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まがねとおる

Author:まがねとおる
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祈り

 蝉がしきりに鳴く。高く枝を拡げた幾本もの樹木の、重なりあった葉の揺れるにつれて、陽の光はきらめきながら降ってきた。
 「怖かったな」
 父親と並んでベンチに腰かけた女の子がいった。女の子は十くらいで、眼鏡をかけていた。よく肥えておっとりした丸い頬をし、白い帽子と白いスカートを身につけている。彼女がひとつかみ、とうもろこしを放ると、鳩たちが枝々からわっと舞い降りた。
 「怖かったかい」
 「うん、怖かった、おとうさん、あの爪、見た……黒くなって、蛇みたいに長く伸びて……」
 「見たよ、あれは怖かったな」
 「馬も見た?……背中を灼かれて……かわいそう……」
 「うん、かわいそうだった」
 父親は女の子の紙袋に手をつっこんで、地面にしゃがんだ。鳩たちは競いあってその手をつついた。
 「おとうさん、痛くない?」
 「やってみたらわかるよ、あきこ」
 「いやだ、痛そうだ」
 同じ年頃のもう一人の女の子が樹木のむこうからもどってきた。
 「りょうまは?」と父親がきいた。
 「あっちにいるよ、おかあさんと一緒に。まだ蝉をとってる」
 眼鏡の女の子とよく似た顔だちだが、ずっと細くて、きびきび動いた。白い帽子に水色のスカートを着ている。
 「とれたか」
 「とれない、逃げられた、いやんなる、ボク、木に登ったのに」女の子は男の子のような口を利いた。「ボクにも、お豆ちょうだい」
 女の子はベンチごしに眼鏡の女の子に手を差しだした。
 「いやだよ、もうないもん。わたし、手の上でやってみるんだ」
 「ボクもやる、あきちゃん、ちょうだい」
 「もうないってば」
 「けち、それ、くれたらいいじゃん」
 「せつこ、買ってきな」
 父親が立ちあがり、ずぼんのポケットに手をつっこんで小銭をつまみだした。
 「あきちゃん、一緒に行こ」
 「待って、手でやってみるんだから」
 「早くやってしまえ、遅いな」
 「だって、怖いんだもん」
 「ボク怖くない、ボクにやらせて」
 「わたしがやるんだってば」
 父親はベンチに座りこんだ。なかなか餌をもらえそうにない鳩たちは、早くも散らばりはじめていた。眼鏡の女の子はいつまでも決断しかねて、もう一人の女の子から責めたてられている。母親と男の子とがもどってきた。男の子はまだ三つくらいだった。長く伸ばした髪に、まんがの主人公のついた野球帽を被っている。
 「りょうま、蝉つかまえたか」と父親がきいた。
 男の子は首をふってベンチにはいあがった。
 「このおねえさんたちは何をもめてんの」と母親がいった。
 二人の女の子はいまでは烈しい言葉で言い争っていた。
 「知るもんか」と父親がいった。「喧嘩するのが好きなんだろ」
 「ぼく、蝉になりたいな」と男の子がいった。
 女の子たちはちょっとつかみあったあげく、餌をばらまいてしまった。さっそく鳩たちが群がってきた。
 「早く買ってこいよ」と父親がいった。
 「ぼくも行く」と男の子がいった。
 女の子たちが駆け出すと、男の子は立ったまま泣きだした。
 「連れてってやりなさいよ」と母親が叫んだ。
 「りょうま、早く来い」と眼鏡をかけない方の女の子が呼んだ。「とろとろするな、おいていくぞ」
 男の子が駆け出した。二人の姉に両手をとられて、上機嫌で歩いていった。
 夫婦はベンチにとり残された。男は両脚を投げだし、首のうしろで手を組んで、芝を敷きつめた広場の方を眺めた。そこは陽の光がぎらぎらしていて、とても暑そうに見えた。鳩が群れをなして飛び、遠くを大勢の人々がうろつきまわっていた。
 「疲れた?」と女がきいた。彼女も白い帽子を被り、白いだぶだぶのシャツとぴったりしたジーパンを着ていた。
 「睡いよ」と男がいった。
 「いつでも、そればっかり」と女がいった。
 「きょうはここで鳩に餌をやろう。それから宿に帰って、眠るんだ」
 「好きなだけ眠ったらいいよ」と女が笑いながらいった。
