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「まがね」原稿開始

 茨木のり子は自分のやっていることを吹聴しない人だったようで、朝鮮語を勉強していることを誰も知らないうちに、韓国の詩人の詩を翻訳、出版するところまでいっていたという話だ。
 けれども、ぼくは彼女と違って怠け者なので、宣言しないと何もしないので、ここに表明しておく。「まがね」62号の原稿にやっととりかかった。「タイムマシン」の完結編30枚を、3月じゅうに書き上げる予定。なんだ、一日一枚じゃないかというが、まさしくそうなのだが、そうやって自分を励まさないと、もう何も書けない年齢になっているのだ。
 ただし、一日一枚とはいかない。今回意識して消しゴムで書いてみようと思う。これ、安部公房が言ったのだ。50年前からそれは知っていたが、今回初めてほんとうにそういう気持ちでなければ書けないと思った。
「まがね」に復帰して、はや10年になる。ところがまともな作品は一作も発表できていない。書評か、エッセーか、さもなければ旧作でお茶を濁してきた。新作の現場物を二つ書いたが、これは二つとも失敗作だった。30年以上のブランクで、小説づくりの勘が衰えていた。
「タイムマシン」は2013年に書きかけて止まっていた。一昨年、編集を担当することになったのでともかく何も出さないというわけにはいかないので、「前篇」ということにして出した。去年は後編を書くつもりだった。ところがさまざまな問題をかかえていたうえに、いざ取り掛かってみると、まったく筆が進まない。一文字も書けずに弱ってしまった。
 ぼくの小説作法はこうだ。さまざまなラストがもともと頭にある。こういうラスト場面を書いてみたいなというのがあるのだ。そこへある日出来事が降ってくる。まったく頭で創り上げることもあるが、実際の出来事にヒントを得ることが多い。だが、それだけではまだ書けない。配役が決まらねばならない。書きたい人間のモデルももともと頭にある。ぼくは長い人生のわりに交流範囲は狭かったが、それでもいつか書いてみたいと思わせる人間は何人もいる。その人間たちがぼくのストーリーにピタリとはまってくると、書けそうになってくる。もっとも、現実の人間そのままではない。幾人かを切ったり張ったりする。だがまだ書けない。人物たちの名前が決まる必要がある。これが案外重要なのだ。名前のイメージがぴったりしないと書き出せない。そして最後に、書き出しの一言が出てこなければならない。これが最後の関門である。まず最初の一言がいる。
 最初の一言が出てきたら、あとは半分筆任せである。だが、若いころと違って、いまは筆任せだけでは書けなくなった。否、筆任せだけでは、冗漫になり、うまくいかない。コントロールが要る。でも基本は筆任せなのだ。筆任せとは何かというと、その小説の文体が決まってしまったので、それに従って書いていくということだ。そうすれば人物たちはそれぞれ文体に乗って動いてくれるし、ストーリーは彼らが勝手に運んでくれる。
 というはずだったのだ。いざ書こうとする前までは、そういう思惑だったのだ。ところが一文字も書けない。なぜ書けないかというと、5年間放置していた作品なので、しかもかなりいつもと違う文体なので、その文体が戻ってこないのだ。ぼくは文体でものを書く人間だから、文体が戻ってこないと一文字も書けない。書けないとストーリーが始まらない。結末は頭にあるが、ストーリーは頭にはないのだ。それはぼくの場合、書くことによって生まれてくる。だから書かねば生まれない。だが、文体が戻らねば書けない。ということなのだ。
 そこで、ぼくは前篇を何度も何度も読みなおした。読み直して書きながら文体を取り戻していった。そういう手順を踏んだので、後篇にする予定が狂ってきた。物語が前に進まなくなった。序破急にするつもりだったのを、起承転結に変える必要が生じた。つまり、「破」や「転」の前に、「承」を入れる必要が出てきた。そこで、去年の号は「中篇」になった。
 しかもたいへん評判悪かった。それはそうだろう。もともと一年に一回しか出ない雑誌に、連載物を書いて、前回の話を覚えておけと言うほうが無理だ。そのうえストーリーが前に進まないのだから退屈してしまう。
 それでも、去年だってやはり消しゴムで書いたのだ。ほんとうはもっとずっとたくさん書いたのである。自分で読んでも退屈だと思ったから、たくさん消しゴムで消したのだ。ぼくなりに苦労はしたのである。
 と、またしても退屈な文章を並べてしまったが、さて、今年である。3月じゅうに書き上げる。というのは去年自分の作品にいつまでもかかったせいで、編集担当でありながら、他の作家の作品に目を通すことができなかった。校正ができなかった。フリーパスしてしまった。おかげでかなり誤字脱字が出た。今年は厳密にやる。校正を著者任せにはしない。編集者として責任をとる。そのために、自分の作品は3月じゅうに終わらせる。
 それも、去年に増して消しゴムで書くつもり。というのは、今年も、昨日、前篇中篇読み通してみたが、やはり去年と一緒で文体が浮かんでこないのだ。いっときかなり絶望し、途方に暮れた。書けないじゃないか、どうしよう。そのとき安部公房の言葉がよみがえったのだ。そういう方法がある。まず何でもいいからともかく書く。たくさん書く。なんでも書いてよいなら、いくらでも書けるはずだ。書くだけならいくらでも書ける男である。そしてあとから消しゴムで消していく。何か残れば、それが作品になるはずだ。
 だから、最低60枚は書く。一日2枚書く。そして半分を消しゴムで消す。
 さて、はじまり、はじまり。
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