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芥川龍之介と「『敗北』の文学」

 古本屋通信を毎日読むので、そこの記事が何かと気にかかる。時事問題は、ぼくの見解がよほど孤立していると感じない限りは、ほかの人に任せる。だが文学の分野では多少言いたいこともある。とはいっても個人的な雑談に過ぎないが。
 ぼくが芥川を読んだのはかなり遅かった。したがって「『敗北』の文学」も遅かった。たぶん30前後だと思う。去年芥川をいくつか読み直し、「『敗北』の文学」も読み直した。
 初読の印象は、古本屋さんに似ている。宮本顕治は芥川を批判しているのだろうと思って読みはじめたら、ずいぶん高く評価しているので驚いた。ちょうど実家に持ち帰っていたとき母の目に留まり、「敗北なのかねえ」と母が不満そうに言うので、「いや、そういう意味じゃないんだよ」と、ごにゃごにゃと弁解した記憶がある。そのころだったか、宮顕が「近頃の小説は面白くない」と漏らした記事が新聞だとかに載ったことがあって、ぼくが「どういう意味だろう」ときくと、ちょうど居合わせた京都時代の友人が、「芥川なんかと比べるので物足りないんだろう」と答えたことがあった。
 それは無駄話として、去年読み直してぼくはちょっと不満を持った。
 宮顕は少し強引に自分のストーリーに芥川を引張りこみすぎている。そこで晩年のあまり文学的でもない作品にウエートを置きすぎる。自分のテーマにそって芥川を読んでいるのだから、やむをえないのだろうが、不満が残る。
 もともとぼくは日本の往年の文学論に不満を持っていた。中学校最後の学年を太宰漬けで過ごしたぼくは、太宰に関する本も何冊か読んだが、それが作品分析にならずに、作家論になってしまうことに不満だった。ぼくにとって作家はどうでもよい。作品がすべてだ。
 そして去年宮顕の芥川論に感じた不満も、その線上のものだ。
 ぼくは大学の授業をすべて無視してしまったが、それでも多少の影響は受けたかもしれない。当時、同志社はニュー・クリティシズムだった。テキスト分析に主眼を置くのだ。だが、それ以前からぼくはそうだったのだ。授業との相性は合うはずだったのだが、残念ながら英語授業のスピードについていけなかった。
 学者の学術研究は、それはそれで貴重な仕事だが、ぼくの方向はまた少し違う。ぼくはあくまでも一人の読者として作品と向かい合い、読者としてこの作品から何を得ることができるかと考える。そういう意味では宮顕の仕事に必ずしも満足できない。
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