 男は眼をつぶった。紙屋町の方から、あの、窓ガラスをきらめかせる建物の並びと、車の喧騒と、人混みの中を歩いてくると、いきなり崩れかけた建物が現れてきたときのことを思い出してみた。あれは衝撃だったな、と男は思った。それから彼らは歩調を速め、その無惨な建物に近よった。建物は一瞬の熱にとろけ折れ曲った鉄骨を中空にぶらさげ、いたるところに千羽鶴をかけられて、人々はそのまわりで記念撮影に余念がない。夫婦と三人の子供たちは時間をかけて建物をひとまわりし、それから元安橋を渡った。白血病で死んだ女の子の頭上で鶴が羽ばたいている像の前で、旗をかついだ制服の若い女性がなめらかな口調で解説をしゃべりまくり、団体さんがずらっと並んで写真屋に撮ってもらっている。旗に従って歩いていく年配の人たち。子供連れの若い夫婦。恋人たち。人々は歩きまわり、笑いさざめき、写真をとりあい、永遠の火と誓いの言葉の碑、それから資料館の階段下の長い列に連なる。……
 女が何かいった。男は眼をあけた。
 「あきこが」と女がいった。「資料館でずいぶん長く見ていたね」
 「ああ、あいつはちびだから、どこへでももぐりこんで、全部見たっていってた」
 「わたしはりょうまのおかげで見るどころじゃなかった」
 「大人が見たってそれっきりだろ。作りものの人形なんかどうってことありゃしない」
 「あきこはあれがいちばん怖かったって」
 「そうかい」
 「せつこはまだあきこほど感じないみたいね」
 男は笑った。
 「アメリカ兵が結構来てるな。岩国から来るんだろうな」
 「そうね。どう感じるだろうね」
 かれらは出てくるとアイスクリームを買い、鳩を見ながらそれをなめ、長い時間、眼鏡の女の子が出てくるのを待った。得体の知れぬ連中が声高に署名を求め、人々は意味もわからず応じている。男は資料館下のコンクリートに男の子と並んで腰かけ、アイスクリームをなめながら、いま買ってきたばかりの峠三吉を読んだ。……
 子供たちが帰ってきた。ふたたび子供たちの意味もないおしゃべり。蝉の声、鳩の声、遠いざわめき、明るい、けだるい午さがり。
 「あきちゃん、ほら、痛くないよ」
 「わたしもやってみる」
 「ぼくもやる」
 「りょうまは大丈夫かな」
 「ぼくもやるもん」
 「こら、この鳩、ボクの手をつついたよ」
 「やっぱりやめとこ」
 「ぼく、鳩になりたいな」
 父親は立ちあがった。立ちあがり、彼の一族を見まわし、もう一度日にさらされた遠くの芝を眺め、それからいった。
 「おい、行くぞ」
 「帰るの」
 「いや、もう一度あそこへ行ってみるんだ」
 「もう見たよ」
 「見たけど行くんだ」
 「どうしたの」と母親がきいた。
 「どうもしない。行ってみたいんだ」
 「いやだな」
 「じゃ、ここにいろ」父親は歩きはじめた。
 「ぼくも行く」と男の子がいった。
 「行くよ、あんたたち」と母親がいった。
 かれらは樹木の下を離れ、ぎらつく太陽の方へ足を踏みだした。ずっとむこうまで、もう日陰はない。芝のある広場を進んでいくと、だんだんかれらはまた群衆の中へ入りこんでいった。しまいに人々をかきわけるようにして、永遠の火を見とおす誓いの言葉の碑の前に出た。そこここにおかれた千羽鶴、石組みのむこうで火が燃え続け、その真上に橋むこうのあの崩れかけたむきだしの丸い屋根が見えた。人々は碑の前にちょっと立ちどまり、言葉を読み、わずかに戸惑いの表情とともにそこを離れ、離れる前に記念写真をとった。他の人々がまた争い、人々をかきわけて前へ進んでいく。シャッター。も少し右。はい。シャッター。行こうよ。もう一枚。
 父親は男の子の手をとって一番前にもぐりこんだ。そこには案外な、人の流れの空隙があった。
 「りょうま、あの火が見えるかい」と父親がいった。
 「ぼく、あの火になりたいな」と男の子がいった。
 「りょうま、お祈りするからね」と父親はいい、手を合わせた。
 男の子は父親を見て、それをまねた。父親が眼をつぶってみせると、男の子は眼と鼻をしわだらけにして堅く眼を閉じた。女の子たちがやってきて、ちょっとはにかんでからまじめな顔になり、日曜学校で習ったやり方で両手を組むと、眼を閉じた。母親がかれらのうしろに立って手を合わせた。人々は押しあい、かれらにぶつかり、何人かが奇妙な家族を横眼でとらえた。
 すると奇蹟が起こった。祈る家族のまわりで、父親が母親が子供たちが若者たちが老人たちが、一人また一人やがて次々と手を合わせ眼をつぶった。
 急に静寂が群衆を支配したかのようだった。
                           (1984年)
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