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スターリン

 中国問題での朝日の記事に一箇所間違いがある。
 <日本共産党はソ連のスターリン、中国の毛沢東の時代に中ソ共産党と対立し、決裂した>
 これは正しくない。ぼくの記憶が違っていれば指摘して欲しいが、日本共産党の分裂時代に、スターリンとの関係がどうだったのか、そこはまったく知らないが、統一後の、宮本体制下でのソ連との決裂は、フルシチョフがスターリン批判をしてからだ。日本共産党はむしろスターリンを支持する立場からフルシチョフを批判し、毛沢東と手を握ったのである。
 フルシチョフの平和共存政策、部分的核実験禁止条約の問題があった。このとき社共が対立し、日本の平和運動、市民運動、ひいてはゆくゆく、労働運動まで分裂させてしまうという非常に不幸な時代を招くきっかけとなった。
 けれども毛沢東が文化大革命というメチャクチャなことを始めたので、これとも手を切ることになった。このころになるとフルシチョフも失脚し、ブレジネフらによるいわゆるトロイカ体制になっており、日本共産党がソ連への批判的姿勢を若干修正したように見えるのは、スターリンを批判したフルシチョフが失脚したからで、日本共産党はまだスタ-リンを批判するには至っていなかった。このころベトナム訪問団が、口先ばかり勇ましい中国からの支援は少なく(貧乏だったから仕方ないのだが)、平和共存路線にかじを切ったはずのソ連からの物的支援が対米戦争を支えている、という現実を持ち帰ったことからも、口先よりも現実を見ることの大切さを、日本共産党が学んだとも言えるだろう。
 赤旗はモスクワに支局を開設したが、北京にはできなかった。北京とは激しく対立し続けた。
 スターリン批判を始めたのがいつからなのか、それはぼくには記憶がない。少なくともスターリン時代ではない。フルシチョフ時代でもない。もっとずっと後のことである。
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