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朝 1

 朝方、ちょっともめた。司会が集会の終りを宣言して壇から降りかけていたが、人々は整然とした幾筋もの列を作ったまま、すぐには動きださないでいた。いちばんうしろにいた別所は、ふりむいて歩きはじめたとき、二本線が自分を見ているのに気がついた。別所がいぶかしげな視線を返しながらすれちがおうとすると、二本線はつと伸ばした手を別所の肩においた。別所よりもやや背が高かった。黒い線を二本ひいたクリーム色のヘルメットを目深にかぶり、おかげで表情をひどく読みとりにくくしているが、別所を見すえるぎょろ眼は、無頓着そうにも、また気短そうにも見えた。ふと別所はこの男は見たことがあると気づいた。そこで挨拶しようとしたとき、肩においた手が下に落ち、男の分厚い唇から、一種、豪快な感じのだみ声が降ってきた。
 「どういうつもりなんだ、おまえは……」
 別所は馴れ馴れしい邪魔っけな手が離れたことにほっとしながら、男の口をついて出た思いがけない言葉に面喰った。ぎょろ眼を見やりながら別所は瞬きし、「なにか……」と問いかけた。
 「なにかもくそもあるか」と男はいった。「おまえのような横着な人間がいまだにいるとは了解できん」
 どうやら、この男はなにかに腹を立てているらしい、と別所は気づいた。それにしてもこういう粗野な型の人間はどうも苦手だ。せめて腹を立てる理由をいってくれたらよいのだが。
 「ポケットから手を出しな」と男はいった。
 ああ、そのことなんだな、と別所は思った。よけいなお世話じゃあるが、無理にさからうにもおよぶまい。別所は作業ずぼんのポケットから両手をひきぬいた。
 「おまえ一人だ」と男はいった。「わしには了解できん。おまえ一人じゃないか。おまえ一人のために、この集会の意義はみんな失われてしまうんだ」
 大げさな男だ、と別所は思ったが黙っていた。こんなことは早く終らせてしまおう。こんなやくざの因縁めいたものにかかずらうのは愚かなことだ。
 「どう思っているのか。災害を撲滅させようとする製鉄所全体の決意を、おまえは嘲笑っているんだぞ。けしからん。了解できん。おまえのふるまいはわが部の恥だ」
 「これは癖です」と別所はいった。「気にいらんのなら直すよう心がけますよ」
 別所がいい終らないうちに、男のぎょろ眼が倍に膨れあがった。
 「おまえはわしをこけにする気か。その気ならこっちにも考えようがあるぞ。人をなめた口を利いていいものかどうか、じっくり思い知らせてやってもいいんだ」
 「冷静に話合いたいと思いますがね」
 別所の言葉に、男はしばし絶句した。ぎょろ眼は虚ろにさまよい、ぶ厚い唇はばかのように開いたままだ。そろそろ、二人のまわりを人々がとり囲みはじめていた。くそ面白くもない早朝の災害撲滅決起集会のあとで、これはちょっとしたそのつぐないでもあるかのような茶番劇がはじまった。ちょっと早めの寒波に見舞われた十一月の朝七時、身を切るような北風にさらされながら、それでも人々はこの狂言の一幕を見損なうまいとして、だんだん二人のまわりに人垣を作った。
 ぎょろ眼の二本線はこの人垣に気づくとようやく自分をとりもどして、形勢の挽回にとりかかった。
 「きいたふうな口を利きたいとぬかすんだな。癖だと? いっとくがわしはおまえがポケットに手を入れたことだけをいっとるんじゃないぞ。それに癖とはなんたるいい方か。癖といやなんでも大目に見てもらえるとでも思っているのか」
 「ほかになんですか。ぼくが悪けりゃ、全部なおしますよ」
 「それをわしの口からいえというのか。いわねば了解できんというのか。それこそ了解できん話じゃないか。今朝のわが部のこの決起集会がどれだけの意気ごみでなされようとしたか、それをおまえ一人でだいなしにしたんだ。わしはそのことをいっておる」
 そのとき、人垣をよりわけて、じいさんが二人の間に現れた。前田のじいさんだ。五十を過ぎたばかりだが、みんながじいさんと呼んでいる。別所と同じ黄色い、色のはげかかったヘルメットで、黒い線を一本巻いている。近眼老眼両用の妙に光をゆがませる眼鏡の奥で、きょとんとした眼つきに愛嬌があった。筋肉質の細身の体はいくぶん猫背になりかかってはいたが、どこかまだ身のこなしのすばしこさを感じさせた。
 「徳村さん、すんませんけど」とじいさんがいった。「なんばあったとですか」
 じいさんが来てくれて、別所はほっとした。これで面倒はおしまいだ。じいさんがなんとかしてくれるだろう。やれやれだ。ぎょろ眼の二本線の方でも、どうやら明らかにほっとした表情を見せた。わけの皆目わからん小僧っ子から、これでようやく逃れらるというわけだろう。
