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京都旅行(14)

 トップで並んだので、一番後ろの席をキープした。待っている間にだんだん乗ってきて、ほぼ満席になった。そのままノンストップで行くのなら、荷物はどこにでも置けるだろうが、途中の停留所で乗り降りがあるのだ。最後尾に乗って正解だった。荷物を妻がなんとか足のあいだに収めた。大きな荷物の客はわれわれ以外に見当たらない。あらかじめ送ってあるのだろう。
 朝、宿を出る前に電話して、バス停までの迎えを頼んだ。忙しいときは行けないということで向こうが時刻を指定した。それで、その時刻にちょうどよいバスを選んだのだった。
 いまバスの地図を見ると、このときのバスは市バスではなく、京都バスのたぶん17番だった。これは烏丸通を上がる。烏丸四条までは、けっこう烏丸通を通るバスもある。四条で曲がって、河原町を通り越し、四条大橋を渡って、川端通に出る。鴨川に沿ってその東岸を走る道路である。三条、二条、丸太町から、出町柳をかすめて、そこからは高野川に沿って走る。そのまま行けば岩倉方面だが、宝ヶ池から八瀬比叡山口のほうへ曲がり、そこも通り越してどんどん山の中に入っていく。ずっと高野川に沿ってその源流方向へ向かう。
 その山のなかにも停留所があり、乗り降りがある。降りますのボタンを押して運転手に報せるのだが、この山中で何度も次停まりますが点いては誰も降りようとしない。運転手が頭に来て、ボタンに触らないでくださいとアナウンスした。子供がいたずらしていたようだ。その子だろうか、ずっと泣いていて、お母さんが「もうやめて」と言いながらスマホを操作している。あとで妻が「あのお母さん、子どもが泣いているのにスマホしてたね」と言った。でも何か必要があったのかもしれない。
 東西南北で言うなら、緯度は鞍馬、貴船とほぼ同じだが、そのあいだには奥深い北山があって、隔てられている。鞍馬貴船は叡電で行けるが、こちらには叡電はない。曲がりくねった山道をバスで上がって行くので、よほど山奥に行く感じがする。
 終点にバスステーションがあった。一日券で降りることができた。ただしこの券は600円ではなくて、900円だった。妻が克明にメモしている。この記事はすべて妻のメモに基づいている。さもなければ書けない。
 電話すると迎えが来た。そこからまたかなり登った。
 民宿である。畳の部屋だ。食事も庭に面した畳の部屋で、水炊きを食べた。久しぶりにまともな食事をした。風呂は外へ出て、ちょっとした丘を登る。露天風呂ふうだが、山の中の夜なので何も見えない。自分で布団を敷いて寝る。
 9月28日。9日目。純和風の朝食。働いているのは若い男の子たちで、高校生のバイトのようだ。
 まず手近の寂光院へ。安徳天皇の母、徳子の隠棲したところである。ここは年配の女性が解説してくれる。ここと、三十三間堂の隣の養源院がそうだった。ちなみに養源院は俵屋宗達の描いた象や虎のほかに、血染めの天井を売りにしている。伏見城にいた徳川方の鳥居元忠ら380名が石田三成に攻められて全滅し、その血を吸った床板を、天井に使っている。天井を指さして女性が一生懸命説明するのだが、よくわからない。
 寂光院。聞き違えたのか、解説の女性が間違えたのか、諸説あるからなのか、不明だが、壇ノ浦の平氏滅亡時、徳子は25歳、それから数年後には死んだ、と聞いた。そんなに若かったのかと驚いたのだが、いま資料を見ると、徳子は1155年の生まれ、壇ノ浦が1185年だから、30歳だ。死亡年はいろいろあるが不明という。若く死んだという説もあるが、平氏滅亡の記憶の新しいうちに徳子が死ねば、この人ならそれを書いただろうと思われる人の日記に記事がないという。1213年に死んだという説もある。それだと58歳だ。
 25歳と聞いてあまりの若さになにがなし悲しい気持ちにさせられたが、30歳と読むと、少し気持ちが薄れる。悲劇のヒロインは若いほど心をうつということなのか。
 すぐ近くに彼女の墓もあるが、かなり登らねばならないようなのでやめた。
 源平合戦は小学生のときに「源平盛衰記」の少年版を読んだ。そこに出て来たエピソードはいまでもほとんど覚えている。のちに司馬遼太郎の「義経」と岩波新書で永原慶二の「源頼朝」を読んだ。考えてみると、ほかになにも読んでない。つくづく読書してないなあと我ながらあきれる。
 寂光院を切り上げて三千院に向かう。これはバスステーションのあったほうだから、かなり歩く。でも近道があって、車で来たときほどではなかった。田んぼ道を歩くのだ。大原女の小径と呼ぶ。いいハイキングコースだ。
 三千院は参道が賑やかである。店が並び、人々がぞろぞろ歩いている。父の同窓会に参加して飲み食いしたのはどこだったのだろうと考えるが、とうていわからない。料亭がたくさんある。川も、高野川の源流だろうが、何本も流れている。呂川と律川とあって、呂律がまわらないの語源だそうだ。たしか靴を脱いで建物のなかを歩き、その先はまた履いて、ずっと上まで登った。寺域が山になっている。広い。そこを出て近くにもうひとつ何かあるというのでかなり登った。いま登って来た同じ山をさっきは塀のなかを歩き、今度は塀の外を歩くという感じ。結局、途中であきらめた。それからまたぶらぶらと帰った。どこかで昼食を食べたのだろうか。まったく記憶にない。
 その日の夕食はすき焼きだった。客が増えていて、椅子席の部屋に換わった。翌朝の朝食も同じ場所で食べたが、西洋人のカップルが近くに2組いて、純和食なので、彼らの口に合わないようで、ほとんど何も食べていなかった。
 9月29日。10日目。京都駅へ帰って、最後にもう一日草津に泊まる。明日は帰るだけなので、今日が最後である。その最後にハプニングがあって、忘れられない日となった。それはまた次回に。
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