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植田氏の労働観について

 植田さんのコメントを勝手に本文に移させてもらったのは、少し不満があるからです。せっかく面白い方向に展開してきている、お二人の議論を横から折るかもしれませんが、「労働」はぼくのテーマでもあるので、言わせてください。
 植田さんが肉体労働と知的労働とを分けておられるように見えることが、生涯のほとんどを肉体労働者として生きてきたぼくには不満です。
 生きとし生けるすべてのものが、ただ生き、子孫を残すためにのみ生涯のすべてをささげています。ぼくにはこれが尊いことに思えます。もちろん人間はすでに衣食住のみで足りる生き物ではなく、その衣食住でさえよりよくするために知的活動は必要だし、その上に文化を必要とします。人間にとって文化は衣食住同様生きていくための必需品です。生きることに貢献するすべての活動が尊い。
 ただ現代では、生きるための労働の意味が異なってしまっています。必需品の生産ないしサービスの提供をもって「生きるための労働」と呼ぶのではなく、それを消費するための金銭を代価として受け取ることをもって「生きるための労働」と呼ぶ時代に我々は生きています。ここに労働の疎外があると思います。
 生きるために必要なのは金銭なので、その労働が本当に人間に必要なものなのかどうかは問われません。たぶん多くの労働が不必要なものに費やされています。
 もちろん現代の労働環境は、先進国日本でさえ、その現場はまだまだとても原始的です。非衛生で不健康で、危険に満ちています。これは改善される必要があります。労働時間が減ってスポーツや芸術に時を過ごせるなら、それはけっこうなことです。肉体労働が減れば、人々はスポーツにより多く時を過ごすようになり、知的労働が減れば、芸術や知能ゲームで時を過ごすでしょう。どのみち人間は肉体と知能とを使わずには、退屈して死んでしまいます。
 肉体と知能とに何の差もあるわけではないのです。それを使わねば生きられなかったので、それを使ってきた。その結果、今度は逆にそれを使うことを肉体と知能とが要求するのです。
 もちろん遠い将来、何万年かのち、すべてをロボットがやってくれるようになったら、人間の性向自体に変化が生じるかもしれません。肉体も知能も使いたくなくなって、人間は滅びてしまうかもしれません。それは、まあ、現代の我々はSFの中の話としてだけ置いておけばいいでしょう。
 思うに、マルクスの時代の労働はあまりにも非人間的なものであった。実際客観的にそうであったし、それを外から見ているマルクスの目にはとりわけそう見えたでしょう。子供が炭鉱で働かされていた時代ですから。実際悲惨な時代ではあったのです。しかしその時代でさえ、おそらく働いている人々には彼らなりの誇りがやはりあっただろうと思います。肉体にせよ知能にせよ等しく能力です。いかなる理不尽な仕組みのためとはいえ、それを使うことには人間は誇りを感じるものです。
 論理能力が欠如しているのでうまくまとまりません。もう少し総合的に論理的にまとめたいと思っていたのですが、どんなテーマもいろんな側面があるので、それを網羅するということは簡単ではないですね。とりあえず、ぼくの実感だけの表明になりました。
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