘れて。わたしなんか、たいした女じゃない。
古田  君を忘れろって言うのか?
峰   あなたの世界には、わたしのいどころなんてないでしょ?
古田  ぼくはもう決着をつける。つけなきゃならないんだ。働いて、普通の生活を取り戻す。ぼくに
    はできる。
峰   でも、あなたはいずれまたその世界に舞い戻っていく。あなたは何かを求めている。そうでしょ
    う? でも、それはわたしには理解できないものなの。
古田  君の人生に、ぼくはもういないんだ。
峰   わたしだって、しょっちゅう思い出したわ、あなたのこと、あなたとすごした日々、あの夏の
    日や、稽古場での日々、そして、ここで見た一面のコスモスのこと、忘れられるはずないでしょ
    う?
古田  でも君はぼくから去ろうとしている。
峰   わたしが去ろうとしたのは、あの日なのよ。ジングルベルが鳴っていたあの晩のことなの。ど
    れほどつらかったか、わかる?
古田  …………
峰   岡崎さんに惹かれなかったって言えば、嘘になる。でも、人間だもの、そんなことってあるで
    しょう? ところが、あなたは決して理解しようとしなかった。

      間。

峰   ……あなたは、ここでわたしにキスしたんだった。知ってた? あれがわたしの、生まれて初
    めてのキスだったって? ……ああ、でも終わったことよね。あの夏の日の、ばかばかしいほ
    どの偶然の出会い、あの時のあなたの挑みかかるような眼。そして、ケイタイを隠したときの、
    あなたのあわてふためいた顔、わたしははらはらしながら、でも笑いをこらえていたの。……
    夏の日々、蝉がせわしく鳴いていた、その声がいまでも耳に残ってる。わたしたちの海水浴。
    そして、稽古場、満開のコスモス、あの、半分もわからなかった会話と、あなたのキス。……
    ああ、でも、コスモスはもうなくなってしまった……
古田  もう一度やり直そう。
峰   だめよ!
古田  いまでも小枝子が好きだ。君なしでは生きられない。
峰   終わったのよ。
古田  (立ちあがる)ぼくは働く。働いて生活を取り戻す。くだらない世界とはきっぱり手を切る。君
    がいてくれたら、ほかに欲しいものはない。
峰   さよなら。
古田  え? もう?
峰   (うなずいて)さよなら。あなたの幸運を祈ってる。
古田  ぼくにはもう何もない。
峰   いいえ。あなたにはあなたの世界がある。わたしの立ち入れない世界。私には理解できない世
    界。でもそこにはあなただけの風景がある。あなたがいつの日かその風景を描けることを祈っ
    てる。
古田  ………
峰   さよなら。(歩く)
古田  行かないでくれ。

      峰、一瞬立ちどまり、再び歩き始めてそのまま退場する。
      古田、立ちつくす。

古田  行ってしまった。

      歩きまわる。

古田  行ってしまった。……ではこれで終わったのか? ……それとも……それとも、ここから始ま
    るのか?
    幕の決してあがらない芝居。男のたたずまない芝居。誰もしゃべらない芝居。そして幕のおり
    ない芝居。決して終わることのない芝居。それは…… それは……

      幕

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231:石崎徹「コスモス」についての感想 その2  高原利生 by 高原利生 on 2014/03/12 at 04:35:40 (コメント編集)

石崎徹「コスモス」についての感想 その2  高原利生 by 高原利生 on 2014/03/11 at 09:33:42 
(「コスモス転載終了」についてのコメントを転載)

石崎徹「コスモス」についての感想 その2  高原利生
 「コスモス」を読んで感じ考えた一回目の感想
http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-328.html#comment225
の続きを書く。固定観念は捨て続けなければならないと言っているのだが、以下は、僕の固定観念で感じ考えた感想である。「コスモス」を読んでいくつかの固定観念は壊すことができた。
 少数の「成功者」と世の規範から大きく外れた「失敗者」がマスコミを賑わす。これらは本当は何の問題でもないというべきだろう。一方「こう生きてはうまく生きていけない」のが問題であり、今の殆どの誠実に生きようとする人の思いである。「コスモス」はこれに対応しようとしているように思う。
 読んだ今、発表されるものを含め世にあるものが人に役立つための型は、次のいずれかであろうと思う。
 1. このように生きるという態度か方法を示すか実行する、2. このように生きるという態度、方法、実行における解決できていない問題、分かっていないことを示す、3. 世界、人についてこういうものだと知らせる、4. (抗しがたい状況であったがそれでも)このように人が生きたことを伝える。これだけしかないという気がする。この順と重要さは関係ない。また、科学、芸術の認識分野にも、技術、制度の世界への働きかけの分野の区別(注)にも関係しないと思う。「コスモス」には234の機能があるがどれかに絞っていないことは欠点ではない。
 1は芸術の主な機能ではないだろうが、芸術にこの機能があっていけないことはない。態度、方法の全体像提示は芸術の大きな機能であるべきである。また、2はどの分野でも余り重視されてこなかった。問題に限らず、分かったことは書くが、普通、分かっていないことは書かない。問題を書く、分かっていないことを書くことが重要だ。4は、おそらく芸術に特有の機能に近いであろう。こうしてみると機能面では、芸術は哲学に近いことが分かる。
 こうして、何かから人は、ある時は何かを知り考えるか、ある時は解決策を得るか、ある時はそれにもかかわらず人は生きて行くというメッセージから生きる勇気を得る。

