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カメル・ダーウド「もうひとつの『異邦人』ムルソー再捜査」  鵜戸 聡訳 水声社 2019年 2200円(税込)

 名作である。カミュのファンにはぜひ読んでほしい。「異邦人」を、ムルソーに殺されたアラブ人の側から書きなおしたものだ。「異邦人」そのもののフレーズとイメージで埋めつくしつつ、しかも、それを裏返し、アラブ人の物語として成立させた。
「異邦人」が半世紀以上にわたって避けがたく持ち続けた、たったひとつの傷を、この作品がみごとに修復した。この二冊はセットで読まれるべきだ。

 今日、マーはまだ生きている。
 と、始まり、
 僕の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、僕を迎えるだろう。
 と、終わる。

 ここにあるのは原作に対する限りない尊敬と、フランス人であるが故に書けなかった部分=アラブ人の視点を補おうとする誠実な努力だ。しかし、その筆調は、原作への皮肉に満ちており、読者は読み進むごとにそれを見出して、笑ってしまう。その見事な皮肉のために、笑わずにはおれないのだ。作者が何度も、ほとんど暗唱するほどに、原作を繰り返し読みこんでいることがわかる。
 引用は、「異邦人」からだけではない。「シジフォスの神話」からの引用を二箇所見つけた。引用と断って書いているのではない。本文のなかになにげなく書かれている文章が、引用だらけなのである。ぼく自身はカミュを読まなくなって久しいので、気付かないが、おそらくほかのさまざまなカミュ作品からも引用しているのだろう。

 舞台はアルジェリア第二の都市、「ペスト」の舞台にもなったオランである。それがちょっと残念。なぜアルジェではないのか。アルジェで書いたほうがイメージがより重なり、豊かになっただろうと思われるのに。だが、それにはたぶん作者なりの理由があるのだろう。
 オランのバーで、ある人物(僕)が、ムルソーの事件をアラブ人の側から語る。彼はムルソーに殺された男の弟で、彼が語る相手は、「異邦人」をポケットに外国からやってきたファンか研究者だ。
 カミュが「異邦人」を書き上げたのは1940年、27歳の時だが、出版されたのは1942年である。バーの男は殺人事件があった時間軸を、その年、1942年のこととして語る。しかも作者は、ムルソーとカミュをわざと同一人物視させて、殺人者が「異邦人」を書いたごとくに、彼の主人公に語らせる。
 殺人のとき、<僕>は7歳である。カメル・ダーウドがこの作品をフランスの出版社から出したのは2014年、じつはその前年にアルジェリアですでに出版されていた。カミュ生誕百年の記念であった。
 作品のなかで<僕>が語っている時間軸を現代、すなわち2013年とすると、それは事件から71年後であり、<僕>はすでに78歳だ。だが、語る内容は、7歳から始まって、アルジェリア独立の1962年、<僕>が27歳(カミュが「異邦人」を書いた年齢と同じ)のころのことだから、翻訳者はこれを老人の思い出話ふうには翻訳しなかった。若者の言葉らしく訳した。日本語にはそういう問題があるので、そこに翻訳者の苦労の一端を見る。
 バーには、語り相手のほかにもバーテンダーや、それから、ずっと彼らの話に耳を傾けている謎の男がいる。最後にこの男はじつはろうあ者で言葉は聞こえないのだ、ということが判明する。唇を読むことはできるらしいが、じつは彼は何も聞いていなかったのかもしれない。そして彼が語っている相手とは何者なのか。これはたぶんほんとうはバーにいるのではない。我々読者こそが聞き手であり、彼はわれわれに向かって話したのだ。
 引用と比喩とで、たいへんに凝った複雑な構文になっているので、翻訳者はずいぶん苦労したようだ。ちなみに翻訳者はまだ若い。38歳くらいである。その苦労の末の翻訳を読んでもわからない箇所はたくさんある。引用や比喩が、その直前の文章に向けられたものなのか、それとも直後の文章に向けられたものなのか、判断に迷うところがある。カメル・ダーウドがどちらともとれるように書いたのか、それとも翻訳の問題なのかわからない。将来の課題だろう。

 カメル・ダーウドは1970年の生まれ。49歳だ。独立から8年後の生まれだから、この本に書いた時代を実際に経験しているわけではない。オランのフランス語新聞社の記者としてコラムなどを担当する一方、小説もフランス語で書く。この作品は何冊目かである。
 アルジェリアは独立戦争をたたかった解放戦線から引き継がれた独裁政治のもとにあり、他方には、イスラム原理主義がある。ダーウドはその両者を批判する立場である。背教徒として、イスラムの一派の指導者から死刑の宣告を受け、一方では独裁政権がその指導者を脅迫罪で告訴するという複雑な地政学上の世界に生きている。
 カミュを読んだのは、「シジフォスの神話」が先らしい。そこから関心を持って「異邦人」へと進んだ。
 フランスの新聞記者たちが来ては「異邦人」についての意見を聞こうとする。それにいらだったのが、この作品を書くことになったきっかけだという。

 今回久しぶりに「異邦人」を読み直し、また「もうひとつの異邦人」も読んで、得たものは大きかった。

 話はときたま現代のアラブ世界にも及び、イスラム原理主義が目立ち始めたのが、じつは1990年以後であること。即ちソ連の崩壊以後だ。ソ連のアフガン侵略や、アメリカによるイスラムの利用。社会主義への幻滅と、イスラム主義の台頭。こういった背景に対して、62年当時(作者はまだ生まれていなかったとしても)と、現代のアルジェリアとの、風俗の変化などをさりげなく書くことで、貴重な証言を与えてくれている。
 さまざまな意味で収穫の多い本である。
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