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ロビンソン・クルーソー

ダニエル・デフォー「ロビンソン・クルーソー」鈴木恵訳 新潮文庫 2019年
久米穣訳 ジョルジョ・スカラート絵 講談社 国際児童版 世界の名作3 1982年

 この本は夜眠る前にだけ読んで、昼間は違う本を読むつもりだったが、だんだん何も進まなくなったので、半分くらいから昼間も読んでようやく読み上げた。
 文庫本で500ページ、子供のときの記憶とはまるで違う。主人公は27年間を無人島で生きる。そこに到達するまでがかなり長いし、無人島では20年くらいは一人きりだ。フライデーが登場するのは終わりのほうになってからである。ロビンソン・クルーソーと言えば、オウムとフライデーと、木に刻みを入れてカレンダーにする、その3つが印象的だったが、実際はそんなことは話のなかのほんの一部に過ぎない。
 衣食住の工夫が大部分である。じつに詳しい。体験がないのになぜこんなにリアルに書けるのだろうと思ったら、モデルがいた。
 児童版の解説に書いてあった。この本はたまたまうちにあった。妻がむかし買ったらしい。40年も前の本なのに、2000円もする。A4版の固い表紙の箱入りの上製で、すべてのページがオールカラーの絵入りである。文章はわずかなのであっという間に読んだが、わずかでありながら、原作に書いてある内容を一応すべて網羅している。それでいて子供に分かりやすく、面白く書いている。なかなかすぐれものである。
 その解説にモデルを紹介していた。スコットランド生まれのアレキサンダー・セルカークという青年が船長に反抗して無人島に置き去りにされ、4年4か月後に救出された。記者たちが詰めかけて取材し、詳しく報じた。1771年と書いてあるが、1717年の間違いだろう。デフォーはすでに57歳だったが、激しい興味を示して小説に書き上げ、1719年に発表した。という経過のようだ。
 原住民をみな人食い人種であるかのように書いているのは偏見だろう。人食いがあったかどうか知らないが、あったとすれば、そこにはそれなりの事情がある。デフォー自身書いているが、スペイン人が現地人を虐殺した。野蛮人は現地人であるよりも、むしろヨーロッパ人のほうである。勝手に人の土地に入ってきて殺しまくるのと、自分たちの土地に入りこんできた得体の知れぬ者たちに用心するのとでは事情が異なる。
 だが、まあ、そこは時代的限界として、そのわりには的確な考察も多い。
 ロビンソンは人食いの現場を目撃して、気分が悪くなり、奴らを皆殺しせずにはおくものかと、いっとき考えるが、やがて冷静になって、彼らは彼らの風習に従って生きているだけだ、自分に危害を加えようとするなら戦わねばならないが、そうではないのだから、自分には関係のないことだ、それを勝手にこちらから殺しに行くのでは、自分のほうが罪びとだ、そんなことは許されない。と考え直すのである。
 でも、その心は揺れている。ロビンソンは確固たる考えで生きているのではない。常に心のなかは揺れている。物語のヒーローではなくて、悩める現代人なのだ。
 一人きりであったときには孤独に苦しみ、生きている意味を探し求め、後半になって原住民の姿がちらつき始めると、身の危険におびえる。生き抜くための衣食住の仕事は勤勉にたゆまずやり抜きながら、心のなかは平静ではない。デフォーはロビンソンを内と外と両側から描く。
 フライデーを原住民の人食いの対象から救出したのは、決して人道的動機だけではない。召使を手に入れれば、孤独からも救われるし、何かと便利だし、それに島から脱出する手段も見つかるかもしれない、という打算もあった。
 フライデーにはまず英語を教える。その過程でロビンソンが気づいたのは、これは決してヨーロッパ人と比べて劣っている人間ではない。むしろ我々より優れた能力を持っている。それなのに文明の違いが、彼らに野蛮な生き方をさせている。ということだった。この上さらに文明の違いは優劣ではないというところまで気づけばもっとよかったが、それは時代的制約で、ヨーロッパ人の視野の狭さとして勘弁しよう。
 ロビンソンはフライデーにキリスト教を教える。この本一巻がじつはキリスト教の伝道書でもある。ロビンソン自身は非宗教的人間であったが、孤独のなかで生き抜いていく支えとしてキリスト教に目覚めていく。フライデーに対しては、ヨーロッパ人の習俗を学ばせるためにキリスト教を教える。
 ところがそこにじつに面白い展開がある。デフォーがキリスト教徒でありながらもやはり現代人で、合理的な懐疑精神を持っていたことが読みとれる。
 フライデーは率直に疑問を口にする。
「神が全能であるなら、なぜ、とっくに悪魔を殺してしまわなかったのか」
 ロビンソンはどう答えていいかわからない。フライデーは頭がいいのだ。そしてそこで立ち止まって考えるロビンソンも合理的な頭の持ち主である。彼はフライデーの疑問を的確な疑問であると判断し、自分自身その答えを探し求める。こうして、生徒が教師になり、教師が生徒になる。いままでいい加減にしかキリスト教を理解していなかったことに気付き、ロビンソン自身、より深く信仰について考えることになる。
 デフォーの宗教的立場はプロテスタントで清教徒である。イギリス国教会やローマカトリックに対しては批判的だ。カトリック司祭の異端裁判に付されるくらいなら食人種に食われるほうがましだと、ロビンソンに言わせたりする。
 だが、「ペスト」の記述でもそうだったが、宗教には寛容である。ペストのあいだ、清教徒と国教会とが協力しあったのに、ペストが収まってくるとまた対立し始めたと言って嘆いている。
 プロテスタントに改宗したフライデーと、ローマカトリックのスペイン人と、現地宗教のフライデーの父親と、3つの宗教がいっとき島のなかで共存することになったのを、ロビンソンは島の支配者として信仰の自由を認める立場をとる。
 新潮文庫にはもともと「ロビンソン漂流記」があったようだが、鈴木恵による新訳版は2019年に出たばかりである。その直後にデフォーブームが始まったことを思えば、タイムリーだった。原文は古い英語であり、しかもかなり思いつき的な文脈で、話があっちこっち行き来して読みにくいものらしい。それを、原文の雰囲気を壊さないように、しかも読みやすいものに訳した。読みやすく、面白く、17世紀から18世紀にかけてのイギリス人とその社会とを知る絶好の本である。
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