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小説修業

 しばらくブログを書かないつもりだった。頭のなかが、小説を書くように準備されていない、と強く感じたからだ。雑文書きに馴れてしまって、雑文用の頭になってしまっているので、当分離れなければと感じた。
 で、何日間かは小説に取り掛かってみた。1日1枚書けば、1ヶ月で30枚、3ヶ月で百枚だ、簡単だ、と思ったが、すぐに挫折した。挫折して雑文に戻ってしまった。
 いまつくづく感じているのは、小説を書くのは絵を描くのと一緒だということ。
 むかし、ヘルマン・ヘッセが「詩人になるかさもなくば何者にもなりたくない」と心しながら、「音楽家のためには音楽学校、画家のためには美術学校があるのに、詩人のための学校がない」と嘆いた。ヘッセは詩も書いたが、小説で名を成したので、ここで「詩」と言っているのは「小説」のことだととってもいい。
 たしかに小説家には修業の場がない。大学には文学部があるが、あれは小説を研究する学問であって、小説を書く修業の場ではない。小説家は独学で修業するしかない。
 そのせいもあって、ややもすると、小説には修業が必要ないかのように、うっかり思い込んでしまう傾向がある。だが、結局小説は論文ではないし、芸術なのだから、絵や音楽と同じこと。思いついたら書けるというものではない。やはり修業が必要なのだ。
 その修業は、たぶん絵を描くのと同じことだ。デッサンとスケッチ。まずここから始め、これを徹底的にやらなければ、小説なんて書けるものではないのである。
 体験を書いた小説がなぜリアルかと言えば、デッサンとスケッチとがひとりでに備わっているからだ。フィクションを作り上げようとしたら、そういう基本から始めなければならない。
 ということに遅まきながら、いまごろ気づいたのである。文章修業ではない。文章修業も必要だが、文章が上手なら小説を書けるわけではない。雑文は書けても小説は書けない。小説はデッサンとスケッチだ。
 で、やってみた。構想を考えずに、とりあえず。デッサンとスケッチに取り掛かった。デッサンとスケッチだから、人物なり、シーンなりを、それきりで短く書けばいいのだ。いくつか書いた。ところがじきにそれを繋げたくなって、繋げてしまった。で、結局構想にぶつかった。先を急ぎすぎたのだ。
 ふりだしに戻ろう。デッサンとスケッチだ。そこから先へは行かないことだ。構想なしに、切れ切れの人物像とシーンとを書き溜めていく。それがたくさん溜まれば、きっとそのうち何かの構想がひらめく。のだと信じてやり直そう。
 何かを始めるには遅すぎる年齢だが、ずっと小説とは無縁の人生を生きてきたのだから、やむを得ない。いつまで生きられるという保証はまったくないが、さりとて明日死ぬと決まっているわけでもない。だからともかくやってみる。ブログはできるだけ書かない。でも我慢できなくなれば少し書く。ストレス発散だから。
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