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村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

 この本を読み終わったら村上春樹について何か書いてみよう、そう思っていた。
 ぼくは春樹の良き読者ではない。読みはじめたのは最近のことだし、多くを読んだわけではない。それでも数年前の秋、集中して「ノルウエーの森」「羊をめぐる冒険」「海辺のカフカ」「1Q84」を読んだ後、これらの作品についての、語りたいと思ういくつかの言葉が心の内で出番を待っているのを感じてきた。
 最新作を読めば何かまとまった言葉が出てくるだろうと思っていたのだ。
 だが読み終えたいま、春樹についても、この本についても、できたら何も語りたくない気持ちだ。
 ぼくの心はこの本にすっかり共振してしまった。理由はよく分からない。ぼくが最近あまり文学的でないものしか読まなかったせいかもしれない。あるいは春樹マジックに騙されているのかもしれない。ぼくの心は静かな感動に満ちていて、何か言葉を発すればそれが壊れてしまいそうな気がするのだ。
 春樹の文章は決して濃密ではない。日本語を奥深く味わわせてくれるような、いかにも文学的なそれではない。むしろ翻訳文学を読むような、あっさりした、素っ気なくさえある文体である。そこには思わせぶりなものはなく、単純明快で、いっそ大衆小説的でさえある。
 ストーリーにも特別なものは何もない。ただ高校時代の仲良し五人組がその後たどらねばならなかった人生についての記述であるにすぎない。そしてどの人生も実はよく分からない。
 主人公たちは団塊世代の子供たち、すなわちロストジェネレーションである。にもかかわらず、そこに、社会的な問題との格闘があるわけでもない。3,11も、背景にさえなっていない。新船海三郎は、その点に不満を表明した。しかし人は各々自分の問題を抱えており、それを解決できるのは結局自分一人でしかなく、人はたとえ社会的な存在であるとしても、そこに自己を解消できるわけでもないのである。
 人生は解答のない旅に似ている。人は知らず知らずにせよ、意図してにせよ、いつのまにか、人々を傷つけ、そのせいで自分自身傷つき、それでも気を取り直して生きていく。世界も、人生も、人々も、はかなく、もろく、涙に満ちているが、それでもやはり美しい。
 人はときどきそう感じる必要があるのだ。
 画を見るのが現実の風景の美しさに気づくためであるように、現実の人生の美しさに気づかせてくれる文学というものもあるべきなのだ。
 いまはただこの感動を心ゆくまで味わいたい。何か語るのは、もう少し経ってからにしよう。
 ただ、本筋に関係ない(ように見える)挿話について、ちょっと書きたい。
 六本指についてである。作品では六本指は優性遺伝である(本当かどうか知らない)にもかかわらず、それがほとんど目立たない理由について、遺伝学的説明に不十分な点があると思う。優性遺伝というのは、対になっている遺伝子の片側にその情報があれば、それがその人を形作る情報となる。従って六本指の人の遺伝子の対になっている両方にその情報があるとは限らない。むしろその確率は低いだろう。片方だけが六本指の場合、性的相手が五本指だとすれば、六本指が遺伝する確率は、二分の一である。そして五本指どうしの結合からは絶対に六本指は生まれない。つまり優性遺伝とは目に見えやすい遺伝であり、しかも遺伝する確率は半分なのだから、そんなに増えるわけではない。(たぶん作者は理屈っぽくなるのを嫌ってそこまでの解説は省いたのだろう)。
 六本指についてもうひとつ記しておきたいことがある。この話は必然的にチエホフの「三人姉妹」を連想させる。ロシアの田舎で暮らす三人姉妹はその身につけた知識と教養とを生かす場がない。「この土地にいて四か国語をしゃべれるなんて、まるで六本目の指を持っているようなものだ」と嘆くのである。そしてこの話はそういう意味で本筋に絡んでくるのだろう。
 もうひとつ個人的に面白いと思ったのは、主人公「つくる」の大学の後輩灰田のせりふにウエスカーの「調理場」が出てくることだ。我々の時代に流行ったこの劇作家もいまは全く耳にしない。たまたま先日の民主文学新人賞への稲沢潤子評に出たばかりだったので、世代の流行という点で感慨深かった。
 さらにもうひとつ挿話をあげる。灰田の父親(作者の世代)が若い頃出会ったという不思議な話、死の伝承の話だ。死のトークン(token)を受け取った人間は二か月で死ぬ。死なないうちにそれを誰かに譲り渡せば免れる。死と引き換えに得ることのできるのは完璧な認識である。この話にはスティーヴンソンの「瓶の小鬼」を連想させられた。150年前のこの小品は、すでにアベノミクスの行く末を予言しているかのごとき示唆に富んだ作品だ。ただ、「瓶の小鬼」の場合与えられるのは実利だが、春樹にとっては「完璧な認識」になるというのが作者らしい。
 最後にもうひとつだけ。「良いニュースと悪いニュースがある」の話が帯にもなっているが、この話は確かにどこかで聞いた覚えがあるのに、思い出せない。あるいはどこかでこの作品を論じるのを目にしたのか、それともまったく別の本にあった話だったのか。
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