プロフィール

まがねとおる

Author:まがねとおる
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

FC2カウンター

カテゴリ

リンク

RSS

「無機質な腐敗」再読

 小説には、こうでなければならないという決まりはないから、これも小説であると言われればそうなのであろう。ただ従来の小説の概念には当てはめにくい。
 従来の小説は、文章によって疑似現実空間を創りだし、それを読者に体験させてきた。
 ところがこの作品にはそれがない。作者ははただ思いつくままにあれこれと脈絡のないことを書きならべていく。
 どちらかと言えば、エッセーふうである。エッセーは疑似体験させない。言葉がそのまま言葉として受け取られ、書きようによってある効果を生む。一般に小説よりも読みやすい。想像力がいらないからである。
 小説はどちらかといえば行間を読む。書かれてないことに想像力を働かせる。この作品の場合想像力の働く余地がない。そういうふうに書かれていないからだ。ただ言葉を言葉として受け取るだけである。
 読みやすいのだが、随所に違和感がある。一行ごとに無関係なことを脈絡なく並べているからだ。
 たとえば、82ページ、下段2段落目、「大企業は……文句が言えた」に続いて、「現場の流れ作業は……」以下、行替えもせずに書いているが、この前後の話はまったく別の話である。前に書かれているのは、その前の段落の「ここでの利点」についての話であり、後の話はそれとは関係ないのだから、段落の切り方を全く間違っているのだ。
 これは一例に過ぎない。前半の文章はほとんどそんな感じで進んでいく。
 ちょっと小学生の作文を読むようでもあり、最近流行りの携帯小説という感じでもある。
 作者はすべてを断言して、読者に対し、一方的なメッセージを送る。これでは想像の余地はない。
 つまりここには読者が味わうべきものがない。一方的に送られたものをそのまま受け取るしかない。
 もっとも、最近はこの種の小説が流行るので、小説というものの概念が変わってきたのかもしれない。
 だから、どう評価すべきか迷うのだ。
 例を挙げればきりがないが、80ページ上段最終行、「潤は、誰よりも純粋であった」。
 こういうところが作文であり、携帯小説なのだ。純粋であると、何の根拠もなく作者から断言されれば、読者は「ああ、そうですか」と黙ってうなずくしかない。本来読者が判断すべきことを作者が判断してしまっているのである。
 そもそもこの潤との関係を父親から反対され、その結果、盛岡から横浜くんだりまで行かざるを得なかったらしく読めるのに、潤は八か月で盛岡へ帰ってしまい、小説世界から消えてしまう。これも脈絡もなく書いたことのひとつに過ぎなかったわけである。
 その会社の寮とはどんな寮なのか。夫婦者(結婚届は出していないにせよ)が入居できるようになっているのか(はっきりしないが同じ部屋にいたようにも読める)、なんにも分からない。
 妙子の意味不明というか場違いな感想が随所に入る。86ページ上段、5の手前、「資本主義とは要するに……」というセリフが何故ここに出て来るのかさっぱり分からない。
 文章の方々で泣き崩れるが、それも言葉だけである。情況の描写がないのだ。
 ついでに言えば、横浜が何故N県なのか分からない。横浜はK県であろう。
 従業員わずか900名、敷地面積わずか19万平米のどこが「巨大な工場」なのか。世間知らずの妙子が巨大と思ってもかまわないが、それを地の文に書いてはならない。
 そもそも三人称で書いたのが間違いであろう。この作品は妙子のモノローグなのだ。最初からそういうものとして書けば、(脈絡のなささえも)結構面白いものに仕上がったかもしれない。(材料は実に豊富なのだから)。
 前半部分について書きはじめたら、ほとんど一行ごとに書かねばならないのでこれでやめるが、後半部分についてはなにも書くことがない。
 セクハラ、ないしレイプという問題を裁判書類上で書いても、読者には何も伝わらない。
 この作品のよいところは、前回も書いたが、派遣労働の実態を、(脈絡なくではあるが)ともかく書いたことである。その点だけは興味深かった。
関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
▼このエントリーにコメントを残す