注:人間は、外部からの認識についても、外部に対する制御についても、このそれぞれの仕方を対象化、外化することによって間接化、媒介化し続けた存在ということができる。この「間接性の累積」を「文化」といい、人間とは、「文化」を媒介にした自然、人間との関りの総体である。
 この媒介性と間接性は、「共同観念」に担われるか、「物」に担われるかである。前者は、反映として形成される「科学」と「芸術」――「科学」は、外界の「対象化」という方向性を持つ体系的認識であり、「芸術」は、外界との「一体化」という方向性を持つ形象的認識である。(高原他「理想技術論と情報ネットワークシステム」応用科学学会誌Vol.4, No.1,1990.02)

 「コスモス」は戯曲の台本である。秀逸なナレーションと終幕の峰小枝子の歌が悲しくいつまでも心に残る。
 これが実際に演じられるのを観てみたい。どんな下手な演者でもいい。演技の良し悪しには余り関係ないだろうと思う。演じられるのを観たいと思わせる作品である。セリフが一つ一つまたはひとかたまりで問いかけとして提示され、観るものにこれでいいのかと迫られる。

 しかし、その内容が人を惹きつけ続けない。解かねばならない底流となって残らない。かつ、その一つ一つは、大きな解を出すための必要不可欠の要素にもなっているしそれ自身重要な課題でもある。全部が解ければこの問題も解ける、同時解決の要素でもあり全体でもある。
 1. 空間、時間という前提、2. 価値という前提、3. 労働(と交換、消費)という行為という前提がある。
 その前提の中で、物事への態度、粒度特定、方法が生き方を作ると思っている。この中で、「コスモス」には、1の空間時間、人の周りの対象に対する態度、3の労働についての基本は反省され語られている一方で、特に2の価値についての掘り下げが足らない気がする。価値は、個々の行動には、目的となって具体化され、個々の認識には、当人に対する物事の属性の意味に具体的に表れる。つまり、目的や意味の元になっているのが価値である。(僕の独断的価値は、種の生存―個の生―自由と愛、という階層からなっていると考える。自由はダヴィドフがよい考察をしてくれた。自分の能力向上である。愛は、相手や対象と一体化し高める意識と行動である。これは通常と多分異なり自由と愛がセットになって生の下位の価値だと思っている。)

 以下は、各幕のメモ、抜き書きである。
 序幕。空間、時間、生きて行く態度が述べられ、コスモスが現れる。
古田「ぼくらが演じるのは、いつも途中からだ。途中から、途中までだ。劇は始まらないし、終わらない。」
 一幕。セリフ、劇、意味、動機、伝達と表現。
小川「新しい芝居の探求とは、社会の変化、人々の意識の変化の中で、芝居とお客との間で、いま求められている、あるいは今後求められることになる関わり方のありようとはどんなものなのか、これが探求の中心になけりゃならないはずなんだ。お客とは芝居の本質なんだ。」
 労働。
中野「でも人間の基本は経済だろう?」
 二幕。コスモス。具体的状況。夢。
 三幕。演劇が終わる。かなり長い演劇批評の紹介。
中野「(受取って読み上げる)「わかりやすくて、面白かったけど……(急に語調が落ちる)何か物足りなかった」……」
 峰と岡崎。
古田「そもそもから言うと、ながくなるけど、日本の産業の競争力てのは、なんといっても下請けシステムによる、賃金の二重構造だろう?」
 夢が続く。
男1「わかっているんだ。ぼくがこうして、壁の中で堂々巡りを繰り返し、決して足を踏み出そうとしないのは、理由があってのことじゃない。理由がないからなんだ。人間の行為に理由なんてない。意味もない。だから、ぼくが樹になるとしたら、それは自然なことなんだ。……だが、自然という言葉は自然じゃないな。自然という言葉には生物学的においがする。それは全然自然じゃなくて、生物然としている。「当然」と言い直そう。つまりあたりまえのことだ。すべての心理学者や、精神病医がこの点で大きな勘違いをしてるんだよ。樹になる人間が当たり前で、樹にならない人間が精神病者なんだ。つまり世間で生きていこうとしたら、人はすべからく精神を病まねばならない。健康な人は生きていけない。この事実を誰も踏まえようとしない。たいがいの人はそれに気づかないが、気づいた人は気づかないふりをするのさ。」
男1「空間と時間と人間とが、どういう関係にあるのか、それをはっきりと感じとれるようになる必要があるんだ。」
古田「完成したものなんて、ひとつもないよ。ぼくは頭の中がまとまらないからな。断片しかないんだ。ぼくにあるのはいろんな風景さ。こいつは詩の題材だ。」

