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資本論 6

「シーニアの最後の一時間」(新日本379ページ)
 マルクスのほとんどの言葉はどこかで聞いた覚えがあるし、それぞれの章の結論もそうである。それでややこしいところは走り読みして結論を確認してよしとする、過去のぼくはそんな読み方をしたのではないかという気がしている。
 というのは詳しい内容の記憶がほとんどないのだ。第2分冊には線引きが全くないが、第3分冊を開いてみると随所に線引きがある。第2分冊までをほかの版で読み、第3分冊から新日本を読んだらしく思われるが、いずれにせよ記憶にあるのは名文句と、結論だけである。
 だが、今回ぼくが読んでいるのは、マルクスがどこまで正しく、どこから間違っているかを確認するためなので、結論だけでよしとするわけにはいかない。論理の筋道をひとつひとつ確認していかねばならない。

「シーニアの最後の一時間」
 今回はこの名文句を取り上げよう。
 当時イギリスは18歳未満の労働者に対して一日11時間半以上働かせてはならないと決めていた。これは月曜から金曜までを12時間働き、土曜日は9時間なので、平均するとそうなる。
 そこへ10時間運動が起こってきた。マンチェスターの工場主たちはこれに対抗するため、ロンドンから経済学者シーニアを呼び寄せた。工場主たちの提出した資料を精査したシーニアは、次のような結論を下した。
 資本の利潤は11時間半の労働で作られる製品の売り上げのうち一時間分だけである。残りは原料、設備、機械等の経費、および労賃である。したがってこの「最後の一時間」を労働者が働かなければ利潤はゼロになる。逆に労働者がもう一時間余分に働けば利潤は倍になるのだが……。
 シーニアが数学に疎かったのか、それともうまくだましてやろうと考えたのか、いずれにしても頓智教室のような謎かけである。これが間違っていることは明白なのだが、うっかりすると騙されてしまう。
 ところが、そこでマルクスの展開する数式はやたらとややこしいのだ。まずイギリスの通貨の問題がある。これが必ずしも十進法ではない。その上ポンドが通貨単位でもあれば重量単位でもある。そして労働時間には11時間に半という余分がついている。
 そこで便宜上単純化する。労働時間12時間とする。そのうち10時間を原料、労働手段の経費とする。1時間を労賃、最後の1時間を利潤とする。
 ところでこれは12時間働いた場合である。いま最後の一時間を働かないとすれば、生産は一時間分ダウンするのであるから、原料、補助原料、エネルギー、水など、生産によって消費されるものは同じ比率で少なくて済む。
 一方工場建物、機械、道具などは、使わなくとも多少は傷むが、日に12時間稼働した場合と11時間の場合ではその傷み方は明らかに違ってくる。その分長持ちするのであるから、一日分の減価償却費用はまったく同じ比率とは言わないまでも、ともかく少なくて済む。
 いま、12時間働いた時、原料、手段の総経費は10時間分なのであるから、11時間なら以下である。
 11×10/12=11×5/6=55/6≒9
 必要経費のうち原料と手段との率によって多少異なるとしても、11時間働いた時の経費はほぼ9時間分であるといえる。これに労賃1時間分が加わって、工場主が払う金額は10時間分であり、利潤は以前と同じ1時間分である。「シーニアの最後の一時間」は労働時間を1時間縮めてもやはり「最後の一時間」である。
 マルクスはもっと詳しい計算をやり、11時間半から10時間半に一時間縮めたときは、従来100%(総労賃と利潤が一緒)だった剰余価値率が、8214/23%に減るとしている。多少減るのは当然としても、「最後の一時間」が消えてなくなるわけではない。
 マルクスはこの計算のためではないが、少し前の節で剰余価値率の計算のためにマンチェスターの工場主から詳しい資料を取り寄せている。初版に若干の誤りがあったとして第二版ではより正確なものにしている。
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216:管理人のみ閲覧できます by on 2014/02/20 at 18:46:15

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