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まがねとおる

Author:まがねとおる
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盗 難 2

 十六時四十五分で定時は終わる。まにあうように仕事を終わらせて詰所に戻る。何人かは残業しているが、出作業組はみな帰った。暑いさかりに高熱作業をしては、あとが続かない。それにいまから段取りしても中途半端なだけだ。結局しんどい仕事をするものほど、給料が安いことになってしまう。
 津川はこれからまだ作業日報をまとめたり、安全関係の書類をまとめるので時間を食う。五時をだいぶまわってハウス内にある事務室に戻った。事務室には御厨一人だけだった。
 「ご苦労さん」と御厨が言った。
 津川はきょうの書類を提出し、自分の班の残業者を報告して、出勤簿を記入する。それが終わってから、切り出した。
 「御厨さん。問題発生じゃ」
 津川は丸井に聞いた内容を説明した。話を聞き終えた御厨は渋い顔をした。
 「そりゃ、弱ったぞよ。証拠がないんだろ?」
 「証拠は車のキーだと思うんじゃ。安俣がこれを持っとることがわかれば言い逃れできん」
 「ロッカーに置いとる可能性があるかな」
 「可能性はうすいが、試す価値はあるな」
 御厨は机の引き出しから書類を取り出した。各自のロッカー番号を表示してある。番号を確認して、鍵を取り出し、立って書類棚に行き、鍵を開け、予備キーの保管庫を取り出して机に戻った。しばらく探してから、頭を振った。
 「駄目じゃ。予備キーがない。失くしたままになっているのがいくつかあるんだ。安俣のもそうだ」
 御厨は保管庫をもとどおり片付けた。津川が言った。
 「最近、ロッカーで何人かやられとるじゃろ。これも安俣かも知れん。やられたのが丸井で、容疑者がわしの班じゃから、ほっとけんじゃ」
 「構内の車上狙いもしょっちゅうじゃのに、そんな大金をよう車に積んどくなあ。丸井の気が知れん」
 「お金持ちじゃけえな」
 「安俣は風呂に入るかい」
 「いや入らない」
 「ロッカーを開ける方法を考えるか。しかし壊すわけにはいかんしな」
 おたがい沈黙した。やがて御厨が言った。
 「何か方法を考える。しばらく黙っとってくれ」
 風呂へ入っていると、丸井が入ってきた。風呂はよその会社と共同なので、一時間残業組で、そこそこに混んでいる。タチバナの社員は見当たらなかった。丸井はたまたまあいていた津川の隣に来た。
 「御厨さんに話したぜ」と津川が言った。
 「うん。いま上で事情を聞かれてきた。しばらく待ってくれと言われた」
 「彼が責任者じゃから、こっちが勝手に動かんほうがええじゃろう。御厨さんで駄目なら、わしが方法を考えるよ」
 「すまんな」
 「いや、こっちこそ、すまない」
 丸井は車のキーを付け替えるつもりだと言った。どのくらい経費がかかるのか知らないが、そんなことを簡単に言える身分なんだな、と津川は思う。
 「一時間、残業つけろよ」と丸井が言う。
 「みなで一緒に帰ってきて、わしだけ付けるわけにはいかんじゃ」
 「でも仕事じゃなかと」
 「仕事というなら、うちに帰ってもやっとる。でもそれを残業にしたら、現場が納得しない」
 「損な立場やな」
 「いつもこうじゃ。毎日、一時間残業組と一緒になる」

 七時前には、近郊の自宅に帰りついた。家はもともと農家だが、いまは自家消費分くらいしか作ってない。田んぼは休みの日に津川がやり、畑は、妻と、八十代でまだ達者な両親とでやっている。娘も息子も結婚して出て行ったので、両親と津川たち夫婦だけだ。妻はずっと農協で働いていて、津川と変わらないくらい稼ぐ。津川が安月給のタチバナに甘んじてきたのは、結局は自分で考えていたよりずっとずぼらで、転職を考えるのが面倒だったからなのだろうが、境遇に恵まれていたせいもあるのだ。
