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有田 博「救急入院」(民主文学9月号)

 これは小説ではない、作文である。それでも、主人公が吐血して病院に運ばれるあたりは読ませた。なかなか表現力があった。ただその表現が作品全体のなかでは浮いている。何のためにそこにその描写があるのかわからない。そこで表現されたことがあとの物語と繋がってこないのだ。
 とりわけ大場の描き方がよくない。こんなに素敵な人物なんですよとこれでもかこれでもかと書いても、大場は実在の人物ではない、作中人物なのである。作中人物の評価をするのは読者である。この場合主人公が彼を評価しているわけだが、それが作者と一体化してしまっている。読者はしらける。
 さんざん誉めておいて、「実は過去にこんなことがありまして」と大場に懺悔させるわけだが、パターンだ。意外性がない。
 教師同士がおたがい先生と呼びあうのは教育現場独特の風習なのだろうが、無批判に使われると、読む方はたまらない。作者の眼がどこにも感じられないのだ。
 教育現場で異常なことが起こっているのは事実だろう。それをどう表現すれば部外者に伝えることができるのか、部外者を納得させることができるのか、深い考察を要求したい。
 教師は作文に慣れ過ぎて、文学というものがわかっていないのではないかと懸念する。
 おそらく作者は教師か元教師なのであろうが、自分が教師のままで書いては駄目だ。教師を離れて、教師を外から観察して書かねば文学にはならない。
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