FC2ブログ

プロフィール

まがねとおる

Author:まがねとおる
無名人
新潟の同姓同名はまったくの他人
以上

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

FC2カウンター

カテゴリ

リンク

RSS

「『異邦人』の読み方」補遺について

「『異邦人』の読み方」補遺を書きかけて行き詰まり、中断している。
 この小論では三つの方向から書きたかった。1、筆者の誤読部分について 2、死と宗教、無神論について 3、読者と「異邦人」について
 1の誤読部分についてはじきに書き終わった。2に来て筆が止まった。この問題は当然この小説の一番大事なテーマなのだが、カミュはそれを理屈っぽく語ることを避けている。それは作品全体を通じて、ムルソーの生きるうえでの態度として現れ、そして最後に、司祭への怒りの発露として爆発する。
 結局、作品がすでに十全に語っている内容を、要約するということは不可能なのである。論者はこれを論じようとしたら、小説の第1ページからムルソーのふるまいを一つ一つ取り上げていかねばならないし、最後の場面は、もう全文引用する以外にない。
 それを避けようとすると、論者は作品から離れるしかない。作品から離れて自分の言葉で語ることになる。それでは「異邦人」論にならない。
 ときどき素人の書く評論を読むことがあるが、引用部分以外は完全に作品から離れて、勝手に自分の個人的見解を述べていることが多い。こういうものは読む気がしない。我々はあなたの見解を聞きたいのではなく、作品が語っていることを解読してほしいのだ、と言いたくなる。
 だから、どういう方法が可能であるか。作者自身の言葉を持ち出してくることができるのではないか。「異邦人」には幸いにして、サルトルが「異邦人」の哲学的解釈と評した「シジフォスの神話」がある。われわれにしても、「異邦人」一冊で「異邦人」を理解したわけではない。「異邦人」の直後に「シジフォスの神話」を読んで、セットで受容したはずなのだ。カミュ自身の言葉で、「異邦人」を読み解くこと、そうすれば、論者の独断という批判を免れることができるだろう。
 と、ここまでは考えたのだけれど、その「シジフォスの神話」を読み直す時間が取れない。幸い、この本は、新しい文庫が手に入ったので、読み始めればすぐに読める。いま、本のタイトルは、「シーシュポスの神話」になっている。よりフランス語に近い発音に替えたのだろう。翻訳者が同じか、訳文がどうなっているか、まではまだ確認していない。
 読むべき本がたくさんあって、なかなかそこまで行きつかないのだ。
 という段階である。
関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
▼このエントリーにコメントを残す