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20年度民主文学新人賞

[受賞作] 宮腰信久「孤高の人」
[佳 作] 中 寛信「病院で掃除のアルバイトをするということ」

 読者はもちろんそれぞれだが、ぼくは、佳作のほうに強く惹かれた。
 文体の魅力というものを、存分に感じさせてくれる作品である。独白体なのだが、饒舌調というのとも違う。途中で一カ所「このレポート」と書いているが、たしかに報告文という趣きを持っている。つまり、饒舌調にありがちな自己心理へのこだわりというのではなく、主人公の目に映る周囲の世界を描いている。ただし、決して傍観的ではなく、主人公の感性にとらえられた世界なのだ。そこは主人公の労働現場であり、労働を通して主人公のなかに入ってくる世界である。労働しながら実況放送している感じ。そこでは、客観世界と主観世界とが絶妙に交錯して、独特の世界を作り出している。しかも、静観していない。動いているのである。生きて、働いている。そうすることでつかみとる世界である。
 表題のとおり、病院で掃除のアルバイトをしている。だが、気楽なアルバイトではない。10年間のひきこもりを経た30代の男性が、父親の急死によって収入源を失い、母親はうつ状態で頼りにならず、必要に迫られて働き始めたのだ。社会生活の経験がほとんどゼロである。すべてが手探りなのだ。
 そういう設定について、選者は厳しい指摘をしている。ひきこもりになった経過と、たちあがった経過とが、どちらも説得力に欠けるというのだ。なるほど言われてみるとその向きもなきにしもあらずである。リアリティを厳しく問えばそういうことになるだろう。
 けれども、ぼくは、この文体を前にしてそういうところは小さな欠点にすぎないように思えた。この奔流のような文体の迫力は、小さな問題をすべてのみこんでしまう。
 病院の掃除という仕事が、じつにこまごまと書かれている。それでいて読者を退屈させない。なぜなのか。それが文体の魅力なのだ。どこかとぼけた味わいがあって、過酷な現実がありながら、読み手を息苦しくさせないのだ。
 掃除の手順とともに、掃除という業界の複雑な仕組みもわかりやすく描いてみせる。現代の労働現場の縮図のような世界である。
「働くということは、道路にあいた穴を埋めるということだ」という亡父の格言が繰り返し、主人公を元気づける。同じ言葉が何度も出てくるが、決してしつこくない。歌詞のリフレインのような効果をもたらす。
 迫力ある地震の場面で始まりながら、その話がそれっきりになってしまったことを選者が指摘している。たしかに、はぐらかされた感じはする。でも、ぼくは読み終わったときにはもうそんなことはどうでもいいような気がしていた。
 話の展開につれて、登場人物たちの意外な面が出てくるのもこの作品の強みだ。魅力的な関西弁の女性ナラさんの、65ページ最後のセリフは読者をぎょっとさせる。人物を枠にはめることを避けている。
 せりふをすべてカギ括弧なしに地の文にしたのも成功である。登場人物がカタカナ表記であるのも正解。この文体にふさわしい選択だった。

 さて、この作品を読んでしまうと、受賞作がいささか霞んでしまうのもやむを得ない。
 受賞作もいい作品なのだが、この作品と比べると、どうしても平凡に感じてしまう。
 高校教師の話。なるほどと思ったのは、加納教師をありきたりの理想的人物にしてしまわなかったところだ。途中まで理想的人物に見えていたこの教師が酒乱になってきたという噂が、視点人物である後輩の俊彦の耳に漏れ聞こえてきて、最後にその現場に立ちあうことになる。なんとも弁解のしようもないとんでもない酒乱ぶりである。結局辞表を出して秋田の故郷に帰ってしまう。まだ40代だ。
 生徒たちを簡単に切り捨てず、長い目で見て指導していくという加納の理想がうまくいかなかったとき、加納の歯車が狂い始める。「僕はやっぱり、一匹狼だったよ。教育というのは集団の営みだよね。自分だけ正しいと思って突っ走ってもうまくいかない。僕はいつの間にか、仲間がいることを忘れていた」
 そういう挫折によって去っていった加納だが、その晩年は秋田の田舎で不登校の子供たちを集めて学習塾を開いていたという。
 この作品のいいところは、いま見たように、加納を型通りの理想教師にしなかったことと、視点人物の俊彦が出しゃばっていないこと、冒頭のエピソードは別として、あとは観察者、記録者の位置にとどまり、加納の相手としては、山田という柔道教師を登場させている、つまり俊彦は客観的な位置にいる。このことが作品を、それらしくさせた。
 ただ、まさに国語教師の文章なのだ。折り目正しく、乱れのない、癖のない文章、つまり、面白みに欠ける、没個性的な、国語作文的な、文章である。佳作作品と並べてみると、それがどうしても際立ってしまう。
 なお、百枚程度の短い作品に、プロローグ、エピローグは似合わない。
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