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マタイとルカ

 高原さんのコメントを公開しました。コメント欄でクリックしてください。多少わかりにくいかもしれませんが、以下のような内容です。
「失われた夜のために」の第6章、主人公とキリスト教の女との対話のなかでふれたマタイ第5章、「心の貧しいものは幸いである(Blessed are the poor in spirit)」の解釈について。
1、女の解釈が正しく、今回、石崎が提出した新たな解釈は、それを単に敷衍したに過ぎない。
2、ルカ第6章20節では、「あなたがた貧しい人たちは(Blessed are you who are poor)」となっており、某牧師の提示したという経済的貧しさという解釈も間違っていないかもしれない。

 むかし、聖書を読み始めたころ、「ルカが一番わかりやすい」と言われてルカから読んだのを思い出す。50年間読んでいないので、みんな忘れてしまった。
 いまめくってみると、たしかに同じ場面のように思える。ただそれを伝えた人が、マタイかルカかの違いだ。イエスその人の思想というのはわからない。伝えた人々の思想だ。ルカで、「飢えている人たちは幸いだ(Blessed are you who hunger now)」となっている箇所も、マタイでは「義に飢えている人たち(Blessed are those who hunger and thirst for righteousness)」となっており、大きく意味が異なっている。それぞれをそれぞれとして解釈するしかないだろう。
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コメント
117:石崎「マタイとルカ」について2019 補足 by 高原利生 on 2020/01/09 at 09:18:40 (コメント編集)

マルクス経済学・哲学手稿
 「人間が彼の対象のうちに自己を失わないのはただ、この対象が彼にとって、人間的な対象あるいは対象的な人間となるときだけである。
 このことが可能であるのはただ、対象が人間にとって社会的な対象となり、彼自身が自分にとって社会的な存在となり、同様に社会がこの対象において彼のための存在となる場合だけである」

 一文目は、自己と対象の関係を考察していて、命題と条件が、主語の人間と対象を入れ替えた表現になっている。
 一文目の条件を述べる二文目で、社会との関係を加えて考察する。その条件は、人間、対象、社会の三つがお互いに一体になっていることである。
 二つの文章は、二段階で条件を語る形をとり、一文目の「命題」で仮の命題が述べられ、後はその内容を一文目の後半の「条件」、二文目の「条件」と徐々に、網羅的に展開していく過程が文章になっている。
 内容は、自分の生き方、常識を変えようとしない保守人に社会は作れないことを明らかにしている。
 この生き方が、高原の「未完成の哲学ノート」(「高原氏への若干の疑問2019.9」コメントで書いてきたものだったことは偶然である。

101:「マタイとルカ」コメント修正 by 高原利生 on 2019/12/03 at 09:06:38 (コメント編集)

 ある人から、書き直し案がメールで来た。参考にして書き直す。
 石崎「MATTHEW CHAPTER5」への高原のコメントで、「女の解釈」「石崎が提出した新たな解釈」の二つとも正しいと書いたのは、今の状態がどうであるかより、今を変える態度、生き方が重要である点においてである。「新たな解釈」で「なにか、充たしてくれるものを求め」る態度(石崎)があるのは、「何かが足りないと感じている」 (同) だけより良い。

 態度=生き方の次の要件も重要である。
 生き方には、謙虚さと批判の統一が必要である。宗教は謙虚さを教えてくれる。
 生き方(謙虚さと批判)と、手段である制度、政治は同時に変えるしかない。どの要素が欠けても、どれも「良く」は、変えられない。このことはマルクス「経済学・哲学手稿」で学んだ教訓である。

 最大の要件は、どういう価値を目指す生き方、態度かという内容である。これは「種の存続-個体の生」という価値の仮の系列に続く、新しい価値を目指す「生の属性」、生き方である。それを探っていたのが、石崎さんの「高原氏への若干の疑問」2019.9.18で対象になっていた高原の検討であった。

98:管理人のみ閲覧できます by on 2019/12/01 at 11:09:12

このコメントは管理人のみ閲覧できます

97:石崎「マタイとルカ」2019.11について by 高原利生 on 2019/12/01 at 11:04:48 (コメント編集)

 山上の垂訓のマタイとルカの記述は、共にイエス・キリストの思想の良い表現である。マタイ伝、ルカ伝など様々に呼ばれる文章は、イエス・キリスト言行録なので、イエス・キリストの思想には、その両者の面が含まれていたととらえるのがよい。
「貧しい」「飢えている」だけでなく「憎まれる」「排斥される」などでも同様である。おそらくルカは「敵を愛し、憎む者に親切にせよ」などと後で言うために、初めから山上の垂訓の多くを、広げ単純化し二分法で書いた。
 全体がイエス・キリストたちの思想である。

 高原利生 石崎「MATTHEW 2019.11」へのコメントでの「女の解釈」「石崎が提出した新たな解釈」の二つとも正しいのは、今の状態より今を変える態度、生き方が重要な点だけである。この高原コメントでの最初の石崎さんの「僕」の発言は少し違うと思うので訂正する。

 問題は、どういう価値を目指す態度、生き方かという内容である。生き方(における謙虚さと批判の統一)と政治、経済は同時に変えるしかない、どれが欠けてもどれも変えられない。宗教から学ぶ点は多いが、このことはマルクス「経済学・哲学手稿」で学んだ教訓である。

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