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「民主文学」2019年 11月、12月

 11月号は全部読んだのだが、2ヶ月近く経って内容を忘れてしまった。どれも面白かったという記憶はある。だが、記憶力が著しく減退している。請御容赦。
 最上裕「波濤の行方」だけは少し印象が残っている。これは前作「オルモックの石」の続編ともいうべき作品で、前作ではオルモックで戦死した伯父の行方を追って、防衛庁まで出向いて資料を探す、という執念の作品だった。今回はそれをフィクションに仕上げている。捜す過程ではなくて、戦地における伯父の姿をフィクションで作り上げており、臨場感のある作品に出来上がっている。一読の価値あり。

 12月号は支部誌・同人誌推薦作品特集である。
 支部からの応募、28。支部外から、11。内、小説、37。
 最終選考に、16。優秀作、1。入選作、3。
 最終選考通過作の内、支部誌、11。その他、5。
 優秀作、入選作、ともに支部誌であった。

 支部誌が多少優遇されるのは、結社としての性格上やむを得ないだろう。
 また、入選作がいちおうのレベルをクリアしているのは認める。しかし、それにしても不満は残る。今回、「樹宴」からも、「まがね」からも推薦作を提出したが、どちらも最終選考16編に入らなかった。入選作のレベルから見て、最終選考通過作品が、われわれの推薦した作品よりもそんなに優れているとは思えないのだが、という無念がある。
 しかし、小説というものは読者の好みがあって、一次選考は何人かが手分けして読むのだろうから、当たり外れというのはある。
 ということで納得するしかないだろう。

 優秀作、渡部唯生「歴史の吐息」
 若い人の作品である。
 左翼活動家のたまり場になっている居酒屋が、じつは戦前はキリスト教の教会で、天皇制の戦時下体制で弾圧された。その地下室からオルゴールが出てくる、という話。多少作り過ぎの感はあるが、面白い設定である。小説つくりの出来る若手と思える。
 だが、そこにいたる導入部がつまらなさ過ぎた。面白い話に入る前に読者は投げ出してしまう。小説のポイントは後半にあるのだから、それを生かす構成にすべきだった。後半の面白さに対して、前半の愚痴っぽい部分がいかにも浮いている。全部カットだ。
 タイトルもふさわしくない。面白さを表現できていない。読んでみれば実際面白い話なのだ。タイトルと前半とで損をしている。

 馬場ひさ子「冬芽」
 ぼくならこれを優秀作に推す。
 不登校がテーマである。不登校はもはや現代の最も緊要なテーマのひとつと言えるだろう。
 作者は、不登校の原因も解決策も示すわけではない。当然だろう。現実に原因も解決策も見いだせないで大勢が悩んでいる。それを一篇の小説で解決することなんかできるわけがない。
 小説の役割は解答を与えることではない。問題を提出し、みんなに考えてもらうことだ。
 ここに提示されるのは、ひとつのケースである。問題はひとつひとつ異なる。すべてを網羅することはできない。提示されるのはあくまでもそのなかのひとつだ。だが、おそらくそのひとつのケースのなかには、他のケースにも当てはまるかもしれない普遍的なものが含まれている。
 小説とはそのように書かれるものだろう。個別性を取り除いてしまったら、それはもはや小説ではない。ひとつの個別的なものを個別的なものとして描き出すことで、そこにおのずから普遍的なものが立ち現れてくる。
 文章がいい。相当書きなれた人の文章だ。すぐれた文章はそれを書いた人の人間性までも表現するところがある。
 加えて、いい文章にはゆとりがある。しゃちこばっていない。遊びがある。そしてユーモアがある。
 ユーモア? 切迫していないのか?
 現実は切実なのである。原因もわからず、解決策もわからず、子供は不登校のままどんどん齢を取っていく。せっぱ詰まっているのが現実だ。みんなほんとうに悩んでいる。
 しかし、だから、暗い小説を書けというのは違う。暗く書いても問題が解決するわけではない。だとしたら、暗く書く必要なんかない。どんなに問題を抱えていても、人は日々を生きていかねばならない。暗い顔ばかりして生きていくわけにはいかないのだ。

