FC2ブログ

プロフィール

まがねとおる

Author:まがねとおる
無名人
新潟の同姓同名はまったくの他人
以上

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

FC2カウンター

カテゴリ

リンク

RSS

実存は本質に先立つ

 朝日で中村文則の連載小説「カード師」を読んでいる。つくづく連載小説というのは読むのも書くのもたいへんだと思う。いま新聞の活字が大きくなったので、連載小説は一日分が882文字しかない。原稿用紙2枚分だ。その分量で毎日読者を納得させながら、日と日とがつながるように書かねばならない。いまのところこの作者はうまくやっている。だから読むのはたいへんじゃないが、書くのはたいへんだろう。
 読むのがたいへんなのは「民主文学」の連載だ。今度こそ毎月読もうと思って一回目を読むが、結局挫折する。一か月間こころざしを持続するというのが簡単じゃない。そんなわけだから、一年に一回しか出ない「まがね」に三回連載の「タイムマシン」など、まあ、読めなくてあたりまえだろう。
 朝日の日曜版(土曜版かな)には桜庭一樹が手塚治虫の「火の鳥」を連載している。こちらはあまり面白くないが、手塚が何を書こうとしていたのか、という興味で読んでいる。どこまでが手塚の原案なのか不明だ。漫画を小説にするというのは、これも難しいと思う。絵で書く部分を言葉で書かねばならない。すると説明的になってしまう。現状は絵のない漫画という感じで、中途半端だ。いっそ、漫画というムードを無視して、完全な小説として書くべきだった。

 ところで、そういうことを書きたかったわけじゃない。ここからが本論。
 中村文則がその主人公に「実存は本質に先立つ」と言わせた。なんと懐かしい言葉だろう。この50年間聞かなかった。なんだかうれしくなってしまった。やっと同志を見つけたという感じ。彼はまだ42才だ。そのこともうれしい。おれたちの時代が完全に終わってしまったわけじゃない。
 ところで、実存は人間存在のあり方を意味するが、いまふと思いついたのは、これは人間存在に限らないのじゃないか、ということだ。先般から気になっている工学的思考法の問題が頭に浮かんだ。工学畑の人は、まず設計図を書く。紙の上にしろ、頭の中にしろ、ともかく設計が先である。しかる後それに従って物を組み立てる。つまり、存在の前に、その存在に関するイデアがある。それゆえに、イデアのない存在を彼らは想像しにくいのじゃないか。
 だが、現実には、物はまず存在する。誰が設計するわけでもない。どこかにイデアがあるわけじゃない。物質だろうと、生物だろうと、まずそこに存在するのである。この存在に関するイデアなるものは、存在のあとから人間的思考方法に従って秩序付けたところの、その限りでのイデアに過ぎない。本質があって存在があるのじゃない。存在はまず無前提にそこに投げ出されている。
 言葉にできるのはいまのところまだここまでだ。つまりこれ以上のことをぼくはまだ把握できていない。だから説明できない。しかし、この間に起こった工学系の人たちとの認識問題上の不一致というのは、こういう問題なのじゃないかという予感がある。
 少し続けてみると、「人間は」「社会は」「かくあるべき」という方向での論理展開は無意味だとぼくは思っている。
 ぼくは「人間は」「社会は」「現実にどうあるのか」という方向でしかものを考えない。
 つまり、それらはすでに与えられているので、それを把握することがすべての出発点である。しかもなおかつ、それらはまだ与えられていないとも言いうる。何故なら、それらは日々変化していくから。

 ぼくが小説を書く立場だから、それでこういう考え方になるのかもしれない。
関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
107:「実存は本質に先立つ 」へのコメント by 高原利生 on 2019/12/27 at 11:46:46 (コメント編集)

 存在は事実の要素なので、人が本質などを考えることに先立って「ある」。これは、当たり前である。
 ところが「実存は本質に先立つ 」という美文は、この当たり前の意味を捻じ曲げて別の何かを伝えていた。
 今は、これを石崎さんが、「工学系の人たち」と設計の誤解によって、『「人間は」「社会は」「かくあるべき」という方向での論理展開は無意味だ』という人類史否定の有害論理に捻じ曲げる。
 2019年9月の石崎氏ブログ「高原氏への若干の疑問」では、石崎さんにとって「存在は関係」ではなかったのか?この「問題」は、どこにいったのか。
 工学上の設計に限らず、どんな設計も、事実の認識から始まる。「高原氏への若干の疑問」の論理学の設計も事実から始めていることは何度も言ったとおりである。
 相手を理解しないと批判はできないし、今までの積み重ねの上でしか進展はない。もう一度、「高原氏への若干の疑問」等への私のコメントをお読みいただくことをお願いする。

▼このエントリーにコメントを残す