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「異邦人論」あとの祭り

 書いたものが本になってから読み直すと、だいたい不満がいっぱい出てくる。本にする前に気づけばよいのだが、なかなかそうはいかない。
「異邦人論」を編集者に送って、校正の段階だが、早くも不満が出てきた。でも、あとの祭りだ。手を入れるとなると、大幅に書き直すことになり、校正どころじゃなくなる。
 この小説は、要するに読者がムルソーに共感できるかどうかがポイントだ、ということに今更気づいたのだ。ムルソーに共感した人にとってはぼくが書いたようなことは言わずもがなだし、共感できなかった人にとっても、やはりそうなのだ。
 ぼくの異邦人論も、結果としてはそういう趣旨を込めてあるつもりだが、もっと最初からそこをはっきり打ち出して書けばよかった。
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136:石崎『「異邦人論」あとの祭り』2020へのコメント by 高原利生 on 2020/02/11 at 20:58:31 (コメント編集)

1.異邦人について多くのブログ「ムルソーとはなにか」2019などが書かれていた。それらを2月になるまで読んでなかった。読み、ショックだったので書く。

2.ムルソーに共感する人が、今、いること自体が信じがたい。異邦人から個々に学ぶべき点は大いにある。それは書き分析すればよい。この前提で述べる。
「社会の不条理vs個人(敗北すべき英雄)という構図」(瀬崎峰永さん)は1942年の小説ならあり得た。今はこの構図は少ない、或いは、ない。根拠は次の二つ。
・80年前と違い、当時の「不条理」は一方で解決している。植民地はなくなり、死刑廃止はEU加入条件にさえなっている。一方で日常化しているものもあり、親や子を殺すことは毎日のニュースになっている。異邦人は、ギリシャ悲劇やシェイクスピア悲劇にくらべて、今は表面的小説になった。
・それに、反合理主義や機械打ちこわしなどの反技術・科学のように、Aと非Aの表面対立が何ももたらさないことは歴史の教訓である。表面的非Aは容易に「ええかっこ」の偽善になる、今は、なっている。

3.「ムルソーとはなにか」2019については別に書かせてもらう。

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