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共産党大会決議案と、エガリテ批判文 2

 2、世界をどう見るか

 エガリテ氏の批判文の第2回は、決議案の第2章にそって世界をどう見るかというテーマである。
 しかしこの部分で決議案とエガリテ文とを比較するならば、決議案の方に軍配を挙げざるを得ない。エガリテ氏の世界を見る眼はあまりにも単純すぎる。
 エガリテ氏は「資本主義の全般的危機」というテーゼから出発する。ぼくはこの問題に全く関心がなかったが、不破哲三の本(新・日本共産党綱領を読む)によって以下の感触を得た。不破氏によると、これはソ連を盟主とする社会主義陣営を世界情勢分析の主要な指標として各国共産党に押しつける内容であって受け入れられないということのようである。
 しかしそれは国際共産主義運動というせまい世界での話である。部外者である我々にはまったく関係ない。「資本主義の危機」という言葉を字義通りに受け取れば、現代こそまさしくそうなのだ。その点において、ぼくとエガリテ氏の認識は一致するし、じつは共産党とも一致するのである。というのは、共産党はこの言葉を嫌って使わない代わりに、「資本主義の限界」と言っているが、その意味は同じである。
 ただし、この「危機」をどう見るかという点では我々はまったく食い違ってくる。
 エガリテ氏によると、この危機を深めているのは、「各国の労働者や世界の人民のたたかい」の力であるという。
 これははたして現実と合致しているであろうか。現実にはいま労働者と人民の力はかつてなく弱くなっている。そしてそれが資本主義に危機をもたらしているのだ。
 さまざまな要素があった。先進国においてある程度の経済的地位を獲得した労働者階級はいわば武装解除した。そこへ冷戦の終結、社会主義国家の崩壊で社会主義思想とマルクス主義とは勢いを失った。一方、中国をはじめ後進諸国が一斉に経済的力をつけてくる中で、先進国経済はこれとの競争を迫られた。これらの要素が重なって、いままで資本主義に規制を加えていた労働者、社会主義者の力が失われてしまったのである。
 サッチャーリズム、レーガノミクス、中曽根民営化という形で左翼は国際的に敗北を重ね、資本主義はそれを規制する仕組みを失い、自由競争万能、弱肉強食の昔の資本主義へと逆戻りした。そしてこれが資本主義を行き詰まらせたのだ。
 第二次世界大戦後の大景気時代を顧みるならば、技術・ノーハウの革新・創造、新商品の開発、製造・流通のシステム改革、スキルの向上、それらを通じたコストダウンといった部分に眼がいくが、その大量生産を受け入れる大量消費がなければすべてはありえなかった。そして広範な大衆層が購買力を獲得したのは、彼ら自身のたたかいの成果であった。
 ここにぼくは資本主義の原動力を見る。資本主義をうまく回転させるのは、税、資本、労働の間での分配のバランスである。これがどちらに傾いても資本主義は機能しない。そしていま危機を迎えているのは、資本の取り分が多すぎるからである。それはつまり、労働者、社会主義者があまりに弱くなってしまったからなのだ。
 資本主義は社会主義がなければ成り立たない。社会主義とは資本主義を正常に働かせる機能なのだ。
 これはぼく独自の考えで、このブログ上での政治論はすべてこの立場で書いているが、まだ誰も賛同してくれない。したがってこれは試論である。反撃を期待したい。それによって論議が深まることを願っている。
 それはそれとしてもう少し自論を続ける。
 資本主義が成り立たなくなればその結果はどうなるのか。社会主義になるのか。そうはいかない。労働者、社会主義者の力の減退が資本主義の危機をもたらしているのだから、その結果が社会主義のはずがない。この結果は封建制へと逆戻りするのである。購買力を失った企業活動は縮小していき、労働者は失業し、もはや富裕層の下男・下女となるしか生き残る道はなくなる。そしてそれはその次には奴隷制へとさらに逆流する。すでにいまの社会にその兆候が見え始めているではないか。
 労働者、人民が資本主義を追いつめているから資本主義が危機に来ているなどとんでもない。逆なのである。労働者、人民が弱すぎるから、資本主義は危機に来ているのだ。
 情勢分析に自分勝手な視点を持ち込んでも世界は見えてこない。まず世界の現実を先入観なしに見る必要があるだろう。

 ここまでは階級論である。次は国家論になる。そしてここでのエガリテ氏はアメリカ憎しひとすじという感じである。決議案の方がアメリカを複眼で見ようとしている。これは必要なことだとぼくは思う。たとえアメリカが敵としても敵を丁寧に分析せねばたたかえない。鬼畜米英では戦争にならないのである。
 じつはエガリテ氏自身もアメリカの変化は認めている。この小さな変化をも世界平和への探索のなかに取りこんでいこうとするか、それともまったく無視してしまうのか。
 エガリテ氏の論調は、「アメリカの企みを叩きつぶす」「アメリカの軍事行動を終わらせる」と勇ましい。それは共産党にしてもぼくにしても同じ立場だが、勇ましいかけ声でそれが実現できるわけではない。
 世界平和への道筋として、共産党がアセアンや中南米カリブの動き、また化学兵器禁止の過程で核兵器禁止という課題が浮かび上がってきたことを評価しているのは、正しいことだとぼくは思う。小さな変化をひとつひとつ積み上げて忍耐強くやっていくしか変革の方法というのはありえないと思うが、どう思われるであろう。
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