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労働(高原氏のコメントから)

 ちょっとごたごたして二度書いた文章が二度とも消えてしまったので、三度目に同じ記事を書く。勢いを失ってしまったので、ちゃんとした文章になるか自信がない。
 まず断っておくが、当ブログの政治カテゴリー中の「エジプト・シリア・イラン」の項目には、すでにタイトルには関係なく、高原、植田両氏のさまざまなテーマのコメントが無数にぶら下がっており、あたかも両氏の投稿欄の趣きを呈している。コメント欄なので読者の目に触れにくく、本文に移すことも考えたが、ブログの体裁上いろいろ考えて、当分現状のままでいくことにした。興味ある方はコメント欄をチェックしていただきたい。
 そのうち最新の「不破哲三氏の自由論批判」と題された高原氏の記事2件について若干の感想を述べる。
 内容は、赤旗本年当月22日付の座談会「古典教室第2巻を語る」中の不破発言への批判である。
 このなかで高原氏は、不破氏が自由の国をアフターファイブのものとしてしまうことで、労働を束縛としてしか捉えられなくしているとして批判している。ぼくは不破氏の発言を読んでいないので、その文脈上の当否は判断できない。だから不破氏の件は置いておくとして、高原氏が、労働のなかにこそ自由の国を見なければならないとしている点に共感する。
 SF的将来、労働のない世界が実現するかどうかは別にして、いまわれわれの生きている社会においては労働が人生のほとんどすべてである。それが束縛でしかないと言われてしまったら、ぼくらの人生ほど虚しいものはないということになってしまう。人生とは労働なのだ。その喜び、苦しみ、迷い、悩み、そのすべての豊饒さにおいてこそ、人生は生きる価値があり、語られる価値がある。ここにこそ、人間の自由がなければならないのであって、アフターファイブはまた別の問題だ。
 ぼくが自分の小説で労働を描こうとしているのもそれゆえだし、「民主文学」に一般誌にないものを感じるのも、それが労働を描いているからだ。アフターファイブだけを論じ、それだけを小説の題材とすることが駄目だとは言わないが、そこには決定的に人生における本質的な何かが欠けているように思える。
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