 終幕。
刑事「君の話はとりとめなくて、現実なのか、芝居なのか、夢なのか、いつの話なのかさえ、はっきりしない。だがわたしの鈍い頭にも、おぼろげに浮かんできたことがいくつかある。要するに人間てのは、どんな小難しい理屈を並べてみても、結局は似たり寄ったりだ……」
男1「ぼくは自分が他人と違うなんて思っていない。ただ、ぼくはすべてをありのままに見ようとしている。ごまかしたくないんだ。ごまかしては生きていけないんだ。」
刑事「そうそう。それが君らの悪い癖だ。そこで君の中で分裂が起こる。生きた実体としての君と、それを横から批判的に見ている君とが分裂する。」
男1「時間と空間の中を偶然さまよっているひとつの生命体で、遺伝子と環境のせめぎあいの中から生まれた意識が、さまざまなことを感知し、思考する。そのすべてをごまかすまいとしているだけだ。」
刑事「こりゃ、水かけ論だ。君とわたしとは同じことを違う言葉で言っている……おっと、これはすでに誰かのせりふに出てきたね……話を変えよう……」
男1「(さえぎる)そうじゃないんだ。あんたは何かを解決したいと思っている。何かの解答を得たいと思っている。それをやるとハウツーになるんだよ。ぼくはすべてを認識しなきゃならないんだ。それは言葉にはならないもの、それは風景なんだ。」
刑事「その風景を描いてみせる義務があると君は思わんのかね。風景は君の頭にあるだけでは誰にも理解できない。それは描かれてはじめて、絵になるんだ。」
男1「誘惑的なことを言うじゃないか。だがだめだ。その絵を人々はみな自己流に解釈するだろう。」
刑事「それが弁証法だろう? そうやって人類は前進していくんだろう?」
男1「やめてくれ。有益性の神話はぼくを傷つける。」

刑事「我々は常に社会の中に、生産現場に、身を置いてきたんだ。いろいろ脱線したとしてもね。……それが気にいらないと言うんならそれでもいいさ……だが最後に君に訊きたい。いいかね、これが最後だ。……君の梅干はどうなった? 君は梅干を見つけたのか?」

 男1と刑事の議論は決着がつかない。前半の各論を深め人に伝わるようにすることも必要だろうが、より重要なのは後半のこの議論に決着をつけることであろう。簡単なことではない。決着はつかないのかもしれない。これは、「失われた夜」の9章と10章をつなぐことと、根本は多分重なるのではないかという気がする。「コスモス」を書き直すより、続きを書くことが必要なのかもしれない。
 終幕で、峰小枝子がコスモスの記憶を語る。コスモスは、自然であり、咲いていた「街」(という制度)と人とともに見た共有経験(という共同観念)の二つの比喩だった。最初の感想で、コスモスの比喩について分かったようなことを言ったのを取り消す。
 以上、「コスモス」の欠点は抽象的であることだが、二回目の感想は一層抽象的になり自分のためのノートになってしまった。足らないとか必要だとか書いたのは、ほとんどが自戒である。

230:石崎徹「コスモス」についての感想   高原利生 by 高原利生 on 2014/03/12 at 04:29:38 (コメント編集)

石崎徹「コスモス」についての感想   高原利生 by 高原利生 on 2014/03/06 at 18:40:18 (コメント編集)
(「コスモス転載終了」についてのコメントを転載)

