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Author:まがねとおる
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古本屋通信さんへ 14

 ぼくのまずい文章を無視するのでなく、正面から対応してくださったことに、まずお礼を申し上げます。
 その上でブログ上での議論を好まれないあなたの立場にぼくも同意します。おそらく切りがないことになっていくだろうと思うからです。
 そもそも、ぼくは書き方を間違えました。あなたを批判するのでなく、あなたの記事のどれに同意でき、どれに同意できないかという、ぼくの立場の表明だけにすべきでした。もともと、そういう意図だったのです。
 だから、以下は再反論ということではなく、あなたからの批判を読んでの、ぼくの感想という程度に受け取ってください。

 ぼくはマルクス主義者ではありません。マルクスを読んでないのに主義者になれるはずもなく、またたとい読んでもならないでしょう。主義者という言葉になじめないのです。人の考えはそれぞれ違うと思っているので、それを主義者という言葉でくくれるとは思いません。

①②⑧について
 人々は政治家の名前などほとんど知りません。国会議員の名前で人々が知っているのは、よくテレビに出る人と、あとは地元の議員で自分が支持している人くらいでしょう。他県の議員など無名の人にすぎないし、地元でも支持していなければ記憶にないでしょう。
 ましてただの候補や、地方議員はみな無名の人です。
 ぼくは不破哲三批判を書きましたが、それは彼が敵とするにふさわしい人物だと思ったからです。
 誰も知らない武田なんとかさんや、なんとか智子さんをブログ上で批判することにどういう意味があるのか、ぼくには理解できません。
 また彼らへの個別の批判に介入しようにも、ぼくは彼らの文章を読んだことがないので、あなたの一方的な批判を読んだだけでは介入のしようがないのです。介入するためには両方の見解を知っておく必要があるということは理解していただけると思います。介入するためには武田さんや智子さんを研究しなければなりませんが、そのことに時間を割く価値があるとは思えません。

③について
 イリイッチについては、ぼくは異議を申し上げてはいません。「規律違反だから、党として除名するのは当然だが、自分は規律違反をもって批判する気はない。主張の内容を批判するのだ」という見解は前にお聞きしたときに納得しているのです。ただ、武田、智子両氏に対する批判はちょっと違うと思ったのです。

④⑤について
 政党の綱領規約を批判する権利は誰にでもあります。ぼくもずっと批判してきました。ただ特定のほとんど無名の党員が綱領規約に違反していようがいまいが、ぼくには関係ありません。たとえば不破氏が違反すれば、ぼくは批判するかもしれませんが、それは綱領規約に違反しているからではなくて、不破氏が立場上矛盾することをしているというぼくの価値基準によってです。というのは不破氏はその立場上綱領規約への影響力を持っているからです。綱領規約を左右できる人物がこれに違反するのは矛盾である。だが、そこにほとんど影響力を持たない人物が、これに違反する行為をしたとしても、その行為が党にとって問題となるということは認めますが、ぼくにとっては何ら問題とするに足らないことです。

⑥⑦について
 小さな左翼の歴史や主張を掘り起こしておられることの意義は認めます。あなたのブログを読まなければ緑の党の存在さえ知ることはなかったでしょう。これはそういう役まわりをもったブログであって、ほかのことを知りたければほかのものを読めば良いのだと認識すべきでした。この部分は取り下げます。

⑦の後半について
「私はブログで民文が読まれないことを書いたが、全ての文芸雑誌がボツに近い。ずっと以前から文芸雑誌の読者は作家志望者だけだ。これは読者なき文学だ。文学関係者はこれについて考えたほうがよい」
 たいへん手痛い指摘であり、まさに当を得た指摘です。
 ぼくは数日前「民主文学会」について少し書きました。いずれアップする予定ですが、指摘された問題についてはそのときから気になりながら、あまり具体的に書かなかったとふりかえっています。その問題にここで少し触れておきたいと思います。
 おっしゃるとおり、民主文学のみならず、文学雑誌全体が、書き手以外は読まない狭い世界の自己満足化しております。
 多少でも読まれているのは、小説新潮や、オール読物といったいわゆる大衆小説傾向の雑誌でしょう。群像、文学界、新潮、文藝、すばるなどは読まれていません。(すばるは多少大衆的な気もしますが)。
 それでもそれらの雑誌は作家の登竜門としての意義があり、そこから売れる作家が出てきます。
 問題は「民主文学」です。いずれアップする記事で書きましたが、この雑誌は短歌、俳句に見られる結社機能によって成り立っており、アマチュアが作品を発表する機会を提供している。
 とともに、共産党系の人々が買ってくれることで成り立っている。
 ただ、どれだけ読まれているかはたいへん疑問です。いくぶんお義理で買ってくれる人たちと、自分の作品を発表したくて買っている人たち、しかも買っているなかの何割が本当に読んでいるか分からない。どんな意義があるのか。
 いまのところ、ぼくにとっては多少意義があります。こんなもの読むよりもまだ読めていない世界の名作を読むべきじゃないかと感じることはあります。それでも意義があると思うのは、アップ予定の記事でも書きましたが、アマチュアにしか書けないような日本の生活と労働の現実に触れることができるからです。
 でも一般読者にそんなものは必要ではないですよね。少なくとも彼らが小説に求めているのはそんなものではないだろう。しかし、ほんとうはそんなものも読むべきじゃないのかという思いもあるのです。
 ただ忙しい人々に、読んでみなければよいかどうかわからない作品を忍耐強く読めというのは無理があるし、やはり書き手の努力と編集部の能力とが問われねばならないだろうとは思います。
 政治運動と一緒です。いまは何の役にも立っていないようでも、いずれ人々の役に立つ時が来るかもしれないと思ってやっているのです。

 以上、また勝手なことばかり書いてしまった気もしますが、無視されてもよろしいし、石崎にこれだけは言ってやろうということがございましたら、遠慮なく書いてください。
 ぼくは反応するかもしれないし、しないかもしれません。

 なお、通信さんの文章を転載しなかったのはルール違反かもしれませんが、体裁上の都合です。読者はぜひ通信さんのブログを参照して読んでください。
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