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「異邦人論」にもらったコメントに

 瀬崎さん、ありがとう。
 カミュが時代遅れになったわけではないと教えてもらって、とても救われた気持ちです。あまりの落差なので、ぼくはもう引退すべきときなのかとさえ思っていたのです。でも、たぶん、たまたま、今回「異邦人」を読んでもらった人々とのあいだで文学的感性が合わなかったということなのでしょうね。ただ、ほかの人にもあたってみて、「ペスト」は感動したが、「異邦人」には感動がなかったという回答もありました。それで、今年のふくやま文学の合評会では、ぜひともみなさんに聞いてみたいと思っています。
 今回「異邦人」を読み直して、(老化現象で涙もろくなったせいでもありますが)いまでも読むたびに泣けてくるのです。そんなぼくは異常なんだろうかという疑問が湧いたりしたのです。
 ところが、正月で6人の孫と遊び惚けているあいだに、少し気分がカミュから離れてしまいました。今月中には書き上げねばならないのだけど(樹宴で発表するつもりなので)、気分屋なので、気分の乗らないときは前に進まないで困っています。

 40年前に、書こうとして目を通した資料を参考までに挙げてみます。
「直感」新潮社 1974年
「太陽の讃歌」新潮社 1973年
「反抗の論理」新潮社 1971年
 以上三冊はカミュの若いとき(20歳前後)の日記です。
「幸福な死」新潮社 1972年
「異邦人」に先だって書き、発表しなかった作品。「異邦人」とも共通性があるが、「太陽がいっぱい」も少し連想させる。
「若き日のカミュ」高畠正明 山梨シルクセンター出版部 1971年
「カミュ」ジャン・オニミュス ヨルダン社 1973年
「アルベール・カミュ」P・ソディ 紀伊国屋書店 1972年
「カミュ」エマニュエル・ムーニエ 審美社 1972年
「カミュの異邦人」ベルナール・パンゴー 審美社 1975年
「カミュ論」アデル・キング 清水弘文堂 1973年
 これはどういうわけか、同じ本が二冊ある。
「シチュアシオンⅠ」サルトル 人文書院 1972年
 ちなみに、年数は、発行年ではなく、買った本の印刷年です。
 こうして並べてみると、ほんとうにこれだけ読んだのだろうかという疑問も湧きます。というのはその内容をいまでは覚えていないからです。でも、パラパラとめくってみると、ところどころ線を引いてあります。若いころは線を引きながら読む癖があったのです(いまはしませんが)。
 ぼくが気に入らずに無視したという本はたぶん、ジャン・オニミュスです。次のような箇所に線引きがあります。
 10ページ <良心の欠如した男ムルソーは>
 80ページ <この主人公(ムルソー)は完全に不毛の人間であり、その生きる姿を見ればすべては見せかけにすぎず、その装飾の背後には何もない>
 82ページ <ところが我慢できないのは、まさに、このほかになにかを持たないということである。こうした生活は「人生」とは言えない。物語全体がそれとなくそのことを暗示し、そのようにして悲劇につながっている>

 いま全体を読み直す余裕がないのですが、カミュについて一冊の本を書くくらいだから、おそらくカミュの全体にはそれなりに高い評価を与えているのだろうと思います。たまたま「異邦人」を批判している部分が癪にさわっただけなのかもしれません。当時それらの本を、どこまで読んだのか読まなかったのか、いまとなってはわかりません。なにぶん50年前、20代のときなので、ぼくにとってははるかな昔で、たとえれば江戸時代のことを語るようなものです。
 著者について、とくにキリスト教関係者という記述はまだ見つからず、出版がヨルダン社なので、勝手にそう思っただけかもしれない。

 今回、これらの本を読み直す余裕はなく、いまぼくの持っている方法論だけで「異邦人」を読み解いてみたい。こういう読み方をしてみたらどうですか、というものを書いてみたいと思っています。
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コメント
128:ジャン・オニミュス by 石崎 徹 on 2020/01/23 at 14:48:46 (コメント編集)

 コメントありがとう。今回、ジャン・オニミュスを読み直さずに、部分の記憶だけで書いたので、ひょっとしたら、ぼくの誤読かもしれません。いずれ落ち着いたら、読み直してみます。

127: by 瀬崎峰永 on 2020/01/23 at 00:06:43

ヨルダン社の著者が本当にそんなことを書いていたのだとしたら、その人は『異邦人』がさっぱりわからなかったのでしょうね。
ムルソーが異邦人として社会から追放(断罪)されたのは、「母が死んだら泣くものだ」「アラブ人を殺すには憎悪が必要だ」とする社会の欺瞞に満ちた要求にムルソーが応えなかったからで、社会がそれ自身を維持するための「正しさ」に、ムルソーは意味を見出せなかった、もしくは意味がないと見抜いていたがために死刑になってしまった、というお話です。社会の不条理VS個人(敗北すべき英雄)という構図がしっかり記されているのに、読み手が社会の側に立ってムルソーを不毛で無内容な男だと断じてしまったのでは、話の面白さがちっとも伝わらない(笑)
まあでも、そんな見当外れな批判が出るくらい、『異邦人』は新しかったのでしょうね。

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