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コスモス 5

 三幕P場

      中間幕の手前。一幕P場と同じ場所。男1(古田)、舞台中央で仰向けに寝ている。やが
      て。いきなり上半身を起こして。

男1  逃げなきゃいけない。何もかも、わかってしまう。あの古い、人々から忘れ去られた街の、ど
    ぶ川沿いの朽ち果てた長屋の一画が、取り壊された。いまや、まる見えだ。長屋の裏手に、ど
    ぶ川にはさまれた、あのせまい場所に、長屋に張り付くようにして建てられていた、貧相な物
    置小屋、かつては長屋に隠されて見えなかった物置小屋が、いまや世間の目にさらされて、ひ
    とつぽつんと立っている。隠さなきゃいけなかったんだ。隠されているはずだったんだ。永久
    に隠されているはずだった。それが衆目にさらされている。じきにすべてが露顕する。なぜだ?
    こうなることはわかっていたんじゃないか。隠せるはずはなかったんだ。隠せるはずのないも
    のに頼り切って、忘れようとしてきた。忘れはててしまえば、すべてをなかったことにできる。
    本人に記憶のない犯罪について、本人に記憶のない死体について、いったい誰が責任を問うこ
    とができるのか。忘れてしまえば無罪だ。永久に思い出せないとき、その記憶はなかったこと
    になる。その犯罪もなかったことになる。

      立ち上がる。

男1  だが思い出してしまった! 夢が思い出させてしまった。忘れていたのに、忘れることに成功
    していたのに、完全に記憶から消し去っていたというのに、ぼくの夢が、いきなり、ぼくを裏
    切った。

      歩き始める。

男1  逃げなきゃいけない。つかまってしまえばそれきりだ。ぼくにはまだやりたいことがあるのに、
    ここでぼくの全人生が断ち切られてしまう。ぼくは死刑か? だが、死刑を甘受すべきではな
    いのか? やっちまったことは取り返しがつかないのだから、その結果の責任は受けいれなき
    ゃならない。

      歩く。

男1  ああ、だが、一度だけしかない人生をこのようにして終わってしまうのか? 二度と生き返る
    ことはできないというのに、二度と味わうことのできない人生を、こんなにも早く終わってし
    まうのか? それは耐えがたい、耐えがたい苦痛だ。ではふたたびすべてを忘れ去って、すべ
    てをなきことにして、虚偽の人生を生きろというのか?

      歩く。

男1  忘れてしまえば、忘れた者にとって、それはもはや、虚偽ですらない。

      歩く。

男1  いや、それはごまかしだ。事実は、事実というものは、もっと重いはずだ。それは記憶の有無
    によって消し去ってしまえるものではないだろう。

      両手で頭を抱え、うずくまりながら。

男1  ああ。どうして思い出してしまったんだ!

       男1、うずくまったまま。そのうしろを一人ずつ登場する人物たちが、せりふとともに
       通り過ぎていく。

女1(半井) あなたは誰を殺したの?

男3(岡崎) 君が殺したのはぼくかい?

女2(峰)  あなたが殺すとしたら、わたししかないわ。

男2(中野) それはいつの話だ? どこでやったことだ? おれのことを言ってるのかい?

女3(宮内) わたし、あなたに殺される理由はないと思うんだけど?

      全員が通り過ぎても、男1はしばらくそのまま。やがて。立ち上がり、いきなり樹になる。
      椅子に、いつの間にか、刑事。何か書いている。やがて、書き終えたらしく、しばらく樹
      になった男1のほうを見やる。それから。

刑事  そうやっていても、時間は経っていく。君の時間は失われていく。わたしの時間は……給料の
    うちだがね。……君はいま重要なことを暗示したが、わたしとしては彼らと同じことを訊きた
    い。それはいつ? どこで? だれを? そして最後の質問は、「どうして?」だ。それは動
    機だ。君が求めている、そしてわたしも求めている動機だ。……だが順番にやっていこう。君
    はいつの話をしているんだ?