 「前田さん、この人はあんたところの人かね」
 声の調子までさっきまでの刺々しさを失って、すっかりのんびりした明るくさえ聞える響きに変っていた。
 「そうです。なんか失礼をしたとですか」
 「失礼なんかしやしない。そんな個人的な問題じゃない。だが、よっく教育してもらわんと困るな」
 「どげんしましたか」
 「今朝のこの決起集会は普通の集会とわけがちがうはずだ。一年以上にわたった無災害記録が崩れ去り、十月ひと月間で連続四件の災害だ。緊急事態だよ。戦争状態なんだ。ここでなんとかして災害にストップをかけにゃならん。これ以上けが人を出すことは製鉄所の名誉にかかわる。それで先週は全所一万人を集めて開所以来の大決起集会をやった。それを今度は各部ごとに徹底していくための今朝のわが部の集会だ。会社もこのためには膨大な金をかけている。一時間分の日当を、社員一万人、協力会社六千人に支払えば千万単位の金だよ」
 人垣が崩れはじめていた。見せ場は終った。ここにいてもこれ以上面白いことは起らないだろう。この種の説教ならいつ聞いても同じことだ。聞きあきている。殴りあいのけんかか、せめて口角泡をとばす激論を期待していたのに、とんだ邪魔が入った。体がすっかり凍りついてしまった。早く帰ってストーブにかじりつこう。
 じいさんがきいた。「それで徳村さん、うちの別所はなんばしたとですか」
 「なにもせんのだよ、あんたとこのこの若い人は。わしはたまたまうしろにいてすっかり見ておったが、あんた整然としたもんだ。社員協力会社一体となって災害撲滅の掛合いコールをみな握りこぶしをふりあげて一糸乱れずやっている。一人残らずだ。一人残らずといいたいじゃないか。ところが一人残った。それがこの人だよ。わしには了解できんね」
 じいさんが別所を見た。眉間に深い縦じわを刻んだその表情は困惑と、誤解であってほしいという善良な祈りに満ちていて、別所の気持ちを少しつらくさせた。
 「別所、なんでや」とじいさんは短く問うた。
 「そういうことをあまり好きじゃないんです。それだけですよ。悪意あってのことじゃありません。気にさわったのなら、今後気をつけます」
 徳村のぎょろ眼がふたたび拡がった。まるで別所の一言一言がそのつど彼の心臓につきささらずにいないというふうだった。
 「この言い方、この言い方だよ、気に食わんのは。あまりに人を食った言い方じゃないか。この男は最初から最後までポケットに両手をつっこんで立ってたんだぜ。ポケットに手を入れる者なんかこの男のほかにはただの一人たりともいなかった。みなきちんと気をつけの姿勢で整然と立っていたんだ。部長も組合長も監督署のお役人もみんなだ。それをこの男は素知らぬ顔でポケットに両手をつっこんでおる。掛合いコールが始まっても手を出そうとすらせん。そんな横着な真似をしといたあげくが、どうだ、この口の利きようは。いったいなにさまか、てんだ。了解できん。わしには全然了解できんね」
 「まあ、そこをなんとか」とじいさんがいった。「まだうちへきて間がないもんで、なんも知らんとです。我々の教育が行き届かんばかりにとんだ迷惑ばおかけしたとです。みっちり教育して二度とこげんことのないようにしますけん、今度だけは見逃してやってくださらんか」
 へりくだった言葉とは裏腹に、まっすぐ徳村のぎょろ眼を見すえてしゃべるじいさんの顔つきも声の調子も、それほどへりくだってはいなかった。言葉をつくして謝っているのだからそのかわり断固としてこれでおしまいにするのだという強い意志が、じいさんの小ぶりな体から発しているようだった。
 「すみませんでした。失礼をおわびします」
 そういって別所は軽く頭を下げた。これ以上は決して下げないぞ、と別所は自分に言いきかせた。たとえ食うためだろうと、人間というものはむやみに頭を下げていいもんじゃない。頭というものは大事なものだ。これを一度下げ始めたら見境がなくなる。そうしてしまいには自分自身を失うはめに陥るんだ。おれは滅多に頭を下げたりしない。少なくともこれ以上は絶対に下げたりしないだろう。
 徳村はしばらく別所と前田とを見較べていたが、突然、今後気をつけるんだな、というと打切りにした。すぐに彼はきびすを返して、さっきまで集会がもたれていた空地を横ぎって、そこから北へ、構内道路の一本に沿って延々と続く、ひとつのヤードのはじまっている、あけっぴろげの巨大な出入口の方へと歩いていった。空地はいまはすっかりがらんとして、演壇に使われた簡単な台と、そのうしろの建屋の波板に貼られた、今朝の集会を示すいくつかの大きな文字とが残っているだけだった。黄色いヘルメットの四五人が別所と前田をなおもとり囲んでいた。
 「帰ろう」とじいさんがいった。