石崎徹「コスモス(2009、2014修正)」についての素人の大雑把な感想 高原利生
 「序幕、終幕は二年後の秋」「序幕以外はP、Q二場構成」の現代を扱った四幕の戯曲である。なぜ秋かというと、コスモスは秋に咲くかららしい。
 Q場は現実、P場はそれより抽象世界である。序幕はQ場(相当)であり、終幕もQ場で終わり、現実に始まり現実で終わる。
 序幕は次のナレーションで始まる。
    水島には
    空に浮かぶ
    橋がある

    何にもない
    空の上に
    ぽつんとひとつ
    橋がある

    ここに来た
    人たちは
    どこから
    来たんだろう

    ここから行く
    人たちは
    どこに
    行くんだろう
 これは、おおいに期待をいだかせる。実際、これはうまくいき、読む人あるいは観る人を惹きつけることに成功している。ただ、浮かぶ橋、コスモスという比喩は言葉に負けている。

 古田の生き方の失敗物語である。古田は、経緯は描かれないが職を失い、「恋」にも失敗する。失敗と言うよりこう生きてはうまく生きていけないという、普通の人生が描かれる。「それでも人は生きていく」のかもしれないが、そういういうメッセージでなく、こう生きてはうまく生きていけないのだというメッセージが伝わってくる。古田が(他の登場人物も同じだが)、なぜうまく生きていけないのかという全体像(と、それ故、ではどうしたらいいのかという生きる態度)は、伝わってこない。だから「それでも人は生きていく」というメッセージは伝わってこない。

 全体の個々人の設定は極めて巧みで、個々の会話も実に自然である。
 全体像の個々の要素は、幕の中間の、手の込んだ仕掛けで様々な形でふんだんに示される。この仕掛けはおもしろい。劇の中の演劇論、P、Qの二場構成、その中の例えば、「古田」と「男1」の対応、P場での、殺人をしたのが現実なのか夢の中なのかはっきりしない男1と刑事とのやりとり、男1が樹になること。
 存在論、言語論、行動論、演劇論、映画論、それを通した人生論の内容も、仕掛けも、読むのには多様過ぎるかもしれないが、演劇にはこれぐらいでいいのかもしれず、とにかく個々の問題整理は極めて豊かで充実している。しかし、これらの問題提起は、それだけでどれも答えの一歩手前で止まっている。この答えを出すことも、他人事のように言うほど簡単なことではないが、必要であろう。

 中に、答えの一歩手前の個々の要素はふんだんにある。しかし、全体像は現実味を持って余り伝わってこない。その理由は、作者が余りに覚めた眼で書いているからのような気もするが、序章は覚めた眼で成功しているのだ。序章の緊張を続けるのは難しいのだろうと思う。
 この不満は読む故であって、観れば問題ないのかもしれない。しかし、シェイクスピアの戯曲は読んでも、全体像が一つの流れになり、現実味を持って伝わってきて面白い。シェイクスピアは、哲学の問題に答えを出したわけではない。(出しているのだろうか?)現代は、シェイクスピアの時代より複雑になった。違いはそれだけだろうか?
 個々の問題把握に答えを出しそれを一つの流れにして生き方にすることは、小説や戯曲を書くのも思想家も政治家も同じなのだと気付く。この一つの流れに表現した答えを出すことが、皆に共通の課題なのだと思う。

 小さな話を少し。
 不況が続いているという前提はいいとしても、途中で出てくる請負の法改訂の話は、時代が少し変わると分かりにくくなるかもしれない。(また、三幕Q場、古田の「日本の産業の競争力てのは、なんといっても下請けシステムによる、賃金の二重構造」というのは、経済の常識なのかもしれないが、そうなのだと知らされた。)
 全く小さなことだが、二幕Q場の峰小枝子の「……彼女が帰ってきたとき、あなた、あわててケイタイをポケットに入れたでしょう? 彼女それを見て、すごくいやな顔したのよ。(立ち止まる)あなた気づかなかったでしょう!」というのは、前を忘れていると分からない。終幕、峰小枝子の「わたしが去ろうとしたのは、あの日なのよ。ジングルベルが鳴っていたあの晩のことなの」というのも分からない。

終幕の峰小枝子の歌。
    見慣れたバイクが便りをのせて
    今朝も小路を駆け抜けた
    隣の猫は腰を抜かして
    うつろな瞳
    
    いつかまた
    懐かしむだろうか
    かりそめに暮らした
    この街を

    ときには語りあい
    ときには黙りこんだ

    いつかまた
    訪れるだろうか
    知る人も消えた
    この街に

    ときには笑いあい
    ときには涙ぐんだ

    いつかまた
    巡りあうだろうか
    あなたと別れた
    この街で

    でもいつも嘘じゃなかった
    でもいつもこころは傷んだ

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