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MATTHEW CHAPTER 5

NOW when he saw the crowds, he went up on a mountainside and sat down. His disciples came to him,
2 and he began to teach them, saying:
3 "Blessed are the poor in spirit, for theirs is the kingdom of heaven.
4 Blessed are those who mourn, for they will be comforted.
5 Blessed are the meek, for they will inherit the earth.
6 Blessed are those who hunger and thirst for righteousness, for they will be filled.
7 Blessed are the merciful, for they will be shown mercy.
8 Blessed are the pure in heart, for they will see God.
9 Blessed are the peacemakers, for they will be called sons of God.
10 Blessed are those who are persecuted because of righteousness, for theirs is the kingdom of heaven.

 発端は「失われた夜のために」だった。あの下手な小説の次の箇所から始まった。

「経済的な豊かさばかりを求めた結果です。お金がたくさんあればよいのですか。物がたくさんあればよいのですか。そうやってずっとやってきた結果がこれです。お金や物や豊かさが、人々を害し、人々を苦しめています。心の貧しさがこういう結果を生みだしました。物が豊かになるほど、心は貧しくなっていく一方ではありませんか」
「でも」と僕はさえぎった。「たしかどこかに書いてなかったですか……心の貧しきものは幸いなり、天国は汝らのものなればなり……心が豊かになってはまずいのじゃないですか」
 女は声を高めた。
「マタイです。マタイの第五章です。でも、あなたはまったく間違って読んでいます」
「そうかな。心の貧しき者こそ神を求めるのだ、僕はそう読みましたがね」
「それでよいのです。でもそれは自分の心の貧しさを知っている者という意味です。心が貧しければよいのではありません。心の貧しさを知り、自分が神の愛に価しない人間であることを知り、悔い改めようとしている人のことです。何よりも大切なのは謙虚さなのです。そして人々はいまそれを見失っているのです」
 女はそう言って僕を見つめた。まるで、おまえもその一人だぞと言っているように聞こえた。

 この箇所に対して、次のような指摘が寄せられた。
「心の貧しき者」というのは誤訳である、「心底、貧しい者」というのが正しい、これは経済的な貧しさを言っているのであって、精神的な貧しさではない――と主張している牧師がいる、貧しい人たちの地区で活動している牧師である、と。
 納得しがたい説であったが、日本語になる前の聖句を知らないので、誤訳かどうか判断できない。そこで身近なキリスト教徒の何人かに問い合わせてみた。誰からも納得できる回答は得られなかった。

 この聖句は同志社大学の烏丸今出川に、ぼくの入学後に建った学生会館の一階大食堂の壁の高いところに英語で書かれていて、当時から、「どうして心が貧しいほうがいいんだろう」と学生たちの疑問を呼び起こしていた。ぼくはあまり疑問を持たずに、小説に書いたような解釈をしていた。
 今回、清水比庵が高梁教会にこの聖句を詩画として残したというところから、また、比庵の晩年のエッセーに、この聖句こそ自分が歌人として求めるものだ、という記述があるということで、この聖句の意味をめぐって疑問が蒸し返された。

 聖書のもともとの言語がヘブライ語なのか、ギリシャ語なのか、ぼくはそれも知らないわけだが、せめて英語でどう表現するのか知れば、多少はニュアンスを知る助けになるかもしれないと思った。もっとも、ぼくは英語の勉強も放棄したので、あまり助けにはならないだろうという予感もあったのだが。
 あとから考えると、ネットで検索すればすぐに英語訳くらい出て来ただろうが、ぼくはそういう世代ではないので、いきなりネットを思いついたりしない。どこかにギデオン協会の英和対訳の聖書があったはずだ、とはうすうす思っていたが、なにしろぼくの本棚ときたら、何がどこにあるのかさっぱりわからない。いつでも探すのに苦労する。そこでものぐさで、そのままになっていた。
 ところが、ふと、いつも座っているところの背中にある辞書類の並んだ本棚を見ると、ちゃんとそこにギデオン協会があった。

 心は、heartなのかmindなのかsoulなのかspiritなのか、と頭では考えていた。もっとも、そのニュアンスの違いが理解できるわけではないので、正解はspiritだったと知って何かが分かったわけではない。
 けれども、この英文を何回か読んでいるうちに、なんとなく答えを見つけたような気がした。

「経済的な貧しさ」はたぶん間違っている。そういう訳を許す根拠は見当たらない。
 だが、ぼくの小説中の対話の両名のどちらとも、やはり間違っている。

「心の貧しさ」と日本語で表現すると、エゴイストで、自分のことしか考えない、人への思いやりのない、心に美点のない人というネガティヴなニュアンスにとらえてしまう。
 そこがそもそも間違っている。
 poor in spirit とは、精神的な欠乏感を意味するのではないか。充ち足りない思いを抱いている人、何かが足りないと感じている人、心がからっぽだと思っている人、それゆえになにか、充たしてくれるものを求めている人、そういう人のために天の王国はあるのだと。
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95:管理人のみ閲覧できます by on 2019/11/29 at 08:45:16

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94:石崎氏ブログ「MATTHEW 2019.11」へのコメント by 高原利生 on 2019/11/29 at 08:42:00 (コメント編集)

このキリストの発言の意味については、石崎さんの「女」の方が正しい。「僕」の二つ目も彼女が言うように一応正しい。最初の「僕」の言は単に誤解である。石崎さんの最後は彼女をやや一般化しただけである。つまり、存在と関係(運動)(四版」(「高原氏への若干の疑問」へのコメント))から言うと存在、状態より、関係(運動)、過程、生き方、態度のほうがいい。この点で二人とも正しく、「対話の両名のどちらとも、やはり間違っている」のは、大きくは間違っている。
牧師も正しいかもしれない。
ルカ6章20節「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである」
山上の垂訓については、精神性に立ち入っていて難解なマタイだけでなく、ルカでも単純化した分かり易い二分法で述べられる。
この牧師の意図とは別に(?)、単に貧しさを称揚することは再分配を促した。宗教の意味を三つ「四版」で引用を示したが、これは、この三つ以外の宗教の意味である。キリスト教が労働で富を増すことを正当化するのは産業革命以降である。

93:管理人のみ閲覧できます by on 2019/11/29 at 01:02:31

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91:管理人のみ閲覧できます by on 2019/11/28 at 00:35:36

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