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小林秀雄、ドストエフスキー

 数年前に小林秀雄の「ドストエフスキイの生活」を読んだ。宮顕を読むなら秀雄も読まねばと思って何十年か前に買いながら読んでなかった本で、古い文庫本なので活字は小さいし紙は黄ばんでいるしで、老眼が進んでいる身には大変読みにくかった。
 めちゃくちゃに長い序文で延々と唯物論批判をやる。ふむ、こういう方向からドストを取り上げるのかと興味がわく。ドストは若い時分社会主義に共鳴し、のちにはこれと闘ったのだから。当時のロシアの社会主義はマルクスではなくフーリエだったが。
 ところが本文に入るとまったく序文とは関係ないのである。あの序文はいったい何だったのだろう。思うに、小林秀雄は「改造」懸賞論文で宮顕に負けたことがよほど悔しかったのだろう。あの序文は宮顕への腹いせなのだ。
 本文は面白かった。なんてことはないドストの伝記だ。昨日作家論は要らないと書いたのは訂正する。作家論は作家論で興味がある。ただ作品論はそれとは独立してやらねばならないという意味だ。
 ところが解説を読むと、このドスト伝はほとんどE・H・カーの丸写しなのである。もっとも解説では、E・H・カーの材料を使いながらそれに秀雄の解釈を加えていると説明しているが、秀雄がこれを白状したのは何年も経ってからだ。いまならスキャンダルで秀雄は浮かびあがれなかっただろう。本来、引用を明らかにしながら、自分の解釈を並べるべきなのだ。昔のことなので問題にならなかった。
 それはそれとしてドストの伝記は面白い。それはこの作家の人生がハチャメチャだからだ。娘が「カラマーゾフ」を読んだとき、「ドミートリ―のようなめちゃくちゃな人間をどうしてあんなに実在感をもって描けるんだろうと思ったら、なんてことない、作家自身がめちゃくちゃだったから、自分を書けばよかったのね」と言ったが、まさにそのとおり、でたらめの人間は現実世界では困り者だが、小説の中ではこれほど面白いものはない。
 ただ、ドストにはドミートリ―の側面もあれば、イワンの側面もあり、アリョーシャの側面もある。ドミートリ―を書くときにはドミートリ―になりきらねばならず、自分のなかの他の側面を消し去らねばならない。それはそれで、娘の言うほど簡単ではないと思うのだが。
 ドストの小説世界ほど面白いものはない。ああいう小説をいま書くのは難しいだろう。
 彼の小説の面白さの一側面として、それが推理小説となっているということがある。「カラマーゾフ」では父親殺しの犯人は誰なのかをめぐって複雑な伏線が張り巡らされる。謎解きの面白さがある。「罪と罰」は刑事コロンボの原型だ。読者は犯人を知っている。検察官も実は知っている。だが、証拠がない。ラスコーリニコフと検察官との対決の面白さがある。こういう知的娯楽は人間精神の欲望に応えるものだ。
 この稿は、小林秀雄の宮本顕治に対するライバル意識が面白くて書きはじめたが、途中からドストの面白さにひきずられてしまった。
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