 だが最初からタチバナにいたわけではない。東京の三流大学に四年いた。酒とマージャンとアルバイトで過ごし、ほとんど授業に出なかったが、試験は名前だけ書いて提出すれば、卒業させてくれた。アルバイトはもっぱら土方か、工場の下働きをやり、そのときに鍛冶屋の仕事をいくらかおぼえた。郷里に帰って、タチバナと同じような製鉄所の下請け会社に、大卒の係員として就職した。当時はまだ高度成長期で、就職先はいくらでもあったが、営業職が多く、気が進まない。ところが、係員の仕事は客先との折衝がおもなもので、結局、営業職と変わらない。数年後には係長になれる見込みもあったが、あまり向いている職とも思えない。 
 そうこうするうち、ある夜、仲間と酒を飲んで街をぶらついていて、つまらぬことで、ほかのグループと小競り合いになり、津川が相手の一人を殴ってしまった。相手がケガをしたので警察沙汰になり、会社に知れて、津川は係員をはずされ、現場におろされた。油まみれになる仕事だったが、むしろそのほうが性にあっているように思われた。ところが給料をもらってみると、基本給が大きく下がっていた。現場はこんな給料で働いていたのかとショックを受けた。もちろん現場には残業があったので、しっかり残業すればむしろ係員をしのぐことも出来たのだが、結局その会社を辞めた。そして、何のことはない、やはり似たような会社のタチバナに来て、気がつけば三十年、安月給を残業で補いながら、次第に不景気になるなかを働いてきた。班長になったのは十年前だ。なりたくはなかったが、入れ替わりの激しい中で、いつのまにか古株になっていたので、仕方がない。
 両親と妻と四人で、一杯やりながら食事にかかる。テレビはニュースをやっている。空梅雨で三十度の日が続き、水不足が心配され始め、学校ではすでに熱中症で倒れる子が出ている。JR宝塚線の事故の影響で混雑する阪急宝塚線では、痴漢被害が倍増した。郵政民営化は先が見えない。小泉の靖国参拝と歴史教科書に反発する中国、韓国との間がギクシャクし、四月には大使館のガラスが割られたし、安保理常任理事国入りは絶望的だ。戦争は終わったとブッシュが言って三年になるのに、イラクとアフガンは泥沼に入っている。トヨタの利益が一兆円。どこやらの部長の年間給与が百億を超えたという。ガソリン価格はうなぎのぼりだ。愛知万博には客が来ない。
 「百億だって……。あんたの給料とちょっとだけ違うわねえ」両親の前でも遠慮のない女房がからかう。「ホリエモンも霞んじゃってるじゃない」
 「金で金を稼いどるやつばっかりじゃ。この連中の使い道のない金が原油の買占めにまわるから、ガソリンが値上がりするんじゃ。迷惑なだけで人の役には立たない連中じゃ」
 「家族の役には立ってるだろうよ」と、おふくろが言う。
 おやじが、おふくろをにらんだ。
 「羊じゃあるめえし、札束食って生きていけるなら、そうすりゃええ。連中を食わせてきたのは、わしらじゃ」
 「おやじ、いいこと言うぜ」
 津川の舌に酒の味が返ってきた。

 御厨が何もできないまま、一週間が経った。すでに噂が流れはじめていた。丸井が漏らしたのだろう。いずれは本人の耳に届く。いまはまだ、周囲がその前の段階でとどめているようで、安俣は何食わぬ顔で与えられた仕事をこなし、出作業があればついてくる。津川は岡野に仕事を教えながら自分の製缶作業をこなしているので、安俣の仕事まで見る余裕はないが、一緒に働いている班員に聞くと、問題なくやっているようだ。出作業先でも、まだわけの分からない岡野は指示されるまで突っ立っているだけで、指示されてもとんちんかんなことをやっているが、安俣はそこそこ飲み込んで自分で動く。誰に対しても、ものおじするようなこともないが、少なくとも津川の前では比較的無口で、でしゃばることもない。だが、津川のいないところでは必ずしもそうでもないようだ。たまたま津川の参加できなかった、つい先頃の飲み会の席で、有家を相手に安俣がなにごとか騒ぎ立て、つかみ合いになりかかった。津川自身、若いときはそうだったのだから、それを聞いたときは特に問題にせず、ただ有家に対して謝らせた。安俣はこだわることなく、素直に謝った。そういう点は如才ないのだが、安俣の性格には何かひっかかるところがあった。おもてづらとは違うものを隠し持っているような感じだ。その感じは、津川の前ではあくまでおとなしく、感情を表に出さず、問われたことには如才なく答える、そういう態度のうちに見え隠れするのだ。