      男1は樹のまま。

刑事  さあ。いつまでもそうやっていると、樹が枯れてしまうぞ。

      間。
      男1、いきなり樹をやめて、歩き出す。歩きながら。

男1  あんたは誰だ? ここはどこだ? これは現実なのか? それともぼくの書いた芝居の中か?
    ぼくは書いていたんだ。幕の上がらない芝居、男がたたずまない芝居、歩き出さない芝居、何
    もしゃべらない芝居、そして、永遠に幕の降りない芝居だ。あんたも登場人物の一人か? ぼ
    くはそんな人物を書いた覚えはないんだがな。……まあ、いいさ。どっちだって同じことだ。
    ……ぼくは眠っていた。眠って夢を見ていた。重苦しい夢をね。……いつからあんな夢を見は
    じめたんだろう? 昔は女の子の夢しか見なかったのに。ぼくの好きになった女の子の夢。そ
    れはしょっちゅう変わったけどね。ぼくはいろんな女の子を好きになった。彼女たちは夢の中
    ではとてもかわいらしかった。夢からさめてみると、そうでもなかったんだけどね。
刑事  男の子の見る夢はいつもそうだ。だがしあわせな時代が終わり、君は悪夢にうなされ始めた。
    それはいつのことだ。
男1  そう遠い過去じゃないさ。ぼくはいつもいろんなことを考えていたんで、いつも上の空で、ど
    の女の子とも長続きしなかった。それから、学校にも行かなくなり、最初の空白の時代が始まっ
    たんだ。その頃から、ぼくは夢の中で目覚めていることが多くなった。夢だってわかっている
    んだ。夢の中で、ぼくは眠っている。眠りつつ、めまいがして、吐き気がして、とても苦しく
    て、このままでは死んでしまう。何とかして目覚めなくちゃならない。目覚めたら、こんなこ
    とは終わる。目覚めなければ、このまま死んでしまうだろう。経験からぼくはわかっていた。
    体のどこかを動かしさえしたら、きっと眼が覚める。わずかでも動かせばそれで覚める。とこ
    ろが動かない。必死で動かそうとするのに動かない。それがどうかした弾みでいきなり動く。
    手か足かが、ほんの少し。とたんに眼が覚める。夢の中で目が覚める。ああ、よかったと思っ
    た直後に、もう一度目が覚める。ぼくは自分のからだを点検してみる。ところが動かした筈の
    手や足に、動かしたという感触がない。夢の中で動かしたのだ。夢の中で夢を見ていたのだ。
刑事  (あっさりと)金縛りの夢だ。平凡な夢だよ。
男1  ……空を飛ぶ夢はしょっちゅう見た。これも夢だってわかっているんだが、うまく飛べたとき
    はとても気持ちいいので、何とか上昇気流に乗ろうとする。なかなかうまくいかなくて、地面
    すれすれまで降りてしまう。それでも頑張るんだが、ついに失速して、着地してしまう。夢だ
    とわかっているのに自分でコントロールできない。そのじれったさ。たいがいはそれで終わり
    だ。でもだんだんこつがわかってきて、ときには空高く舞い上がり、風を受けて飛ぶ。眼の下
    には黒々とした、はるかな大地と、暗い、大きな、蛇行しながら流れていく河。そのときの感
    じ、決して、ただ気持ちいいだけじゃない、体から血が抜けていくような、ざわざわした気持
    ち悪さがあるんだが、それを我慢しさえしたら、この飛翔感はやはり得がたいものだった。
刑事  (ふたたび、あっさり)現実から抜け出すことを求めていたわけだ。それから?
男1  それから、あれはいつのことなのだろう。田舎を流れるかなり急な流れの川にかかった橋で、
    ぼくはその橋から、誰かを突き落とした。
刑事  それはここ数年のことか?
男1  いや、小学生のころだ。
刑事  夢の話だろ?
男1  夢なのか、記憶なのか、はっきりしない。
刑事  それは誰なんだ?
男1  誰なんだろう? ぼくは欄干によりかかって川を見下ろしている。もう突き落としたあとだ。
    だから誰だかわからない。
刑事  (あっさり)誰でもないんだ。それは君の夢だ。
男1  ……それからあの長屋だ。ぼくはあの長屋に下宿していた。一間きりの、じめじめした部屋だっ
    た。湿気を含んだ畳の上には山積みされた、古びた本。ごみごみした下町で、裏をどぶ川が流
    れていた。部屋は二階だったが、窓の外の風景が、どぶ川以外、思い出せない。はっきりして
    いるのは、あの物置小屋だ。そこには死体がある。巧妙に隠した死体。ぼくはじきに引越しす
    るし、あの物置には誰も近寄らない。死体は永遠にあの中だ。ぼくは自分の記憶を操れるので、
    じきに忘れてしまう。忘れてしまえば、犯罪は消えてなくなる。ぼくは無罪だ。……無罪のは
    ずなのに、夢はしつこく追いかけてくる。
刑事  君の学生時代の話かね?
男1  わからない。確かに何度も見た夢だが、ここ数年は見なかった。ぼくはこの街に来て、毎日働
    いた。労働は、はじめ時間の無駄にしか思えなかったが、馴れてみると、悪いもんじゃない。
    金に困らないし、体の調子がよくて、飯がうまい。自由な時間はわずかしかないが、余計なこ
    とは考えないし、夜はよく眠れる。夢も見ない。毎日が繰り返しだが、過ぎ去っていく時間に
    対する焦りも消えた。時間は過ぎ去っていく。だがそれが人生なんだと信じることができた。
刑事  だが君は失業した。
男1  おそらくそうなんだろう。ぼくは自由を獲得し、この自由はいささか死に似ていた。(つぶや
    く)どこかで読んだようなせりふだな……ぼくは独り言をしゃべり始め、そして悪夢が再開し
    た。
刑事  夢が君を追いかけてくる。
男1  そうだ。あの物置小屋はかつては隠されていたが、いまや、白日の下に照らし出され、あそこ
    にひとつぽつんと建っている理由がない。なぜ建っているんだろう。とっくに取り壊されてし
    かるべきなのに。……ぼくは逃げるべきなのか? ここで無駄に命を落とさないために。それ
    ともとどまり、死刑になるべきなのか? 何のためなのか、わかりもしないのに。
刑事  いいや、君にはわかっているはずだ。君の陥っている状況のすべてを君はわかっているんだ。
    のみならず、そこから抜け出る方法さえもね。だが、君はそれを拒否する。頑固に拒否する。
    その理由がわたしには飲み込めないんだ。

      男1、立ちどまり、樹に戻る。

男1  ぼくは樹だ。ぼくはしゃべらない。樹は他人を求めない。ぼくは一人で生きていける。何も必
    要ない。

      樹になった男の背後を、また一人ずつ通り過ぎていく。刑事はいつのまにかいない。

女1  あなたは、きじゃなくて、びょうきなの。

男3  ぼ、ぼ、ぼくはオールマイティじゃない。(つまずき、あわてて樹をふりかえり、客席を見、
    気を取り直して、退場)

女3  お客におもねりゃいいわけ?

男2  気分転換。気分転換。

女2  …………(ずっと男1に目をやったまま、通り過ぎていく)

      いったん照明が落ちて、やがて中間幕が開く。 
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