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「ペスト」を読み終えた

「ペスト」を読み終えた。素晴らしいとしか言いようがない。ちゃんとした感想はまた今度書くとして、きょうは、あまり作品そのものと関係ないことを書く。
 66年版の新潮文庫上下2冊各100円=全200円で読んだ。
 線引きがすごい。いたるところに線を引いている。そして書き込んである。その書き込みがどうも見当はずれで、いま読むと笑ってしまう。66年10月の印刷だから、すぐ読んだとしても、すでに20歳になっていた。授業にも出ずに一人きりで生きていたのだから、まあ、その程度の(誤読まがいの)レベルだったわけだ。
 線引きのあるのは理屈の部分だけである。今回は、そういうところよりも風景描写とか、そういう、つまり場面の描写に惹かれるものを感じた。地の文が、しっかり書き込まれている。小説世界がずっしりとした存在感を持っている。
 最近いわゆるライトノベルが描写をおろそかにしているのが気になっていたが、「ペスト」を読みながら自分の小説を振り返ってみると、ぼくの小説だって、ラノベと似たようなものじゃないかという気がしてきた。ぼくの小説もセリフに比重があって、地の文は戯曲におけるト書きに過ぎないようなところがある。
 また、そういう点が、「ペスト」は「異邦人」ともかなり違う。「異邦人」にもあちこちに心に沁みるような情景描写はあったが、どれも極めて短かった。「ペスト」は長々と書く。現在の読者には向かないかもしれないが。
 20歳のぼくの愚かな書き込むを見ると、「異邦人」「シジフォスの神話」の内容と照らし合わせているような部分がかなりある。当時読んだ順序がわかるような書き込みだ。そのうえイワン・カラマーゾフやキリーロフの台詞も出てくるので、どうやら「ペスト」を読んだのは、ドストエフスキーの次だったのだなとわかる。
 それは妥当な順序だったかもしれない。カミュ自身が、明らかにドストエフスキーの影響のもとに書いている。
 リウーとタルーとの真夜中の海水浴が印象に残っていて、先に読んだ妻も「あの場面はよかった」と言ったので期待したのだが、頭の中で印象が膨れ上がっていたのか、その部分の再読の結果はちょっとあっけなかった。
 オトンの小さな息子フィリップの死ぬ場面は涙なしには読めない。
 タルーについては少し不満が残った。十分な収入があって働かなくてもいい身分らしいのだが、どういう収入なのか書いてない。父親は検察官で、家庭生活では文句のない父親だったが、裁判所では一変する。この場面、「異邦人」の検事とその裁判とを彷彿とさせる。父親の裁判を傍聴したせいで、それまで父親に抱いていた親愛の情を失ってしまい、18で家を飛び出し、種々の職業に就いた。と言っても勘当されたわけではないから、父親の死後遺産があったのかもしれない。ヨーロッパには働かずに金利収入で食べているような人物が小説中にわりと出てくる。特に説明が必要なことではないのかもしれない。
 死刑に反対してヨーロッパ中で運動してきたという人物らしい。タルーの人生観に死刑の与えた衝撃についてカミュは長々と書いている。これを読むと、「異邦人」は死刑反対の小説だったようにも思える。
 登場人物一人一人について書いてみたいが、それはまた今度ということにしよう。
 ただ、「ペスト」と「異邦人」の人物を、オトンと予審判事、タルーの父親と検事、パヌルーと司祭、リウーの母親とママン、ランベールの恋人とマリイ等々と並べてみると面白い。かなり共通項の多い両作品である。にもかかわらず、その違いもまた相当大きいのだが。
 キリスト教の問題が、ヨーロッパ人にとっていかに大きな問題であるかがわかる。「異邦人」でもそうだった。
 ひとつ注意を引いたのが、ペストの初期において、死者の数が発表されても、だれもピンとこなかった、というのは、そもそも、ふだん人はどのくらい死んでいるものか、だれも知らなかったからだと書いてある。
 これがぼくも今度のコロナ騒ぎで最初から気になっていたことなのだ。それでちょっとネット検索してみた。
 日本にいる日本人だけの統計だが、高齢化の進展に伴って、ここ数年死亡数は増加の傾向にあり、ほぼ百三十万人、毎年死んでいる。癌37万人。心臓20万人。老衰10万人。脳血管10万人。肺炎9万人。事故4万人。誤嚥性肺炎4万人。腎不全2万人。認知症2万人。自殺2万人。
 といった具合である。
 インフルエンザはどうなのか。年によって大きく違い、2018年には日本でインフルエンザで3000人死んだという数字があるのだが、真偽不明である。そもそも、インフルエンザは季節性であって、年で統計を取っても意味がない。シーズンでとらねばならない。18年というのが、日本特有の、なぜか、学校、役場、企業などが共通して使っている制度=所謂「年度」を意味するのなら、インフルの統計には好都合なのだが。
 インフルエンザははたして死因として分類されるものなのかもわからない。インフルエンザが原因でも直接の死因は肺炎ということにならないだろうか。それはコロナにも言えるかもしれないが。
 さて、そこで、コロナの死者(日本の)は多いのか、少ないのか。いまの時点ではまだ何とも言えないようだ。あしたが見えないところに怖さがある。
 感染数というがほんとうは感染確認数であって、検査していないのだから、感染数は不明である。やっとそれだけ確認できたという数字だろう。
 死者数はほぼ合っているんだろうが、毎日130万人÷365日=3600人は死んでいるのだから、その死者の感染の有無を、一人一人調べるわけでもないだろう。完全な数字ではない。
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