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共産党大会決議案と、エガリテ批判文 4

 4、選挙戦術

 第4回は決議案の第4章である。ここは選挙戦術である。枝葉の問題と思われるかもしれないが、議会を通じての変革を目指している党として決して軽視できない。
 この項目ではエガリテ氏の主張をほぼ全面的に認める。ここに改めて書くよりも、エガリテ氏の文章を読んでもらったほうがよい。
 ここでは具体的なことよりも、基本的な問題を語ってみたい。
 党と、議会ないし議員の関係の問題である。我々よりも左派の人々に言わせると、議員は党が議会に派遣しているメンバー以外のものではない。したがって党の下に位置し、党の指令に基づいて行動すべき存在である。
 ぼくは思うのだが、そうであるのなら議員も議会も必要ない。ただの票に過ぎないのなら、議席に票を置いておくだけで良い。人間は要らない。
 おそらくこういう人々は議会というものをあまり大切なものだとは思っていないのだろう。
 ぼくは議会の外の各種運動ももちろんそれぞれに重要だと思っているが、議会にはまた独立した役割があると考える。ぼくは基本的に議会主義者である。
 議場において議員たちは意見を交わし、妥協点を模索する。一人一人考え方は違うが、妥協できる者どうしで党派を組む。これは議会運営上効率的なやりかたである。全員がバラバラでは時間を食うだけで何も決定できないからだ。おそらくヨーロッパにおける数世紀におよぶ議会経験のなかから生まれてきた知恵であろう。基本的にこれが党である。
 しかしマルクス主義の党はまた別の歴史のなかから生まれた。その党は議会の外に組織された。そして党と議会ないし議員との関係には未整理のものがあるように思う。
 複雑な問題なのだが、ぼくは議員が党の単なる票であってはならないと考える。一個の人間として、自分の責任で行動を選ぶべきである。
 現在の選挙制度は、これを難しくしている。衆議院も参議院も似たような選挙制度になった。すなわち比例代表と小選挙区制である。これが始まってから、たとえば自民党の議員も個性を失った。失ったのか、それとも個性を出せないのかである。党にさからえば公認を失い、公認を失えば当選できる見込みはないからだ。
 議員がみな党に操縦されるロボットになってしまった。これでは議員も議会も必要ない。
 だからいまや、党と議員というテーマは共産党だけのものではなくなり、すべての党のものとなった。しかし共産党は以前からこの問題を抱えていたのだ。
 いまの選挙制度のもとでは、有権者が投票するのは党に対してであって候補者に対してではないから、候補者が議員となれば党に従うことが有権者に従うことであるように見える。
 しかしはたして有権者は党のみによって選択しているのだろうか。
 ぼくはエガリテ氏が主張しているように、候補者個人の魅力というのは決して小さくない要素であると思う。そしてまた候補者に魅力があれば有権者を党に近づけるということでもある。それは議会内のみならず、議会外活動に対しても影響を与えるはずだ。
 有権者にとって議員は常に党を代表している。党の力で当選させてやったのだという態度を党の側がとるとしたら、自分たちの議員を自分たちで貶めていることになろう。それは有権者に対しても失礼な態度である。議員としてふさわしくない人物を党が公認したことになってしまう。
 議員は党内でそれなりの発言権を持つべきである。その価値のない人物を公認すべきではない。
 党の候補者なのだという考えが抜けないうちは、党外からの支持は得られようもないし、まさに党の候補者で終わってしまい、そして当選できない。
 候補者は何よりもまず有権者の候補者であるべきだ。有権者が心を寄せることのできる人物でなければならない。その結果、候補者=議員と党の間に意見の違いが生じるかもしれない。その時に一方的に切るべきではないだろう。その候補者が有権者を代表しているのだということを考慮すべきだ。ある程度の幅をもって議員をかかえていくべきなのである。
 また議員は有権者にとっては自分たちの地域の代弁者でもある。これも議会にとって大切な役割だ。共産党の地方議員はそれをよく分かっていて地域のために働いている。国会議員は全国的な問題だけ扱っていればよいわけではない。彼らもやはり選挙区の代弁者なのだ。
 おそらく今回書いたような内容は、ぼくよりも左に位置する人たちからは決して支持されないだろう。エガリテ氏の見解とも食い違いがあるかもしれない。しかしこれがぼくのこの問題に対する考えかたである。
 また比例代表制度は長年支持してきたが、最近これにも疑問を感じている。
 ともあれ、以上の考え方によって、エガリテ批判文の第4回を、ぼくは全面的に支持する。
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