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京都旅行(11)

 20日に福山を出て、25日だから6日目である。折り返し点を過ぎた。草津の二日目、京都へ向かう。今日は鞍馬、貴船と決めていた。
 むかしうろついていたのは、市電のある市街地だけだから、こんどの旅はむかし足を延ばさなかった郊外が主になる。銀閣寺、哲学の小径周辺はさんざん歩いている。嵯峨野は市電こそないが、嵐電で何度も行った。嵯峨野の主なところは二回ずつほど行ったような気がする。保津狭のトロッコ電車は何度目かに来たときに乗った。京都はいったん離れてからも何度か来ているので、いつ行ったのかはすでにあいまいだ。
 鞍馬、貴船は行ってない。有名なところはいちおう制覇しておかないと悔いが残る。
 京都駅からバスでまっすぐ出町柳を目指す。ここへ来るのはほんとに久しぶりだ。むかしの記憶はもう残ってないので、変わったのか変わらないのかわからない。もっと寂れた場所だったような気がするが、少しあか抜けている。京阪が、昔は三条までしかなかったが、いま出町柳まで延びて、叡電と連絡したのだとは聞いていた。
 京都の郊外電車は叡電と嵐電である。叡電は比叡山へのケーブルまで行き、嵐電は嵯峨野、嵐山に行く。いまどこが経営しているのか知らないが、昔は京福電鉄と言っていた。その名前からすると京都と福井を結ぶ路線がその昔あったのであろうか。これは未確認だ。福井は何となく京都の裏玄関という感じがする。むかし日新電機で働いていたときに、何度も、福井や隣接する京都府下の海水浴場へ行った。そこらじゅうに行ったような気がする。海岸の向こうにコンクリートの巨大な建物が見えて、あれは何だろうと言いあっていた。無知だったのだ。遠浅の白い砂と透明な海水と心地よい太陽とを満喫していたが、じつはそこら一帯が原発銀座だったのである。
 それはさておき、切符を買う。あとで、ICOCAが使えるのだと知ってからはそれを使った。しかし、キャッシュレスに不慣れなぼくらは、何となく不安になる。ICOCAカードには残高が表示されるわけではない。普段国鉄で利用する際は、改札を通るときに金額が表示されるのを瞬間的に読みとるが、叡電でもバスでも金額は出ない。たぶん出なかった。ごまかして引かれているんじゃなかろうかと半信半疑になる。
 宝ヶ池で八瀬比叡山行きと別れて、鞍馬は終点だ。そこからケーブルでさらに上がる。降りたところからこんどは徒歩で上がる。北山の山中だ。眺望はよい。むかし北山の山中でキャンプして、そこからグループに分かれてハイキングに出て、道に迷い、一晩野宿をした。北山はどこまで行っても山だから、迷い込んだらなかなか出られない。いまとなっては思い出だが。
 どこまで上がったか、どこまでか上がり、たぶん本堂を過ぎて奥の院まで行ったのだと思うが、ガイドブックではそこから貴船に抜けられるようになっている。徒歩時間を書いてあるが、十数分という単位だ。だが、見ると、どうもさらに登らねばならないようだ。あきらめて下りにかかる。かなり急な道だ。足の悪い人は上りよりも下りが堪えるらしい。妻がここで少し足を痛めた。
 叡電まで戻る。一駅引き返すと貴船口だ。鞍馬は鞍馬で、貴船は貴船口だ。この「口」が曲者だった。ガイドブックがじつはハイキング用のガイドブックで、歩くコースと所用時間を書いてあるが、歩くところだけ書いてあって、周囲が切れている。それを知らずに、貴船と書いてあるところが貴船口だと思っていた。すぐ目の前にある筈だと思って歩き出そうとして、妻からストップがかかった。バスが来た。運転手に尋ねると、歩けば一時間かかるという。やばいところだった。貴船は川に沿った道である。川床に桟敷を作ってある。貧乏旅行には関係がない。たとえ金があっても、ほとんど食欲がない。短時日にいろいろ観たので、何を観たのかよくわからない。そのとき満足したらそれでよいのだ。ぼくが関心あるのは道なのだから、行った場所よりも、行き来した道のほうが大切なのだ。
 バスで貴船口へ戻る。叡電に乗り、一乗寺で降りた。詩仙堂へ行きたいのだが、降りるところをまちがえた、修学院なのだと妻が言う。ふたたび叡電に乗って、一駅戻る。ICOCAをかざすだけなので気楽に行き来しているが、実際にはその度に金を引かれているのだ。修学院から白川通に出て歩く。歩いているうちに結局一乗寺まで戻ってしまった。ハイキング用のガイドブックが細切れなので、たいへん分かりにくいのだ。全体の位置関係が分からない。東西南北もめちゃくちゃだ。ガイドブックの選択を間違えている。一乗寺下り松のバス停に来た。むかし戸籍を見たときに、ぼくの出生地は一乗寺下り松と覚えたが、最近見ると、一乗寺松田町になっている。どのみちその界隈にはちがいないが、ただそのあたりというだけだ。詩仙堂はそこにあった。それもガイドブックに騙されてかなりまわり道をした。最短ルートを書いてない。まわり道を書いてある。
 詩仙堂は、名前はロマンチックだが、詩というのは漢詩なのだ。漢詩に興味がないわけではないが、勉強しそこなったので、よくわからない。有名な漢詩人が住んでいたとか何とか。庭に下りて歩いたような気がする。
 叡電に乗らずにバスに乗る。そのまま京都駅に行ったのでは、一日乗車券を損する。今出川から、同志社前に来て降りる。同志社前は同志社女子大前である。同志社の正門は烏丸今出川だ。女子大と大学との間に道路がある。そこを入って、相国寺へ来た。下鴨から歩いて通うときはこの寺を近道にした。北大路と出町のあいだの賀茂川に橋が一本あって、そこを渡ってくるのだ。相国寺の表が同志社で、裏が成安だというと、妻が怒って、表が成安で、裏が同志社なのだと言った。妻の通う成安は相国寺の北側にあった。相国寺を東に出たあたりに寮があったといって、そのあたりを歩いた。すっかり変わっていて、何もわからない。成安のあったところは京都産大が新たに何か建てていた。
 烏丸通に出て南下する。同志社前を通る。そこが正門で、今出川との角が冷泉家だ。烏丸を挟んだ反対側にあった学生会館はもうない。同志社がまた何か別のものを建てていた。その細い道を西に入っていくと、室町通の次が新町通で、そこに新町校舎があった。英文科の校舎だった。いまあるのかどうか知らない。
 河原町と堀川とはさんざんバスで走ったので、一度烏丸でバスに乗ろうと烏丸通を御所に沿って南下する。なかなかバス停がない。人通りもない。同志社の学生もこちらには来ない。おかしいなと思いつつ歩いたらバス停はあった。バス停はあったがバスがなかなか来ない。待っている人もいない。時刻表を見ると、一時間に一本しかなくて、それもさっき出たところだ。この通りは地下鉄があるので、誰もバスには乗らないのだ。だからバスもないのだ。引き返して、結局河原町を帰った。
 明日は岩倉に行く。
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