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共産党大会決議案と、エガリテ批判文 6

 6、社会主義をめざす国

 エガリテ氏による批判文の第6回はまだ出ていない。したがって、決議案第6章についての私見を述べる。
 ここは最も期待した項目である。「社会主義をめざす国ぐにをどうみるか」というタイトルが目に飛び込んだからだ。
 こういう項目をわざわざ立てたということは、党内外からの疑問の声が十分党中央に届いているということである。決議案が今回無視した疑問も多いが、少なくともこのテーマについては答えようとした。まずそのことは評価したい。
 だが、内容を読むとがっかりする。それが従来通りの回答で、疑問をずらしているだけで、何も答えていないからだ。
 我々が答えてほしいのは、中国が社会主義をめざしているとする党の判断の根拠である。
 この点について不破氏は「新・日本共産党綱領を読む」(2004年新日本出版社)のなかで「その国の政府や政権党の指導部の見解をうのみに(しない)」(215ページ)とはっきり言っている。つまり中国共産党がその公式文書で何を言おうと、それは判断材料にはならないという意味である。続いて不破氏はこう述べる。
「中国がどういう方向に向かっている国か、この国の指導部はどういう性格の指導部か、この国の体制はどんな性格・特徴を持っているか、そういうことを、私たちが自分自身で判断する」(216ページ)
 ここまではまことに頼もしい限りである。しかしそこから分析の経過はすっぽり抜け落ちてしまう。
「私たちはあらゆる国の情況について積極的に研究……します。しかし……あれこれ外部から批判を加えるというのは、日本共産党のやり方ではありません」(223ページ)
 研究はした。だがそれを公表すると内政干渉になるから公表しないというのである。
 そのかわり、日中両党会談(1998年)に、「中国側が示した政治的な誠実さ」に関する話を長々と書き、「これだけ誠実な態度をとるということは、その集団がことにのぞむにあたってとる態度のまじめさ、誠実さを現すものであって、その態度は、一般的にいえば、党や国を指導する上でも必ず現れるはずだ」
「こういう交流でえた中国の現状についての実感的な評価を含めて、私たちは、この国の社会主義をめざす方向性について、私たちなりの自主的な判断をしているのです」(220ページ)
 研究はした。だから中国が社会主義をめざしているという根拠を党中央は把握している。しかしそれは公表できない。だから中国が誠実だということを知るだけで我慢してくれ。
 これが不破氏の2004年の弁である。これでは不破氏は中国について何も語らなかったのと同じである。彼が語ったのはまさしく「私たちなりの」つまり主観的な印象に過ぎない。
 それから9年経ったが、決議案はやはり社会主義をめざしているとする根拠を述べようとしない。ただ中国と日本の違いについて述べるだけである。
 そもそもある国が何をめざしているかなど、何を基準に判断することができるのだろうか。その国が現在どういう状況にあるかを語ることは出来る。だがそれだって複眼的にしか語れはしない。ましてその国がめざしているものとはどういう意味なのか。
 たとえば日本は何をめざしているのか。アメリカと一緒にどこでも戦争できる国をめざしているのか。たしかに安倍はそうかもしれない。しかしそれに反対している人々だっている。今後どちらの方向に行くかは誰にもわからない。そこには人々の選択がある。
 アメリカは何をめざしているのか。エガリテ氏の第2回によると、軍事力による世界制覇をめざしている。しかしこれだって単純すぎる見方だ。アメリカが投資家たちの利益を一番に重視しているのは事実だが、そこにもさまざまに複雑な要素がからみ、共和党と民主党の対立、共和党のなかにも伝統的な保守派、戦闘的な反共派から、キリスト教原理主義者、リバタリアン、ティパーティ、モンロー派、それに農民たちには農産物の輸出という独自要求もある。民主党でも、厭戦派に対して人権派はむしろシリアへの空爆を主張するとか、労働組合は産業空洞化や外国製品の輸入に抵抗している。投資家たちにしても、軍需産業、石油メジャー、消費物資、サービス業、IT関連、そしてギャンブルとしての金融・投資でそれぞれ思惑の違いがある。それに当選の行方を左右するユダヤ票もある。
 それぞれの利益の複雑なからまりあいに政治家の野心もからんで、決して一直線にひとつの目標めざして走っているわけではない。
 何をめざしている国かなどということをいかなる指標でもって特定するのか。語れるのは現在のことだけであり、それもあるがままの複雑さでしか語れないはずである。
 中国だって同様である。いまどういう複雑な国情であるかを語れても、何をめざしているなどということは語れない。
 例えばいまの政権が、アメリカの軍事力に対抗しようと、東アジア一帯での海空の軍事力増強に走っている。これは事実だ。しかしこれも中国の一面に過ぎない。中国は経済的に先進資本主義国との協力が欠かせないことはわかっている。日本とだってもめ続けたくはないだろう。ただもちろん日本の経済的力の衰えによって、日本の重要性は低下している。日本が相手にしないならアメリカもイギリスもドイツもある。ほんとうは手近な日本の協力が一番欲しいが、以前ほどには重要視していない。
 しかし、いずれにしても、アメリカにせよ、中国にせよ、最終的に求めるのは経済的利益であって、これに反することをやるとしたら追いつめられた時だ。

