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ラノベについて

「民主文学」6月号に、中村恵美がライトノベル論を書いている。かなり多角的に論じていて感心したが、結局、ラノベの周辺からの論で、ラノベそのものの内実に立ち入っての論ではないように感じた。たぶん、この著者も、ぼくと同じで、ラノベにあまり食欲がわかないのだろうと同情した。
 普通の小説を読んできた人間にとって、ラノベを読むことはかなり苦痛である。2ページも読むと、もうその先を読み進むことはできない。だから、作品の外からは論じることができても、作品の中に入って論じることができない。
 ところが、いまの読者はこのような作品のほうが読みやすいのだ。ここにはすでに乗り越えがたい壁があるように見える。
 ぼくも読んでないので外からの論になるが、外からどう見えるかということを書く。
 描写が存在しない。シーンの情景描写も、人物の描写もない。あらすじだけを読まされる感じ。文学を読んでいるという感じがしない。
 オリジナリティがない。興味を引くような人物も内容もない。
 絵のない漫画を読まされる感じである。ぼくは漫画を好きなんだが、それは絵が、ぼくの想像力を刺激するからだ。ところがラノベは絵のない漫画だ。考えようによっては、読者の好きなように、いかようにも想像できる媒体であると言えるのかもしれない。ラノベの読者はたぶん書かれてないことを自分の想像力で補い、膨らませて読むのだろう。作者は素材だけを提供する、そこから先は読者が描いてくれということなのかもしれない。でもそれでは作者なんかいなくてもいいような気がするのだが。
 どのような創作物にしても、作者があまりにも素材を限定的に描いてしまって読者の想像する余地を失わせてしまっては、鑑賞するに値するものとはなり得ない。けれども、逆に、骨だけ書いて、肉体や衣装は読者が勝手に作ってくれというのでは、最初から作者なんかいらない感じがする。読者は創造物のなかに、作者の何らかのメッセージを読み取ろうとするのだ。
 また逆から見ると、骨だけを読まされる読者は、作者の提供する骨に、あまりにも安っぽいメッセージしか読み取ることができないのではないか。実際のところ、その作者は骨以上のものを与えてくれないし、そもそも持っていないから与えることもできないのではないか。
 と書いたが、これは2ページ読んだだけで放り出した人間の感想だ。これ以上は書きようがない。
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