 かれらは道路を横ぎり、道路の反対側にこれまた道路に沿って長く伸びているヤードと、道路との間で、駐車場になっている空地においた二台のトラックに分乗するまで、黙りこくって歩いた。トラックに乗ってからも、しばらく誰も口を利かなかった。杉野がハンドルを握っていた。別所は杉野とじいさんにはさまれ窮屈な姿勢で座っていた。構内道路を走りだしてだいぶ経ってから、杉野がいった。
 「はらはらしたぜ。なあ、じいさん、はらはらしたなあ」
 「ああ、そうや。はらはらした」とじいさんがいった。
 「徳村のやつ、本気で怒っとったなあ」
 「なあに、いっちょん、気にかけるこたなか」とじいさんがいった。
 「しかし、これはきっとただじゃすまんぜ。何か来ると思うな」
 「気にかけんでよか」とじいさんがいった。
 「ごめんよ」と別所がいった。
 「気にすんな」とじいさんがもう一度いった。
 トラックはディーゼルの軌道を何本も横ぎり、信号のある交差点をまがり、巨大な工場をぐるっとひとまわりして、かれらのちっぽけな作業場へと帰り着こうとしていた。そのときじいさんがぽつりといった。
 「そやが、別所、おまえも相当に意固地やなあ」

 その日一日、別所はよく働いた。ちっぽけな作業場の中が電気溶接の煙で充満した。かれらはともかくも製鉄所の構内にかれらだけの作業場を持っていた。これは例外的なことだ。六千人の下請工の大部分が、製鉄所のあらゆる部署で本工の指揮の下に働いていた。百を超える下請企業が、労働者をかき集めてきて製鉄所のさまざまな部署にばらまくのだ。これらの下請企業は手配師とほとんど変らなかった。製鉄所に貸した人数分だけの金を受取り、ピンハネして残りを労働者に支払った。不況の到来この方、本工と下請工との給料の差は眼に見えて拡がったが、それだけ給料を安く抑えても、企業の方でもいまではピンハネできる分はたいしてないのだった。単価がほとんどまったく上がらないのに現場の人数を減らされた分だけ事務所の経費が割高になったりしていた。製鉄所は下請企業への管理を強化し、事務の仕事はかえって煩雑をきわめてきていた。
 別所の会社でも、自前の作業場を持っているのはかれらの職場だけだった。ところが今では会社の中で、この職場がいちばん儲けが悪く、悪いどころか赤字であった。人足貸しのようなことをしている他の職場では、少なくとも人数分だけの金はもらえた。ところが部品の補修を主体とする別所たちの職場では、すでに単価が原価を割りこんでしまっているのだ。
 別所は働いた。よく働いて、午前中に一度だけ休憩した。作業場に設けたストーブのまわりにみな集まり、煙草をやたらと吸った。
 「前田のじいさんはきついことになるぜ」と杉野がいった。「別所はやりすぎたよ。あそこまでやっちゃいけない」
 「でも、おれは謝ったじゃないか」と別所がいった。
 「おまえの謝りかたがよくない。人を小馬鹿にしたようなやりかただ」
 「そうかねえ」と別所はいって、それきり自分からは何もいわなかった。
 それからまた働いた。別所は、おれは本当は働くことが嫌いじゃないのだ、と思った。いままで職と街とを転々と靴のように履き替えてきたのは、働くことが嫌いだからではない。どんな仕事に就いても、最初の半年くらいは仕事も人間関係もとても面白いと思ったし、一生懸命働いてきたのだ。それからやがてあきあきしてくる。来る日も来る日も同じ仕事、同じ限られた人間関係、くそ面白くもない人間たち、毎日毎日同じ仕事をやり、同じ見あきた人間たちの顔を見続けることにあきあきするのだ。この職場でも、その危険な時期にさしかかっていた。別所はかれらの誰ともこれ以上しゃべりたいとは思わなかった。半年もいると、かれらは同じことを繰返ししゃべるだけだ。別所は同じ話を二度聞くほどいやなことはなかった。
 昼休みには前田と将棋をさした。将棋をさす方が、おしゃべりよりは気が利いている。少なくとも将棋をさしていれば、おしゃべりしなくても気づまりではない。もし将棋の相手がいないとなればお手上げだ。そのときは昼寝でもするしかないのだ。さいわい、じいさんは将棋好きだった。じいさんは将棋に熱中しているように見え、少しも心配しているようではなかった。誰も今朝のことを持出さなかった。
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コメント
1: by あっこ on 2012/09/27 at 21:33:41

これ見たことあるなあ...でも続きが思い出せない。別所てお父さんがモデルかな(^_^)

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