 「あれは油断ならんやつで。津川さんの前では猫かぶっておるけどな」安俣が謝ったあとで、有家が言った。

 「本人を問い詰めるしかないな」と御厨が言った。
 津川はちょっと考えた。おぼつかないような雰囲気を感じたのだ。証拠がないのだから、とぼけられたら、それっきりだ。だが、ぐずぐずすれば、安俣は証拠を隠滅するかもしれない。急ぐ必要がある。しかし、あいまいな問い方をしたのでは、とぼけるに決まっているだろう。違っていれば濡れ衣を着せることになるにせよ、あいまいに聞いたのでは何もしなかったのと同じだ。かといって犯人と決め付けて白状させられなかった場合は、決め付けたことが問題になってくる。どっちにしてもやっかいだ。だが、ほっとくというわけにはいかない。
 「御厨さん、わしに考えがあるから、ちょっと待ってくれんか」
 「そうかい。そりゃ、あんたところの作業員だからな」御厨はむしろほっとした表情をうかべた。
 津川は多少迷ったが、やるしかないと心を決めた。善は急げだ、その日の夕方、詰所に班員が集まって終礼を終えると、津川は何気ない調子で、声をかけた。
 「安俣はちょっと残ってくれ。話がある」
 みなが出て行き、ふたりだけになった。急にクーラーが利きすぎになったような気がしたので、津川は少し温度を上げて、席についた。
 プレハブのせまい詰所の中央部をテーブルがふさいでいるので、椅子を並べると、もう身動きできないような場所だ。一メートルに満たない間隔でテーブルをはさんで、津川と安俣は向かいあった。
 安俣は何の疑念も持たない様子で、メガネごしに津川を見ていた。津川はその眼をまっすぐに見て、軽い雑談のような口調で切り出した。
 「安俣、わしに謝らないけんことがあるじゃろ」
 安俣はいかにも意外そうな表情で、
 「なに?」と返した。
 津川は冷静な態度を崩さずに、いきなり本題に入った。
 「正直に話してくれれば内輪ですませる。じゃが、とぼけるようなら、警察をいれて話をしよう」
 安俣は一瞬強く津川を見たが、すぐに、理解できないという表情に戻った。
 「なんの話?」
 「見え透いたことをするんじゃねえ。土曜日に誰が丸井班の詰所に入ってきて、引き出しからキーを取り出し車を探り当てて、金を持っていくか。おまえしかそんなことの出来る人間はおらんじゃないか。見え見えじゃ。いまここで正直に話せば、悪いようにはせん。それがいやなら、警察へ行こう。好きなほうを選べ」
 津川が一気にまくし立てると、安俣はすぐに目を伏せた。それを見て、勝負は一瞬にしてついた、と津川は思った。一か八かの賭けに出たのだが、安俣は態度で白状してしまった。しかし、まだ証拠がない。証拠を手に入れないかぎり、勝敗は確定しない。しばし、沈黙が支配した。津川ははやる心を抑えて、安俣の言葉を待った。安俣は沈黙を続けた。
 沈黙は永かった。津川は安俣の顔に眼をやって、口を開くのを待った。よくよく見ると、安俣の顔はじっさい小さく、上下に押しつぶされたような顔だ。そこに、ごちゃごちゃと目鼻口を詰め込んである。眉毛が濃く、顔一面の無精ひげとあいまって顔全体がどす黒く見える。その眼にかけた細いメガネは窮屈そうで、安俣の顔をことさら滑稽に見せている。これで当人がおどけた性格ならよかった。だが、そうではないので、かえって何か陰険な感じになっている。
 安俣はまだ黙っている。津川は第二段に出るかと考えた。そのとき安俣が津川をちらっと見て、口を開いた。ぼそぼそとした声だった。
