FC2ブログ

プロフィール

まがねとおる

Author:まがねとおる
無名人
新潟の同姓同名はまったくの他人
以上

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

FC2カウンター

カテゴリ

リンク

RSS

心の性

「心の性」と言われていることについて、それを語るには多少でも関連本を読まなくてはと思って控えてきたが、なかなか読めず、いつまでも引っかかるので、とりあえず疑問を述べてみる。無知による初歩的な疑問かもしれない。ご指摘をいただきたい。
 要するに、生物学的な心と、社会的学習による心とがちゃんと区別できているのだろうかという疑問である。
 生物として、遺伝情報が人間の心をなにがしか支配して、そこに肉体的だけではない精神的な性差が、なにがしかありうるのだろうとは思う。
 だが、人間には第二の本能と呼ばれるものがある。生まれたときに備わっていたもの以上に、生まれてのちの生育過程で社会的学習によって身に着けたものが大きく影響する。
 男の心、女の心と人々が言うもののうち、いったいどれだけがほんとうに生物学的な心なのか。ぼくが思うのはほとんどが学習によるものではないかということである。
 ピンクの服を着たがらずにブルーの服を着たがる、スカートを嫌って、ズボンをはきたがる、髪を伸ばしたがらず短髪を好む、だからこの子は体は女だが、心は男だ。
 そういう馬鹿なことを言う人はもう少数派かもしれないが、心の性と言われているものの実態はほとんどその手のものなのではないか。
 そのうえでさらに疑問に思うのは、こういう社会の目が、個人の心に逆照射して、そこにゆがんだ性自認が生まれてはいないかということだ。「おまえは女らしくない。男みたいだ」と言われることで、「自分の心は男かもしれない」と考え始める、ということはありえないだろうか。
 白状してしまえば、「心の性」という考え方自体に疑問を持っている。そんなものがあるのか。男だろうが、女だろうが心のなかはさまざまで、これが男で、これは女だというものなどない。ただ社会がそれを決めつけるので、個人がそれに惑わされる。
 もちろん、ホルモンバランスというものがあるらしいから、ある程度の生物学的心の性差というものはあるのだろう。男が女に惹きつけられ、女が男に惹きつけられる。でも、そんなもの例外はいっぱいあるし、どこまでがホルモンか、どこからが学習か、とても区別できるは思えない。
 社会の目が人間を強制し、人間を苦しめている。体の性と心の性とが食い違うという自認自体が社会的強制ではないかという疑問がある。すべてがそうだとは言わないが、社会の目から受ける勘違いによる自認も多くはないかというのが、ここに提出しようとする疑問なのである。
関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
▼このエントリーにコメントを残す