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宮崎駿アニメ「風立ちぬ」

 笹本氏の「ものたりない」という評でかえって観る気になって観てきた。
 ぼくは単純だから、単純に感動した。もっとも堀辰雄を読んだのは半世紀前だし、堀越二郎は読んでない、それにアニメへの期待度はもともとそれほど高くない。
 宮崎駿はつくづく空を飛びたい人だ。ただ池澤夏樹を気にしたわけでもなかろうが、今回菜穂子は空を飛ばなかった。最終場面で完全にナウシカの顔になって少し飛んだようでもあるが。ふんだんに幻想場面を入れたのだから、ぼくとしてはやはり最後に二人で空を飛ばせてやりたかった。何故飛ばせなかったのだろうということが気になる。
 アニメという表現手段がよく分かっている人である。実写では表現できないような映像で見せる作品だ。CGを使ったようには見えなかったが、これを手書きした人たちの苦労がしのばれる。何百人もがかかって創りあげる一大事業だ。
「美しいものを作りたい」という欲求に突き動かされる堀越。(美しいものは合理的であり、機能的である。そして自然は美しい)。だが、彼の作った「美しい」零戦は、若者たちを乗せて飛び立ち1機も帰ってこなかった。そこに残されるのは醜い残骸だけである。
「一人や二人に食べ物をめぐんでも日本全国には何万もの飢えた子供たちがいる。彼らのすべてを救うことができるのか。偽善だ」 「この飛行機を作る金で子供たちが一人も飢えないようにすることもできる。矛盾だ」
 こういうセリフのなかに、美しいアニメを作りたくて、おそらく何億という金をつぎこむ宮崎駿その人の戸惑いも読みとれるような気がする。
 近眼で飛行機乗りになれない堀越は、かわりに飛行機の設計者となった。だがあの時代にあってはそれは人を殺す道具を作ることだった。
 震災で、戦争で、飢えで、死んでゆく人々、それに対して無力なばかりか、結果的に加担してしまっている堀越。それゆえ堀辰雄の物語をここに合体させて、無数の失われゆく生命のひとつひとつがいかにいとおしいものであるかを、描き出さねばならなかったのだろう。
 人生は矛盾に充ちている。人はこの矛盾をその人なりに生きるしかない。宮崎駿はその矛盾を矛盾として描きながら、どこかに救いを見出そうとする。
 そしてともかく美に憧れ、ともかく空を飛びたいのだ。

 映画館には夏休みの子供たちもあふれていた。子供たちはそこになにを見るのか。おそらくその映像の美を楽しむだけだろう。だが大人になったときに、「あのアニメは何か難しいことも言ってたぞ」と思い出すのではないか。そしてそこにあったのが単純に飛行機造りを肯定するだけではなかったことに思い到るかもしれない。

 原爆を造った科学者たちは、何よりも、そこにある第三の火の可能性、そして物質の本質に迫ること、原子核が物質の最終単位ではないこと、その本質がエネルギーであることを証明したいという学問的欲望に突き動かされていただろう。
 学者はどこで留まるべきであったのか。堀越二郎はいかに生きるべきであったのか。そして我々はいまをどう生きるべきなのか。

 喫煙場面が多すぎるという批判もある。愛煙家のぼくとしてはむしろうれしいが、嫌煙家は不愉快に感じるかもしれない。だがつい最近までそれは普通の風景だった。その現実を消したのでは時代の日常を表現できないと作者が感じることもあり得るだろう。

 作中、別荘地のホテルの場面で登場する批判的視線を持ったドイツ人にはゾルゲを連想した。(ぼくは耳が悪いので聞き漏らすセリフが多く、この人物もよく分からなかったのだが)。突然ホテルから逃げ出すドイツ人、そして彼と接触した堀越のもとには憲兵が訪れる。会社は憲兵から彼を守る。もちろん彼の技術が会社に必要だからなのだが。このあたり支配者の側の抱える矛盾を垣間見せて面白かった。
 今度は堀越二郎を読んでみよう。
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