 小学5年生くらいから不登校になり、いま、中学2年生の男の子。学校に行かずにゲームばかりするので、母親はさじを投げて、ばーちゃんが預かっている。ばーちゃんは作者とおぼしき年ごろに思える。作者は1952年生まれである。
 その子の母親である娘から、スマホとゲームは与えるなと言われていたのに、じーちゃんはゲームのひととおりのセットを買ってくる。大きな画面に映し出して、ネットで世界中のゲーマーとつながって、会話しながらオンラインゲームができるという代物だ。
 じーちゃんと娘とが大げんかする。それをばーちゃんが横で見ている。この場面は圧巻である。
 娘は、少年がすでにゲーム依存症で、これにゲームを与えるのは麻薬患者に麻薬を与えるようなものだ、「パパは悪魔だ」と責めたてる。
 じーちゃんは、「おまえが厳しすぎるのがよくない、一生ゲームをするなんてことはありえない、やりたいだけやらせてやれば、そのうち飽きる、おれはこの子を信じている。だいたい現代は何にでも病名を付けて、話をややこしくする。病気ではないのだ」という。
 二人はばーちゃんの目の前で、激しい言葉でやりあう。それを見ながらばーちゃんは、この父と娘とはこういう性格がまるでそっくりなのに、二人ともそのことに気づかずに、自分とそっくりの相手の性格を責めている、ということをおかしく思う。
 ここが素晴らしくユーモラスに描かれている。深刻な話なのだが、その深刻さのなかに作者はユーモアを忘れない。この父と母と娘とのあいだに醸し出されるいかにも家族的な雰囲気がすばらしい。
 これを深刻な家庭内対立と受け取るのは間違いだ。どの家庭にだって意見の違いはある。それをお互い気を使いすぎてなかなか表に出せないことが多い。この二人は信頼関係があるからこそ、まともにぶつかりあうのだ。
 ばーちゃんは孫を決して甘やかさない。彼を責めることはしないが、「おまえはうちの居候なのだから、うちのルールに従え」と言って、朝は早く起こし、「日本人だから朝は味噌汁を食え」と言って食べたがらないものでも食べさせる。ひいばーちゃんが入っている老人ホームにも毎日通わせる。そこはすぐ近くなのだが、わざと遠まわりして行けという。体力の衰えを回復させるためだ。毎日ドリルをやらせる。そのあいだゲームはやらせない。どのみち、クラスメートが学校に行っているあいだは、オンラインゲームをする相手がいない。
 ところが、午前中から、相手ができたのでゲームをしていいかと言い出した。不登校の相手を見つけたのだ。この一家は横浜に住んでいるが、相手は山形と宮崎だという。声は聞こえるが顔は見えないので、子供だという保証はない。大人がなりすましているのではないかとばーちゃんは疑う。だが、聞こえてくる声は子供らしく聴こえる。
 会話を交わしながら、協力しあって画面のなかの敵と戦う。
「アップルさん、その建物の影にいるから気をつけて、あー、やばい」「これはおれがやる」「まじやばい」「アップルさん、ドラゴンさん、まじ申し訳ない」といった調子で、瞬間的に判断しながら、猛スピードでコントローラーを操作していく。「まじ」と「やばい」の連発だ。
 こういうところをこの作者はじつに具体的に書いていく。少年たちの姿がほうふつとしてくる。ラストはこんな感じ。
 <今日、天気予報ではアップルさんの住む山形は大雪注意報が出ており、反対にドラゴンさんのいる宮崎は晴天、と伝えている。タケルと私がいるこの横浜には乾燥注意報が出ている。そして、タケルの部屋には「アップルさん、危ない! ドラゴンさん、フォローしてくれ。そっちはおれが倒す。ぎゃあ!」と危うげな変声期の声が響いている>

 まさに名作というべき。
 ただ一点。この作品も書き出しがもたついている。不登校生を集めた学校に孫を連れてばーちゃんが見学に行くのだが、この学校は結局解決にはなりそうもなく、二度と出てこない。まったく不必要な場面とは言わないが、少し読者を退屈させた。ここは書きなおしてほしい。
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コメント
102:11月号と12月号 by 民主文学読者 on 2019/12/19 at 13:01:08

11月号では「コンパクト」が一番おもしろかった。12月号では「鉄砲百合」でしょうか。私は文芸評論家ではなく単なる一読者なので読後感を重視し、表紙のタイトルに赤ペンで二重丸を付け「再度読む価値」ありと評価しつつ家族にも勧めて読んでいます。

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