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仙洞田一彦「餓鬼の転職」(「民主文学」20年4月号)

 結果から言えば面白かったのだが、冒頭の数ページは難儀した。仙洞田さん、どうしちゃったの? という感じ、いつもの仙洞田小説の切れがない。ごたごたしている。何度も中断してため息をついた。
 第二章に入ってがぜん面白くなった。ストーリーが動き始めたのだ。
 結論から言うと第一章は全部要らない。第二章から入る。もっと言えば、本屋での出会いから始めてもいい。そこから物語はスタートするのだ。そこまでは物語のための背景説明である。これはストーリーの展開に合わせて、その都度挿入していけばいい。それもこんなに詳しくは要らない。ストーリーに必要なだけでいい。
 いつもの仙洞田小説はそうなのだ。冒頭から話が展開して読者を誘い込むのである。今回に限り、なぜこうなったのか。
 以下推察だが、この小説の少なくとも冒頭部分は、作者の生い立ちをそのまま書いている。すべてが事実なので、作者には書きたいことがたくさんある。ストーリーに必要かどうかなんて考える余地がない。あれも書きたい、これも書きたいと書いてしまった。その結果がこれなのだ。
 人はフィクションを書くとき、ストーリーに必要なことしか書かない。ところがそれも逆に問題なので、ストーリーに必要なことだけだと、いかにも作り話になってしまう。そこで、慣れた作者は必要ないことを適当にいくつか散りばめる。ストーリーには必要ないのだが、それがあることで話が真実っぽくなる。
 ところが本当のこと、とりわけ自分自身のことを書き始めると、まったく逆の現象が起こる。ストーリーとは関係なしに、あれもこれも書きたくなる。それが失敗なのだ。
 自分には大事なことでも、読者にはどうでもいいことはたくさんある。けれども、小説は読者のためだけに書くのではない。自分の書きたいことを書くのでもあるのだから、要するにバランスなのだ。どこかで釣り合いを取らねばならない。
 町工場の描写は冴えていた。あそこはもっと書いてもよかった。文学の集まりには一年通ったわけだから、あそこはちょっと書き足りていない。すっ飛ばしてしまっている。いくつか印象的な場面が欲しかった。特に、そこで魅力的な女の子の登場があればもっとよかった。と願うのはぼくの嗜好かな。
 ラストがいい。「おまえは世間知らずの餓鬼だ」と切り捨てられて、そこでしょぼんとしてしまうのではありきたりだ。「餓鬼だ、餓鬼だとうるせい。餓鬼だって餓鬼なりに苦しんでいるんだ」と開き直って、反発している。社会的にどうこうの問題ではなく、ここに前に進もうとする一人の若者の、その個人の活力を見る。ここで読者は励まされる。読後感はとてもよかった。
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