 話が国家間の問題にずれてきている。
 社会主義をめざしているのかというテーマにいったん戻そう。
 それはその社会が現実にどの方向へ動こうとしているかということだろう。しかしそれはまた現在の社会がどういう社会であるかということと無関係には語れない。
 中国については「不破哲三批判」のなかで語れる限りは語った。これは「さざ波通信」にも投稿した。
 いまの中国は一言で言えば封建的資本主義の段階にある。日本の戦前の資本主義と一緒だと思えばよい。いまこの社会がめざしているのは、経済的法則だけから言えば現代的資本主義である。だが、中国共産党という封建勢力の力がまだ強いので、それを妨害する力も働いている。だからどの方向に行くかはまだ分からない。そういう意味ではこの社会がめざしているものはまだ分からない。しかしそれはどの社会にとってもそうなのである。そもそも何をめざしているかと問うことが間違っている。
 日本共産党はいったい何のためにこの国を社会主義と結びつけたがっているのだろう。そこに日本共産党にとって何かメリットがあるのか。それとも本気であれが社会主義をめざす姿だと思っているのか。日本共産党は社会主義をどうイメージしているのか。そういう疑問が有権者の間に生まれてくるのは自然なことである。
 我々が社会主義にイメージするのは、労働者の権利であり、労働組合であり、社会保障である。この国にはそんなもの何ひとつないし、作ろうともしていない。
 だがもちろん経済がある段階に達すれば、資本主義社会であってもそういう社会主義的なものは生まれてくる。それはヨーロッパにも、アメリカにも、日本にも生まれた。だから中国にもその程度の萌芽はある。資本主義をめざしながら、共産党が邪魔になってなかなか到達できないでいる姿というべきだろうか。
 日本共産党がこだわっているのは、二つの体制という世界論をまだ放棄できないでいるからだろう。中国が社会主義をめざしていないとすればこの世界論は崩れ去る。不破氏は<気をつけてもらいたいのは、「社会主義をめざす国ぐに」という新しい用語法です>(197ページ)とかなり得意そうに書いている。この人は新しい言葉を作りだすのがよほど好きなようだが、現実的基盤のない言葉を勝手に作ってもらっては困るのである。二つの体制という奇妙でステレオタイプの世界論を克服せねばいつまでたっても世界の見方を誤ることになる。
 しかし今回の決議案では、必ずしも二つの体制論にこだわっていない。
 アメリカに対する柔軟な見方、アセアン、中南米カリブの動きへの評価、シリアの化学兵器問題、朴槿恵が提起した「北東アジアの平和協力構想」への評価、イラン・アメリカ間の融和の動きへの評価、これらはすべてエガリテ氏が批判したものであるが、ぼくは逆にこれらによって決議案を支持する。決議案は一方で、アメリカが依然として軍事力に頼った対外政策に固執しているとも指摘している。複雑で矛盾した現実をありのままにとらえようとする姿勢は、エガリテ氏よりも決議案の方にある。
 日本共産党が、党内の保守派をなだめるために、カビの生えた古臭いテーゼを形だけ残しながらも、より正確に複雑な現実を見ようとしている現れのようにも思える。

 そして、テーマを次の段階に移そう。
 中国が社会主義をめざしているかどうかということは、日本と中国との国家間の関係にとって何の意味もないことである。中国が社会主義をめざしていないから、日本はこの国と付き合えないというわけではない。日本も社会主義をめざしていないのだから何の問題もないし、たとえ日本がめざしているとしてもやはり問題ないのである。
 イデオロギーと国家間の関係は別である。どんな経済体制であろうが付き合いはできる。
 ただエガリテ氏は、アメリカと中国の二つの帝国主義がこの地域を分割支配して我々を抑圧し、搾取するのではないかと懸念している。彼らが軍事力を重視するのには無論経済的意図がある。エガリテ氏の言うとおりそれには警戒感を持たねばならないだろう。だが、それに対して我国も軍事力で対抗しようとするのは愚かなことだ。そこには明るい未来はない。
 その方向に向かわせないためにはどうせねばならないかを考えていくべきだろう。
 ぼくは赤旗を読んでいないので、その最近の論調を知らない。知らないでこういうことを書くのがそもそも間違っているのかもしれない。赤旗の論調にはエガリテ氏に危惧を感じさせるものがあるのかもしれない。相手が中国にせよ、韓国にせよ、不当なこと、危険なことには抗議を表明する必要はあるだろう。
 だが、ぼくがもっと危険だと思うのは、日本の世論が中国、韓国への憎しみに染まってしまうことだ。これを助長するようなことは書いてほしくない。ここまでこじれてしまった世論を説得するのは難しい課題だが、でもやらねばならないことだ。

 また話が変わるが、かつて社会主義とは理念であり、運動であり、体制であると言われた。いまぼくはすでに体制としての社会主義には興味を持てない。そんなものはSF的な未来の話、まあ、お伽噺の類いに思える。資本主義は続いていく。それをいかにより良いものとしていくかということが社会主義であろうと思う。
 考え方はさまざまであり、ぼくがこう考えるのはすでに老いたからかもしれない。若者には違う情熱があってしかるべきかもしれない。しかしこういう考えで世界を見る方が、よりよい社会をつくる方策も考えやすいような気がするのである。社会主義の体制といういまのぼくらには途方もないことを現実的に考えることは困難である。そこにこだわっていては前へ進めないのではないか。
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