 「警察は困る……」
 ……勝った。津川は心の中で叫んだ。だが、あくまで平静な態度を装った。
 「じゃ、正直に言ってくれ。キーはそこに持っているのか」
 安俣はちらちらと津川を見た。
 「うちに置いてる」
 「あした持ってきて、丸井さんに返せ。そんで、丸井さんに謝れ。金はすぐ返せねえなら、また相談しようじゃねえか。警察には言わんが、御厨さんには言わんわけにはいかん。おまえは仕事ができるけえ、わしとしては手放したくねえが、わしの一存というわけにはいかん。それは覚悟しといてくれ。わかったか」
 安俣は上目づかいに津川を見た。
 「警察には言わんでほしい」
 「それはわしが約束する。じゃから、キーをすぐ返せ」
 安俣はうなずいた。
 「じゃ、きょうはもう帰れ。あした朝一番にキーを返すんだぞ」
 安俣はもう一度うなずき、立ち上がった。安俣が出ていくと、津川は大きく息をもらした。

 翌日、丸井は、安俣がキーを返して謝り、金についてはちょっと待ってくれと言ったので了解したと、津川に言った。
 「お世話になった。ありがとう」
 「わしの班から出た不祥事じゃから、すまんかったのはこっちじゃ。しかし、キーが出てきてほっとした。唯一の証拠じゃけえな」
 津川は一番気になっていたことをもらしたが、丸井はそのことの意味には気づかないふうで、自分の感慨を披露した。
 「津川さん、おれはなあ、安俣にはだいぶしてやったつもりたい。安俣だけやないが、津川さんとこの若い人を土曜日に使うときは、送り迎えして、昼飯と飲み物とおやつを買ってきてやり、午前中で終わっても八時間つけてやったのや。タバコをやったり、酒を一瓶やったこともある。そやっとに、恩を仇で返しよったたい」
 ははん、そういうわけか、と津川は思った。どうりで、誰もかも自分の班の土曜出勤は嫌がるくせに、丸井から声がかかると喜んで出勤する、餌で釣っていたわけか。もちろんそれは部下を上手に使うために必要な方便だろう。丸井はそれなりに努力しているのだ。だが、安給料のタチバナの班長が、それももういい年になって、丸井のまねが出来るわけじゃない。こっちから言えば迷惑な話だ。労働者に変な癖をつけさせているのだ。
 報告を聞いて御厨は喜んだ。
 「すんなり白状したな。だが、この件は課長に報告せんわけにはいかんぞ」
 「やむをえんじゃろう」と津川は答えた。「じゃが、警察沙汰にはせんと約束したから、それだけは頼む」
 「丸井もそこまでは求めとらんから、それは大丈夫だ」
 翌日、出向者の野村と二人になったおりに、野村が経過を聞きただした。津川は白状させた経緯を語った。語りながら、ちょっと自慢話っぽくなっているかな、と津川は思った。
 「正直言うて、確信があったわけじゃねえ。とぼけられたら、証拠もない。じゃが、あやふやな態度で聞いたら、とぼけるに決まっとる。ここは賭けるしかねえが。犯人はおまえしかいないという態度でいくしかない。わしは押し通したよ」
 「さすが、津川さんじゃ」と野村はほめた。
 野村は津川と同年輩で、仕事の腕はいいし、製缶、配管関係の知識にも習熟していて、日ごろ津川は教えられる関係にあった。ただ、いつも自信満々で口うるさい。こういうところが製鉄所の整備関係の班長までやり、業者を使う身でありながら、上司に疎んじられ、出向に出された原因になったのだろうと津川は理解していた。明るい性格でありながら、タチバナでもどちらかといえば煙たがられていた。だが、津川から見れば貴重な人材であり、手放す気はなかった。その野村からほめられたことで、津川はますますいい気になった。
 「御厨さんは、あっさり白状したと言うたが、そんな簡単なものじゃなかった。証拠もなしに断言するんじゃからな、おおげさと思うかも知れんが、とぼけられたときには辞表出す覚悟じゃった」
 「いや、さすがじゃ。まるで刑事ドラマを見るようじゃ」
 何かが少しひっかかった。刑事ドラマ? わしは無実の人間を無理やり白状させる刑事か?
