FC2ブログ

プロフィール

まがねとおる

Author:まがねとおる
無名人
新潟の同姓同名はまったくの他人
以上

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

FC2カウンター

カテゴリ

リンク

RSS

「民主文学」21年4月号

上村ユタカ「偽物」
 若い世代特集にふさわしい、勢いのある作品群になった。
 この巻頭作はとりわけ注目だ。
 コロナ禍で孤立する大学生を描き出して深みのある作品となっている。
 シュールな作品なのだが、それが生きているのは、日常生活の描写がリアルだからだ。大学生らしく、オンライン授業の模様が丁寧に描き出されている。最初はなんのことはないような生活が次第に異常化していく様子に説得力がある。
 よくわからないと言えば、たしかにあまりわかったとも言えないのだが、不思議な感じを抱かせる作品である。
 すべてが偽物であるような世の中を我々は生きているが、しかし、老女が言うように、「偽物の背後には本物の現実(生きた現実)がある」のだ。
 老女と少女と朗助(ろうじょ)――この語呂遊びにも意味を持たせているのだろう。

松本たき子「ある夫婦の話」
 保育園児のいる共働きの40前後の夫婦。家事育児が自分に偏り、職場でのキャリアが取り残されていくことにいらだちを募らせる妻。不満をぶつけたら、夫が協力的になりすぎて、自分の職場での立場を悪くし、転勤を命じられた。
 女性のもやもやとした気持ちを、言葉でではなく、彼女に寄り添って、彼女の日常のなかで描き出して、読ませる小説である。最後の1頁まではほぼ完ぺきな出来栄え。ところが最後で失敗した。最後の逆転で読者に迫るべき作品なのだから、最後をもっと鮮やかに締めなければならない。この部分をたくさん書きすぎている。もっと簡単に、短く、さらっと書くことで劇的効果を狙う。説明してはならない。そこまででもう読者には十分伝わっているのだから、読者の読解力を信頼して、その想像力にゆだねねばならない。最後にきてもうひとつ別の話(夫の後輩の話)など出してくるのは読者の注意を散漫にさせてしまう。それはいらない。「転勤を命じられた」とだけ一言書けば、読者はわかる。ここを電話でのやりとりにしたのは正解である。だから、なおさら、長いセリフはいらない。おたがい顔の見えない関係のなかで、告げる夫と、受け取る妻の、それぞれの表情が読者にイメージとして伝われば、大成功だ。

細野ひとふみ「コロナ禍前夜」
 うまい作品。徹夜マージャンを実況中継的に描いていきながら、並行して、牧牛業従事者たちの、それぞれの働く姿を、重ね書きするようにして描き出していく。よく出来た映画を観ているように感じた。
 やはり、ぼくは働く姿に惹かれるようだ。生きるということは働くことである以上、これはもっと描かれて当然ではないか。
 文体が素晴らしいのだ。文体は作家の個性だから、それぞれ違って当然だが、この人の文体は特にぼくの好みである。
 ただ1個所、冒頭部分、「直幸でさえ」と書いたすぐ後に、「確かに、手の内は煮詰まっている」と書いてあるので、直幸の手の内と思って読んでしまう。そのあとで圭人が出てくるのだが、「親番」なのが直幸か圭人かわからない。ずっと読んでいけばわかるのだが、とまどって、何度も冒頭を読み直した。読者に読み直しを強いる作戦だとすれば、図にはまったかもしれないが、そういうわけでもないだろう。
 終わりかたがいい。最後の1頁は全体としていいが、とりわけ最後の1行でコロナが始まるところがいい。まさしくコロナは誰にとってもこういう始まりかたをしたのだ。

秋吉知弘「飛ばない鳥」
 欲張って失敗した作品。この短いなかに、あれもこれも詰め込むのは無理だ。てんでんばらばらになってしまった。冒頭の酒造りの場面がいちばんよかった。それだけを書けばよいのに、ほかの話をいっぱい詰め込んでしまった。そこで、そのひとつひとつの描写がおろそかになって、イメージがふくらまない。

空猫時也「風渡る野に線路は続く」
 これはよかった。去年のこの人の作品には、才能を感じながらも、やはり「飛ばない鳥」のようなばらばら感と、文章のぎこちなさとを指摘せざるをえなかった。
 今回はすっきりしている。気負いのない素直な文章で、ほとんど作為を感じさせずにたんたんとつづる。たぶんありのままを書いているのではないか。ありのままを書いて作品になるなら、なにもわざわざ作らなくていいのだ。ありのままがそのまま作品となっている。いや、作者に上手に騙されているのかもしれないが、これがフィクションだとしたら、それはそれで構わない。いずれにせよ、作品として成功している。
 生きづらい人生を生きてきて、20歳を過ぎてから、発達障害の診断がくだった。いままで接してきたいろんな記事では、病名が付いたことでほっとしたという例が多かったが、この主人公の場合は、それを死刑宣告のように受け取って絶望してしまう。人間の反応はさまざまなのだなと改めて思う。
 後半から、列車の運行にことよせて、次第に回復していく心境を描いていく。ここが効いていた。作品に詩情を持たせることに成功している。
 金子みすゞは引用すべきではなかった。その詩は素晴らしいのだが、それが入ると、作品が作家の手を離れてしまう。自分の文章だけで完結させるべきだ。
関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
201: by 民文一読者 on 2021/05/20 at 18:11:30

他国、先進国などの事情は知らないが、日本には純文学系だけでも群像、新潮、すばる、文学界、文芸などの月刊誌が多数出版され、近くの図書館にも置いてありますが、定期読者は何を期待して購読しているのだろう。
将来、芥川賞などめざしている自称作家なら理解できるというものですが、圧倒的な多数はどうなんだろうか。
小説なら何でもありというのは・・・少し、違うような気がするのです。
以前、「映画『ドレイ工場』の頃」というのを読んだが、おもしろかったという印象が残っています。個人の経験と思うが視野、視点が広い社会や労働組合、労働者階級、労働現場、渦巻く反権力との闘争や争議だからかもしれない。
民主文学のスケール(長さを計る物差し)には社会的一貫性(広くは反戦闘争など)が必要ではないかと思っているがどうなんだろう。

200:おやおや by 石崎徹 on 2021/05/20 at 15:59:58

 やはり小説は読者それぞれですね。ぼくには、「飛ばない鳥」以外のすべてがたいへん興味深かった。雑誌はむしろ、いろんな傾向のものを載せるのがよいのかもしれない。

199: by 民文一読者 on 2021/05/19 at 20:22:30

4月号の若い世代5作を読んでみたが、一週間後には殆ど思い出せないというか、印象にないので、再度、ざっと流してみたが文芸評論家ではないので「んー」というか、回りくどいような感じでした。
しいて一つを選ぶなら「飛ばない鳥」が一番、読みやすかったといえます。
民文小説とは何ぞや? ひろい社会の読者に対して、何が言いたくて書いているのか? がよくわからない。
個人的に置かれている不合理からの叫び? なのだろうか。

▼このエントリーにコメントを残す