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「コンパクト」「鉄砲百合」そして「八月の遺書」

「コンパクト」と「鉄砲百合」が面白かったというコメントをもらったので、読み返してみた。その感想を書く前に、能島龍三「八月の遺書」に、ひとこと触れたい。これも読んだときは引き込まれて読んだのだ。ところが一月以上経って内容を忘れていた。今回まだ読み直してはいないが、めくっていて内容を思い出した。もう一度読むつもりだが、これは重要な作品である。従軍看護婦が中国での生体解剖に加担した、させられた、という重い話をめぐって、さまざまな角度から書いている。読み捨てにはできない作品だと思う。後日また触れる。
 さて、「コンパクト」は確かによかった。だが、「鉄砲百合」はどうかな。両作品の書き出しはこうである。
 <森田道代が共同保育所の保母になって十二年が経ち、施設長として働いていた一九八八年のある日>(コンパクト)
 <一九九九年十一月末の夜、夫と二男の三人分の夕食後の洗い物を済ませ、一日の終わりに一息ついて新聞を広げた私は>(鉄砲百合)
 年代を明らかにして始まる、似たような書き出しである。ところが受け取る側の印象はまるで違う。少し読み進んだだけで、前者の年代明記は素直に受け取れるのに、後者には、なんだかそぐわない感じがしてくる。それは最初のうち、ぼんやりした感じで、理由がよくわからない違和感なのだが、最後まで読むとはっきりしてくる。
 前者は、特殊な障害を持った子を預かる話で、医学や、保育や、その他もろもろの社会事情が絡んでくるので、ぜひとも年代を明らかにする必要がある。取り上げた問題がひとつに絞られており、そしてそれはその年代に起こったことなのだ。
 後者は、その年代が話のきっかけに過ぎない。小説の実際の内容は、その1999年からさらに何十年もさかのぼって、主人公の小学生や中学生のときの話であり、1999年11月末のある夜という書き出しがなんともそぐわないのだ。むしろ、小学生のときが何年ころだったのか、そこで書けばよかった。と、思ったら、そこでも書いている。<私は一九五五年四月、山肌に沿って六つの集落が集った村里のほぼ中心に位置する小学校に入学した>
 大げさな表現だと感じませんか。例えば次のように書けばまるでイメージが違う。
 <私が小学校に入ったのは、一九五五年ころだった>
 人間は時代の雰囲気のなかで書かれるべきなので、もちろん何年の話なのかということは重要である。ただし、ほとんど個人的なことを書こうとするときに、<何年のことであった>などと書かれると、読者は引いてしまう。そんな大げさな話なのかという気がするのだ。
 という感想をぼくは持ちました。もちろん、読者はさまざまです。
「コンパクト」はたいへんいい話で、構成も文章もしっかりしている。ただし、タイトルがそぐわない。もっとぴったり来るタイトルがありそうなものだが。
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