 だが野村は頓着せずに続けた。
 「だいたい、派遣を雇う会社の気が知れん。ろくな人間はおらんじゃねえか。有家にしても仕事はできるか知らんが、態度がでかい。津川さん、なめられたらいけんで」
 「わしはそういうことは気にせんのじゃ。会社は仕事するところじゃけえ、わしは仕事ができるかどうかだけで評価する。そのほかのことはどうでもええ」
 津川は言外に野村自身のことも含めたつもりだったが、野村は少しも気づかずに続ける。
 「岡野を見ろや。まじめでおとなしいじゃないか。ああいう青年を育てていかないけん。そうじゃねえと津川さんの代でタチバナは終わりじゃで」
 「だがなあ、野村さん、それも難しいとこじゃで。仕事ができんあいだは誰でもおとなしいが、そのままおとなしい人間はずっと仕事ができんままじゃ。仕事が出来るようになったやつは、簡単には言うことを聞かんようになる。わしのいままでの経験ではそうじゃ。わしは少々逆らっても、仕事できるやつのほうがええ」
 これはあんたのことを言ってるのだぞと津川は心の中でつぶやいたが、野村はまったく気づかなかった。
 一件は課長から、大島工業の社長に伝えられ、課長は安俣の派遣を断った。大島社長は自腹で丸井に弁済した。以前の盗難分も払われた。ロッカー室での盗難の真偽は分からないままだったが、それもぴたりとやんだ。安俣は大島工業もクビになったと有家が言った。誰も安俣に同情する者はいなかった。有家があたりまえのように言った。
 「馬鹿なやつじゃ。せっかく津川さんが目をかけとったのになあ」

 津川は会社でのことを家庭で話題にすることはまずないが、この件は口がすべった。
 「まあ、会社に泥棒がいるん。恐いなあ」とおふくろが言った。
 「ロッカーの分も含めていくらになるね」と女房が訊いた。
 「いくらか知らんが、大騒ぎにはなっとらんから、ロッカーはどれも小額じゃったんじゃろ。大金をロッカーにおいて風呂に入るやつはおらんわい。丸井の分も含めて数万じゃろ」
 「それで路頭に迷ったん。かわいそうに」
 津川の胸に少し影が落ちたような気がした。
 「百億の給料もらう人と、えらい違いじゃな」と女房が言った。
 津川の胸で何かがはじけた。
 「だからどうしたんじゃ。わしがクビにせえ言うたわけじゃねえぞ。仕事できるやつを失って、わしこそ困っとるんじゃ」
 津川のいきおいに女房は少しひいた。
 「ごめん。そんな怒ることないが。ただ、あんたがちょっと得意そうに見えたけえ、言うただけじゃが」
 「悪かったのは、わしか? そりゃわしが盗られたんなら、内密におさめとるわい。じゃが、よその班の班長が盗られて、それも製鉄所からの出向者じゃ。その上ロッカーでも複数がやられとる。そりゃ、世間でははした金じゃろうが、うちの連中にすりゃ、千円二千円でもこたえる。わしがかばわないけんかったんか?」
 「そんなこと言うとらんがな。かわいそうって言うただけじゃが」
 おやじとおふくろがあっけにとられてふたりの言いあいを聞いていた。その場はそれで終わった。だが、津川の胸はおさまらなかった。夜ふたりの部屋で、津川は蒸し返した。
 「おまえはわしの職場がわかっとらん。十二人のわけの分からん部下を監督しながら、わしはわしで納期に追われながら仕事をこなしとる。いい年して現場の最前線で、これ以上面倒しょいこめるか?」
 「じゃけん、謝っとるが」と女房が言った。 
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