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アルジェリア略史と異邦人

 アルジェリアを含むマグレブに、もともと住んでいたのはベルベル人である。ただし、これはギリシャ人からの呼称で、わけのわからない言葉をしゃべる連中という意味だそうだ。古代の遺跡が発掘されている。
 最初に征服したのはジュリアス・シーザーで、ローマ帝国の版図にとりこまれた。やがてキリスト教がローマの国教となると、ここにも入ってくる。キリスト教哲学の父と謳われるアウグスティヌスはアルジェリアの出身である。
 600年ころ、日本では聖徳太子から大化の改新のあいだくらいだが、アラビア半島にマホメットが生まれ、たちまちのうちに、地中海東岸・南岸からイベリア半島まで、征服する。世にいうサラセン帝国である。だが、これもヨーロッパ人による呼称に過ぎないそうだ。いまはイスラム帝国と呼ぶらしい。
 この時代に、支配者としてアラブ人が入って来るとともに、混血も進んだろうし、ベルベル人の文化的アラブ化もあって、人口比率が大きく変化してくる。
 やがて1500年ころ、今度はオスマントルコが征服する。室町時代の終わりころである。トルコはアラブ世界全体を支配下に収めたが、その支配構造はアラブの機構をそのまま流用したようだ。これが300年続いた。
 1800年代、もうじき明治維新というころ、オスマンのアルジェ太守がフランス大使を扇で打つという事件が起こり、ナポレオン後のブルボン王朝復活期だが、フランスが軍隊を派遣、全面的な戦争に発展し、結局オスマンを追い出してフランス領としてしまった。1830年のことである。
 そのときから、1962年の独立まで、130年間にわたってフランスの支配下に置かれる。
 スーダンがふたつに別れたいま、アルジェリアの面積はアフリカで一番広い。だが、その大部分はサハラ砂漠である。人口は地中海沿岸に集中している。地中海海洋交易の拠点港として発展してきた。背後はすぐ山だが、農地もあるようで、葡萄の産地だ。
 現在、人口4000万人、アラブ人が8割、ベルベル人は2割だが、62年の独立の時点では、全人口1000万人、そのうちフランス人が百万人であった。この百万人はほとんどがフランス本土に逃げ帰り、本土で差別されたという。
 普仏戦争で、アルザスがプロシャに奪われたとき、大勢のアルザス人がアルジェリアに流れてきた。カミュの祖先もそうである。彼らはアラブ人の土地を奪いとって自分のものとした。しかし必ずしも豊かだったわけではない。カミュも貧しい家庭で育っている。「だが、アルジェでは、海と太陽とはただである」
 フランス人は海岸地帯のアルジェ中心部に住み、その背後にそびえる山岳地帯が、アラブ人のスラムだった。これがカスバだ。解放戦線はこのカスバを拠点として都市ゲリラを戦った。そこは一歩入ると出口を見失う迷路である。
 アルジェリア在住のフランス人たちは、自分たちのことをアルジェリア人と称していた。フランス国籍を持たない原住民は、アルジェリア人ではない。彼らはアラブであり、モールなのだ。
 ドゴールが独立容認に踏み切ったとき、カミュでさえ、(独立の直前に死んだが)、これに反対し、ドゴールの裏切りを責めた。そこで生まれ、そこで育った者にとって、そこは祖国だった。だが、アラブ人にとっては、彼らはあくまでも「招かれざる客」である。独立戦争では何十万人も死んでいる。
 第二次大戦後の独立運動は多かれ少なかれソ連と社会主義の影響を受けていた。社会主義でないまでも、少なくとも世俗主義だった。解放戦線がそのまま政権にすわり、あるいはエジプトやトルコのように共和革命や軍事クーデターで成立した政権は、どれも独裁的ではあったが、宗教的ではなかった。
 だが、独立後も苦しい生活、政権の腐敗、専横、無能、などが、次第にイスラムを台頭させていく。一方に独裁政権、他方にイスラム原理主義。
 カメル・ダーウドのように、独裁政権にもイスラムにも屈しない人間は、まさに「異邦人」なのかもしれない。

「ムルソー再捜査」は「異邦人」を読んですぐ読むと、その機知の鋭さに舌を巻きながら読んでいくことになるが、引用と比喩で構成された文章は、必ずしも読みやすくはない。だが、あきらめずに最後まで読んでほしい。はじめのうち、まわり道ばかりしているように見える文章が、次第にそれ自身のストーリーを語り始める。<僕>による第二の殺人が起こり、美しい女子大生の恋人も現れる。物語は躍動してくる。そして終盤、逮捕され、尋問される。ムルソーの物語がそっくりそのまま繰り返される。
 なおそこに至る過程で、まだイスラムが支配的ではなかった独立直後のアルジェ、それが次第に息苦しくなっていく様子がうまく表現されている。
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